かしゃかしゃと泡立て器をボウルに突っ込み掻き混ぜる事数分、腕の限界が速くも訪れていた。ペースが落ちたのを見計らったかのように疲れたの?と臨也さんがにやにや笑うものだから、僕はむっとして疲れてませんと意地を張った。
……正直、すごく疲れてるけど、素直に肯定する気にはなれない。

「……お菓子作りって、大変ですね」
「俺はお菓子作った経験があまりないから分からないけどね。そんなの感覚で出来るもんだろ?」
「でも、お菓子は分量を少しでも間違えると美味しく出来ないって、聞いた事あります」

臨也さんの自宅兼事務所に備え付けられているリビングと一続きのシステムキッチン。広々としたそのキッチンにケーキの型やらスーパーで買ったイチゴのパックやら牛乳やらを広げ菓子作りに勤しむ僕は、テレビの前のソファでくつろぐ彼にこっそりと視線を向けた。
臨也さんは別に僕の方を見ているわけではなく、その視線はテレビに向けられている。なんとなくでつけている昼ドラを適当に流して見ているのだろう、興味があまりなそうなのは僕にも分かった。
暇なら手伝ってくれてもいいのに。そう心の中でため息をつく。

「ねー帝人君、そんなペースで間に合うの」
「……夕食までには、頑張ります」
「それ少なくとも後六時間以上かかるって事?」

今が丁度お昼の時間帯だから、単純計算して六時間。改めて数字に置き換えるとかなりの時間だ。ケーキって、作るのに何時間も作るお菓子だったろうか。まな板の上に材料と一緒に置いているレシピ本をもう一度覗きこんでみるが、所要時間は一時間程度と書かれている。けれど不思議な事に、僕には今レシピ通りに行っているはずのこのケーキ製作があと一時間弱で終わる様には到底思えない。

(お菓子なんて作った事無いしなぁ)

かしゃかしゃと生地を掻き混ぜるペースは最初の半分以下にまで落ちていて、意外と力がいる事を初めて知った。よく料理番組なんかで軽快に泡立て器を使っている料理の先生は、なるほど確かにプロだ。明日は絶対二の腕が筋肉痛になるだろう。

「……あの、でも臨也さん」
「なに?」
「ほんとにこんな……プレゼントがケーキなんかでいいんですか?」

確かに僕は貧乏学生だ。月末には生活費が冗談抜きで苦しくなるようなジリ貧生活を毎月送っている、どこからどうみてもただの貧乏学生。そんな僕が、金銭的な面で何不自由していないだろう臨也さんにプレゼントを買うと言ったところで買える物はたかが知れているし、買ったところでそれが喜ばれるかも分からない。そうなると一体何をプレゼントするべきなのか、本気で悩みの種になってくる。
だから今回、臨也さんから明確に欲しいものを提示してもらえたのはとてもありがたいし助かったのだけど、折角の誕生日プレゼントが、こんな、僕の手作りケーキ、なんかでいいのだろうか。
……いや、ここで僕がどう足掻いても手を出せないような金額のプレゼントをせがまれるよりは、遥かにマシなのだけど。

「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ」
「でも……買った方が、絶対美味しいと思います」
「だろうね、帝人君料理上手ってわけじゃないもんね」
「なら……」

いいんだよ、と臨也さんはテレビに視線を向けながら笑う。

「君がそうやって俺のために慣れない料理を四苦八苦しながらしてる姿を見たかっただけだから、いいんだよ」

なんとも腹立たしい言い回しだ。この言葉だけ聞けば相当性格の悪い人にしか思えない。いや、実際相当に性格が悪い人ではあるのだけど。
まあつまり、僕が悪戦苦闘しているのを見て楽しんでいると、そういう事なんだろう。全く持って趣味が悪い。
……そんな人のために頑張ってケーキなんぞを作っている僕も、よっぽど恋人の趣味が悪いのかもしれないけど。

はあ、と諦めのため息をついて、僕はボウルの中身を型に入れた。正直まだ混ぜなくてはいけないような気もするが、なんだが真面目に作っている自分が馬鹿らしくなってきた。
一応付き合っている間柄である相手の誕生日に何かしてあげたい。そう思った僕の善意というか好意というか、そういうのもあの人にとっては観察の対象でしかないんだろう。
……僕ばっかりが好きみたいで、なんだが嫌だなあ。いや、もしかしたら本当に、実は臨也さんは僕の事を観察対象という認識しかしてないのかもしれないけど。
そんな想像は想像だけでも恐ろしいから、これ以上するのは止めよう。

型に流し込んで、オーブンを開ける。もちろんオーブンなんかも使った事無い。レシピ本を片手にどうにか温度設定して型を入れた。これで何も問題なければふかふかのスポンジケーキが焼き上がるはずだ……多分。

ケーキが焼き上がる間に何をすればいいのかなとレシピを捲ると、背後でかさりとビニール袋が動く音がする。振り返れば、いつの間にやらキッチンにやってきていた臨也さんが先程スーパーで買ってきたケーキの材料が詰まった袋を、漁っている真っ最中だった。
この人、何してるんだろう。

「あの……何してるんですか」

もしかして手伝う気にでもなったのだろうかと淡い期待を抱いてみるが、どうやらそんなつもりは毛頭ないらしい。僕の問いかけに生返事をしながら何かを探してがさがさしている。

「んー?ちょっとね……あ、あったあった」

臨也さんが探していたのはホイップクリームの袋だったらしい。さすがにクリームを一から作るのは面倒だから、ホイップクリームに関しては市販の、すぐに絞って使えるタイプのものを買った。ケーキの材料は全て臨也さんがお金を出すと言ってくれたからケチらずに少し多めに買ったのだが、どうして今彼はそれを手にしているのだろうか。あ、もしかしてあれか。クリーム絞るのだけはやりたい、とかそういう事を言い出す気なんだろうか。

「臨也さん、クリーム絞るならスポンジが焼けてからじゃないと……」

しかし臨也さんは僕の言葉を聞いていないのか、実に楽しそうな笑みを浮かべて僕に近づいてくる。片手にはホイップクリームの袋。なんだが笑顔が怖くて無意識に後ずさると、手にしていたレシピ本を奪われた。ぽいっとそれを遠くへ投げ飛ばされ、何するんですかと本を追おうとした瞬間、首根っこを掴まれる。

「いざ、」

次の瞬間。

臨也さんはホイップクリームの絞り口を、僕の服の襟から背中へと突っ込んだ。そのまま躊躇なく、彼はクリームを絞り出す。

「っ――――――!?」

突如として冷たいどろりとした物体が背筋に注がれ、僕は音にならない悲鳴を上げた。信じられない、そんな思いで臨也さんを見上げれば、彼は絞り出して空になったクリームの袋をその辺に投げ捨て、すぐさま新しい袋を手にしていた。そして今度は真正面から、僕の服の中にクリームを注ぎこんでくる。

「っ、やめ……!」

条件反射で臨也さんの手を払った。逃げようと足を後ろに下げれば足払いを掛けられ、そのまま背中からフローリングの上に倒れ込む事となる。思いっきり打ちつけた背中の痛みよりも、ぐちゃりと服の中で潰れたクリームの感触の方が気持ち悪くて、ひぃ、と情けない声を上げてしまった。

「な、なに、して……」

覆い被さる様に圧し掛かる臨也さんは、もうこの時には楽しそうな笑みではなく、すごく人の悪そうな笑みを浮かべて僕を見下ろしていた。僕は今された事の意味が分からず、ただ怖くて怖くて真上にいる彼を見上げる事しかできない。臨也さんは尚も僕の頬に絞り出したクリームを塗りつけながら、僕の服をたくしあげた。

「クリームまみれになっちゃったねえ」
「い、ざ、」
「本当はね、これがしたかっただけなんだ」

は?彼の言葉が理解できずに思わず聞き返す。シャツの中でぐちゃぐちゃになったクリームの感触が本当に気持ち悪くて今すぐお風呂にでも飛び込みたい気分なのに、彼は僕の不快感になんて気付きもせずに、剥き出しになった腹や胸に、そのクリームを塗り広げ始めた。そしてべろりと、そこに舌を這わせる。

「っひ!」

クリームを舐めとるように肌を這いまわるその舌の動きに、肌が自然と粟立った。鎖骨辺りを滑り、時には歯を立て、好き勝手に舐めしゃぶっていく。

「っい、ざや、さんっ……やだ、」

まるで性行為を彷彿とさせるような、意図的な動き。腹の上にまた新しくクリームを落とされ、熱くなり始めた体はその冷たさにも反応してしまう。嫌だとかぶりを振れば、口を離した臨也さんが今度は僕の顔にクリームをべちゃりと落とした。

「っ、うぅ……」
「やらしいなあ、帝人君。体中どろどだ」

僕の目元にかかったクリームを丹念に舐めとりながら、臨也さんは笑った。もう怖いのと意味が分からないのとで涙が浮かび始めてしまった僕は、ぎゅっと臨也さんの服を握り締める事しかできない。

「ねえ帝人君、今日は俺の誕生日だよね」
「、? は、い……」
「なら言ってよ、おめでとうって」

こんな時にどうしてそんな言葉を要求するのか。今彼が言うべきなのはどうして僕をこんな目に遭わせているのか、その理由ではないのだろうか。というかそれが普通じゃないのか。なんで僕はこんななんの説明も無しに理不尽な目に遭っているのだろう。いや、例え説明があったとしても許せる事じゃないけど。

けれど今は臨也さんの言葉に従う事しか出来なくて、という従わなかったらなんだかもっと怖い目に遭わされそうだったから、僕はせめて泣かないようにと、引き攣る喉奥からどうにか声を振り絞った。

「お、誕生日……おめでとう、ございます」
「うん、ありがとう」

そう言って笑った臨也さんの笑顔は、珍しく心から喜んでいるような類のものだった。臨也さんの表情は笑顔がほとんどだけど、こうして邪気や悪意のない笑みというのは珍しい。たったの一言だけで喜んでもらえたんだと、僕の方まで嬉しくなる。

けれどすぐに、僕は後悔した。
何をって、ケチらずに少し多めにホイップクリームを購入してしまった事を、だ。

「それじゃ、プレゼントはありがたく頂くね」

楽しそうに笑う臨也さんの手にはまた新たなクリームの袋が握られていて、今度は下肢の衣服まで剥ぎ取られてしまう。

「最初から、食べたかったのはケーキじゃなくて君だったんだ」


まあ今日は臨也さんの誕生日なんだし。彼が楽しいのなら、それでいいのかもしれない。
なんて諦めてしまった僕はやっぱり恋人の趣味が悪いのだと、今日改めて自覚した。




(happy birthday 5/4)






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