「だめ」

ぎり、と掴まれた手首が痛い。いつもならば底抜けに明るく、そして甘い響きで僕の名前を呼ぶ彼の表情は、曇天のように曇っている。ふわりとゆれと黒い髪。その奥で輝くピンク色の色彩が僕を真っ直ぐ射抜いて、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。

この人の声は、とても綺麗だ。この人の声には力がある。声というよは、音。確かな存在感を伴うそれは、まるで手に触れられるような質量をもって僕の聴覚を刺激する。彼が紡ぐ音は、まるで魔法の様なそれだ。
名前を呼ばれれば僕の胸は弾んで、甘く囁かれればどくりどくりと鼓動が逸る。悲しげな声音を聞けば僕の胸はナイフでも突き立てられたみたいにじくじく痛む。
僕の心をこうも揺り動かす程の力は、きっと魔法以外の何者でもないんだろう。だから、そんな"音"という魔法を操る彼にこんな冷たい声で拒絶と否定をされてしまえば、僕は抗う事が出来ない。

「サイケさん……」
「だめだよがっくん、それは絶対、だめ」

だめ、を繰り返すたび、サイケさんが僕の手首を握る力を強めていく。ぎりぎり、血流を圧迫されて痛みと苦しさが腕に集中する。真っ白なファーコート、ピンクのヘッドフォン。彼が一歩近づき、僕のサングラスを奪った。

「俺以外の奴に歌うなんて、絶対だめ」
「けど……相手は、マスター、なのに、」

僕らはマスターのために存在してるのに、至極まっとうな意見を投げかければ、わかってる、と不貞腐れたような顔でサイケさんは唇を尖らせる。

「でもやっぱりやだ。学人が俺以外のために歌を歌うなんて。たとえ相手が帝人君でもさ」
「サイケさん……」
「ねえ、学人の声を独り占めしたいって思うのは、やっぱり我儘なのかな」

怒った顔をしていたと思ったら不貞腐れた顔をして、今度は悲しそうな顔をする。サイケさんがこうもくるくると表情を変えるのはとても珍しい。いつも明るく楽しく、にこにこ笑っているサイケさんしか僕は見た事が無かった。

「学人、俺のために歌って。俺は学人の声だけ聴いてればそれでいいし、学人が傍にいてくれれば何もいらない」

手首が離される。今まで握られていた部分はきっと多分、痣になっているんだろう。でも構わなかった。サイケさんが齎されるものが傷でも痛みでも、僕はそれで満足だった。
サイケさんが今言ったように、僕もサイケさんがいてくれさえすればそれでいいのだから。

「ふふ、がく顔赤い」
「っ、これは、サイケさんがっ、」
「好きだよ、がく。だいすき」

鼻先にキスが降ってきた。うわ、と反射的に飛び出した悲鳴を抑え込むように、唇にも落とされる優しい口付け。甘くて熱くて、目の前で微笑むサイケさんの綺麗な顔にまた顔が真っ赤に茹であがる。
ああよかった、やっといつものサイケさんだ。

「ねえがっくん知ってた?」

俺の世界は、黒と白だけだったんだよ。目に映る物も耳に聞こえる音も全部が全部、色のない白と黒だった。つまらなくてつまらなくて、けれど何をやっても黒と白が消える事は無くて、俺は黒と白以外の色を知らなかったんだ。
でもね、

「学人に出会ってから、俺の世界は色づいたんだよ」

君は俺にとって、世界そのものなんだ!


(そんなの、)

僕も同じ、ですよ。
貴方だけが、僕の世界なんです。




モノクロの景色に鮮やかな音で
(cantata様提出)






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