慣れない英語で礼を述べて、僕はタクシーを降りた。人でごった返す景色は池袋とそう変わらないはずなのに、空気や建物はまるで違う。夜にも関わらず街は煌びやかで、ネオンの光が目に痛いくらいだった。

(ラスベガスって……すごいなあ)

田舎者みたいな感想しか抱けずに、少し恥ずかしくなる。重いキャリーケースを引きずってとりあえず歩き始めた。ズボンのポケットから取り出した紙切れには向こうを出てくる時に走り書いた地図が記されている。僕以外には読めないような、むしろ自分でも何と書いたかわからないような、そんな雑な地図。

(カジノ、か。ちょっと行ってみたいかも)

けれど今は寄り道をしている暇もないから、僕は後ろ髪を引かれながらも先を急いだ。




「えっと……ここ、だよね」

外から見上げるだけで首が痛くなる、とても高いマンション。なんと言うか、家賃なんか聞いたら僕は失神してしまうんじゃないかって程豪華さが窺える建物だ。セレブ御用達という言葉が頭の中でリフレインした。

中に入ると、なんとびっくりマンションなのに受付嬢がいるではないか。あれ、もしかしてここマンションじゃなくてホテルなのかな?と疑問に思うも確かめる術は無いし、そもそも入口辺りで僕みたいな日本人がうろうろしてたら怪しまれる事この上ないから、意を決してカウンターまで進んでいく。せめてスーツを着てくれば良かったと、今になって後悔した。

平静を装いながら受付嬢に用件を告げると、美しい金髪の受付嬢は電話をとり、どこかと一言二言会話をした後品のある所作で受話器を置いた。そして中へ続く自動ドアのロックを解除してくれたらしく、どうぞと先を促された。礼を述べ、僕は再びキャリーを引き摺る。
頭を下げた受付嬢の髪色に遠い街のバーテン服が思い出されて、自分は随分と遠い場所に来てしまったのだと改めて実感した。

正直こんな立派で高級感漂う場所なんて今の今まで来た事がなかったから、心臓はどくどくと早鐘を打って緊張しっぱなしだ。嘔吐感がこみ上げるくらいには、緊張している。キャリーを掴む掌も汗ばんでいて、僕は震える指でエレベーターのボタンを押した。
エレベーターの中も一々広く、そして華美だ。赤絨毯まで敷いてあるのに面喰うも、最上階のボタンを押す。上に少しずつ近づくにつれ、本気で気持ち悪くなってきた。思わず口元を手で押さえる。

(はきそう……)

僕ってこんなに繊細な人間だったんだなあ、と今になって自覚した。飛行機はなんとか我慢できたが、根っからの庶民である僕にこんな場所は生理的に無理らしい。
でも、逃げ出すわけにはいかない。引き返さないと、後悔しないと決めたのだから。
やがてエレベータがチン、と音を立てて止まる。開かれた扉から足を踏み出して、最上階に一室しかない部屋のドアを探した。

「ここ、だよね……」

メモに書かれた部屋番号と扉のプレートに書かれた番号を確認する。あの人いつの間にこんな金持ちになったんだ、緊張のあまりずれた事を考えながら、インターフォンに指を伸ばした。が、

「っ!?」

それよりも早く内側から開かれた扉。そして中から伸びてきた腕にインターフォンを押そうと持ち上げていた腕を掴まれ、ありえない力で中に引っ張り込まれた。キャリーががたがたと扉にぶつかり歪な音を立てるも、それも無視して引きずり込まれる。がちゃん、と背後で閉まった扉はかちゃりとオートロックの音を響かせた。

室内は、暗い。僕は僕を中に引き込んだ、そして僕の体を痛いくらいに抱きしめている人の顔を、見上げた。

「いざやさん……?」

小声で問うと、さらりと頬を撫でられる。ふっ、と、耳元に息がかかった。

「帝人君……」

暗闇の中でも光る彼の赤眼は、最後に見た時と何一つ変わっていなかった。年を重ねた風貌とまた伸びたらしい身長に月日の流れを感じるけれど、その人は、変わっていなくて。

僕を愛おしげに見つめる瞳は、何一つ変わっていなかった。

「っ、臨也さんっ!」
「帝人君っ……」

キャリーを手放す。両腕で彼の体に縋りつくと、臨也さんも殊更きつく、強く、僕の体を抱きこんだ。

(ああ、どうしよ)

嬉しいのに、涙が止まらない。

「臨也さっ、あいたかった、です……っ!」
「うん、おれも……」

あいたかった、みかどくん。

「っ、いざゃ、さっ……いざやさんっ」
「……もう五年もたつのに、相変わらず泣き虫だねえ」
「だ、れのっ、せい、だと……」
「うん、俺のせいだよね。でも嬉しいよ、君がまだ俺のために泣いてくれるのが」

流れる涙を拭う臨也さんの指に、また涙がぼろぼろ溢れた。
ずっとずっとこうしてもらいたかった。五年前に離れて行った温もりを、また近くで感じたかった。それが今、こうして叶っている。
夢じゃないのかと思って怖くなるくらいに、彼との再会を心から歓喜する自分がいた。

「夢じゃないよ」
「っ、いざやさん……?」
「俺だってさ、君の事想って泣くくらいには……会いたかったんだっ」

急に体を突き飛ばされたと思ったら、背中が壁にぶち当たる。そのまま体を押さえこまれて、がっつくようなキスをされた。
五年ぶり、だった。あの時はもう二度と交わせなくなるんだろうと思ったキスは、嬉しくて気持ち良くて。

「んっ、ふぅっ、んんっ、んーっ」

口の中をめちゃくちゃに荒らされる。息苦しくて微かに唇を離すも、またすぐに塞がれた。口の端から伝う唾液が気持ち悪いけれど、臨也さんは気にも止めず僕の口内を蹂躙し続ける。舌が絡んで、吸われて、軽く噛まれて、深く深く押し込まれて。

「ぷはっ……ぁ、はぁ……」
「っ、は……」

離れた頃には膝ががくがくと震えていたが、臨也さんがまるで離さないと言わんばかりに体を支えてくれていたから、座り込むには至らなかった。

「相変わらず、キスも下手くそだね」
「っ、わるかっ、た、ですね……」
「いや、嬉しいよ。誰とも、してなかったって事だろ?」

うれしいよ、そう繰り返す臨也さんが瞼にキスを落としてくる。

「……臨也さん、あの時いった言葉、覚えてますか」
「もちろん」


"君が、それでも俺を望んでくれるなら、その時は……"


「僕は、ぼくは、貴方と一緒にいたくて、ここまで来ました」
「……うん」
「ぼくはっ、いざやさんと、一緒に、」

感極まってまた泣きだした僕の頭や背中を、臨也さんは宥めるように撫でてくれる。たまらず胸に顔を押しつけた。臨也さんの匂いが、する。

「帝人君は、それで、後悔しないんだ?」
「……友達にも、お別れを言ってきました。家族にも、話をしてきました。あの街に居た知り合いに、ちゃんと、お礼を、言ってきました」

五年前、僕は自分の無力さに悔し涙を流した。それはその時の僕にはどうしようも出来ない事ではあった。僕はまだまだ子供で、全てを置いていく事は出来なくて、臨也さんを追いかける事も引きとめる事も、出来なかった。
無力でちっぽけな、子供に過ぎなかった。

でも今は違う。

「大学だって、去年で卒業しましたし、もう、僕も、成人しました」
「うん」
「だからっ、だからっ……!」

あの時言えなかった言葉を、今度こそ。

「僕と、一緒に居て下さいっ……ずっと、ずっと、一緒にっ……」

そのために、僕は臨也さんの横に並べるようになるために、この五年間努力をして、そしてここまで来たんだから。

「帝人君……もう絶対、離さないから。何があっても、君が嫌がっても」
「っ、いやがるわけっ……ないじゃないですかぁ……」

五年たって色々と変わったけれど、それでも僕のこの泣き虫なところだけはどうにもならなかった。臨也さんを想っては枕を濡らす事なんて毎日の事だったし、ふと切ない気持に捕われては人目を阻んで一人泣いた。
それでも、泣き虫な僕でも、臨也さんは受け入れてくれるから。

「愛してるよ、帝人君……ここまできてくれて、ありがとう」








"君が、それでも俺を望んでくれるなら、その時は……"



「永遠を、君と誓うよ」











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