帝人君を拾った。

仕事で池袋を訪れていた、その帰りの事だ。
いや、別に"みかどくん"という名前の犬猫を拾ったわけではなく、正真正銘人間の竜ヶ峰帝人を俺は文字通り拾ったのだ。
そう、まさに彼は落ちていた。
これ以上の表現が不可能な程、彼は俺が偶然通りがかった薄暗い路地裏の奥に、まるでボロ雑巾のようにして落ちていた。

痣だらけの頬、刃物で切られでもしたのか出血している左腕、血に染まる制服、満身創痍の体。日常、平凡、普通を具現化したような彼にはおよそ似つかわしくない装いだ。
近くには中身の散乱した鞄が放り投げられていて、財布は見事に空だった。明らかに襲われましたよ、という状態で薄汚い路地の上に転がっている、子供。

(……これまた珍しいものを見つけちゃったなあ)

治安が崩壊しているわけではないが、決して良いとも言えないのが池袋という街だ。カツアゲやリンチもそうそう珍しい事ではない。人気の少ない路地裏へと一歩踏み出せば、そこにはそれらの凶行が日常と化している世界が広がっている事もあるかもしれない。誇張や虚偽ではなく事実だ。
ただ、それに巻き込まれたのが彼だったというだけである。

俺はとりあえず彼の体を持ち上げた。怪我の程度は医者でもない俺が判断できるはずもないし、手当も同様だ。出血も酷いからまずは医者に診せなくてはと思い、そして今に至る。

「ってわけだから、俺は帝人君がどうしてあんな路地裏でぶっ倒れてたのかは知らないんだよね」
「……本当にそうかい?」
「疑り深いなあ、俺ってそんなに信用ない奴だっけ」
「うん」

俺の話をマグカップに口をつけながら聞いていた新羅は一瞬の間も置かずに即答した。彼が手にするマグカップには可愛らしいロゴがプリントされていて、恐らくは新羅専用のマグカップなのだろう。ついでに言えば、この男の伴侶である首なしライダーとお揃いに違いない。
叩き割ってやろうかとも思ったが、後がめんどくさいので目の前に座る闇医者の苦言は聞き流してやる事にした。

「まあ、事情は大体わかったよ。にしてもいきなり血塗れの人間抱え込んでくるもんだから驚いたなあ。とうとう人でも殺したのかと思った」
「……帝人君の怪我の具合はどうなんだよ」
「ああ、怪我ね。それなら心配ないよ、大した事ない。傷も綺麗に消えるだろうから大丈夫」
「そっか……」
「ただ、少し問題がある」

眼鏡の奥の眼光が真剣な色味を帯び、真向かいのソファに腰を落とす出張闇医者はちらりと帝人君が今現在寝ている部屋を一瞥する。マグカップを机の上に置いた新羅は伏せ目がちにその重い口を開いた。

「さっき一度だけ、治療の最中に目が覚めたんだけど……帝人君、視力を失ってる」
「……は?」
「聞こえなかった?盲目、その一歩手前の状態だって言ってるんだよ」

はあ、と深いため息をつく新羅につられて俺まで吐き出しそうになったため息をすんでの所で堪えた。暴行を受けてその影響で視力を失うだなんて漫画の世界の話かよと思ったが、実現してしまったものはしょうがない。
全く、厄介な事になった。

「殴られた場所が不味かったんだろうね。脳に異常は無いけど著しく視力が低下してる。一時的な症状だとは思うけど……回復するかどうかは、微妙かな」
「……つまり、最悪治らないって事?」
「まあ、あくまで最悪の場合、だけどね」

口ではそう言っているが、その苦々しい症状から察するに恐らく目処は立っていないのだろう。医者である新羅ですら予測不能な曖昧な状態に、帝人君は陥っているという訳だ。下手すれば本当に、この先一生視力が回復しない可能性もあるのかもしれない。

「……ったく、ほんと厄介な事になっちゃたなぁ。こんな事ならあんな道通るんじゃ無かったよ、さっさと新宿に帰ってればよかった……にしても帝人君も災難だよねえ、下手したらこのままずっと盲目状態で生活しなきゃいけないわけだし。まだ高校生だから色々と不便も多いだろうしね、ほんと、お気の毒だよ」
「……臨也」
「…………なに」
「イラついてるのは分かったからさ、その顔止めよう」
「……なに、顔って」
「自覚してないのかい?君今、視線だけで人が殺せそうな形相してるよ」

新羅は苦笑しながら再びマグカップを手に取った。俺にも一応コーヒーは出されていたがそれは一口飲んだだけで放置してある。こいつが直々に淹れたらしいコーヒーはぶっちゃけ、あまり美味くなかった。

「もし視線だけで人が殺せるのなら、私は今確実に死んでいるね」
「……新羅」
「なに?」

新羅の言葉は有無を言わさず徹底的にスルーして、俺は自分の用件だけを口にする事にする。決して、自身でも誤魔化そうとしていた苛立ちを指摘されて図星だったから、という理由ではない。断じてない。

「帝人君なんだけどさ、腕の怪我がある程度回復したら俺が面倒見ようと思うんだ。視力が無い状態で一人暮らしなんか、させてやれないからね」
「……臨也、正気?」
「そこで本気、って聞かない辺りがまたムカつくな」
「いやいやいや、真面目な話だって。あのさ、犬猫の世話をするのとは違うんだよ?ってか臨也にそんな道徳的かつ良心的な思考なんて存在したっけ?」
「……お前さ、俺の事なんだと思ってんの」
「永遠の中二病患者」
「…………」

一瞬本気で刺そうか迷う。けど後々の事を考えて即座にその考えは打ち消した。こいつは頭のネジはどっか緩んでるけどそれなりに役立つから、ここで消してしまうにはには惜しい人材だ。まあ融通のきく闇医者でなければ遠い昔にさっさと刺殺していただろうが。


実を言うと、俺は帝人君がこんな状態になった理由に心当たりがあった。鞄と一緒にぶちまけられていた帝人君の私物と一緒に回収した、彼の携帯電話。その携帯が、俺に一つの可能性を推測させた。
彼の携帯はメール作成画面のままになっていた。俺宛てのメールには、しかし本文は何もない。代わりに画像が一枚添付されていて、その画像というのが、数人の男に暴行を加えられている帝人君の姿を写したものだったのだ。おそらくこの画像を俺宛てに送信しようとしたのだろう。
ここまでの判断材料がそろえば、自ずと察しはつく。つまり、帝人君に危害を加えた連中というのは俺に対して少なからずの私怨を抱いてる奴らなのだろう。俺と帝人君は顔を合わせればそれなりに会話をする方だから、一緒に居る所を見られてそれで俺の身内と勘違いされたのかもしれない。そして俺に対する報復として、襲われた。
何とも安直というか単純というか、頭の足りない連中がやらかしそうな事だと呆れのため息すら出て来ない、限りなく事実に近い憶測。

つまり、彼がこうなってしまった原因は俺にあるわけだ。

別に責任を感じたわけでも良心が痛んだわけでも、罪悪感を感じたわけでもない。帝人君の面倒をみると言い出したのは新羅にも指摘された通り、苛立ちが原因だった。
理由は知れない、しかし、彼が他人に傷つけられたという事実は、どうしようもないほど俺の心を苛んだ。腹立たしさと苛立ちが帝人君を発見した時から体の中で燻っていて、それは今現在も消える事は無い。

腹立たしい、不愉快、苛立ち。
あんな状態の帝人君を俺以外の人間の傍に置いておくなんて、不快にも程がある。

「……まあ、君がそこまで強く言うなら止めはしないよ。ただし、腕の傷がちゃんと塞がってからだ。いいね?」

新羅は呆れたようにため息をついた後、マグカップを片手に立ちあがりキッチンへと消えていった。






「お邪魔します……」
「うん、どうぞ」

あれから数日。怪我の状態が良くなった帝人君を引き取って、俺は彼を新宿のマンションに招いた。
新羅の元で過ごした数日の間に少しは良くなるかと期待したのだが、彼の視力は依然として低下したままだ。どうやら物や人の輪郭がかろうじて分かる程度で、後は酷くぼやけた世界しか見えないらしい。色を識別する能力はに支障がないみたいで、それが唯一の救いだろうか。

見えないせいで酷く不安げにきょろきょろとしている帝人君の手を取り、リビングまで導く。とりあえずソファに座らせ何か飲み物でも、と腰を浮かしかけた俺に向かって控え目に腕が伸ばされた。

「臨也さん……この辺に、いますよね?」
「うん、いるよ。どうかした?」

どうやら俺を探して彷徨っていたらしい彼の手を取ると、帝人君の隣に腰を落ち着ける。どこか色の濁った瞳を擦りながら、帝人君は申し訳なさそうに項垂れた。

「あの……ご迷惑をおかけして、すいません」
「迷惑だなんて思ってないよ。帝人君はそんな事気にしなくていい」
「でも……僕なんかがいたら、迷惑ですよ、絶対」

一応、帝人君には俺が彼の面倒をみるという旨を伝え本人から合意を貰った上でこの場所に連れて来たのだが、やはり元来の彼の性格からか、後ろめたさは消えないのだろう。目の見えない人間の世話をする事がどれほど大変か、想像の域を出ないがその手間を理解していないわけではない。
それでも新羅や他の人間に彼の身を任せるという選択肢は、なかった。最初からそんな思考が入り込む余地すら存在しない。何故だろうという疑問を抱くのも馬鹿らしいくらいの、明確な意志だった。

「俺がしたくてしてるだけなんだからさ……気にしないでよ」
「で、も……僕、」

尚も言い募ろうとする帝人君の肩を抱き寄せ、そのまま細い体を抱きしめる。視覚での判断が不可能な帝人君にとって、今自分がどういう状態なのか分からないのだろう。酷く戸惑ったような上擦った声で臨也さん、と俺の名を呼んだ。

「君は、少しは自分の心配しなよ」
「え……」
「君が視力を失った原因は俺だ。それなのに、ここにきてまだ俺への迷惑とかそういう事考えてるわけ?馬鹿だよ、馬鹿」
「う……」
「……少しは、甘えろよ」

子供は子供らしく甘えておけって、そう耳元で囁くと帝人君はようやく自分の体が抱きしめられている事に気付いたらしい、顔を赤くして腕の中でもがき始めた。けれど逃がしはしない。そのまま腕に力を込め返事は?と耳たぶに唇が触れるか触れないか、ぎりぎりの位置で話す。ぴくんと跳ねた肩に気を良くして彼の項をなぞると、帝人君は観念したかのように口をもごもごと動かした。

「あ、の……よろしく、お願いします」
「はい、よく出来ました」

額に口付けを贈ると、帝人君はへ?と間抜けな声を上げてきょとりと首を傾げたが、結局俺に何をされたのかは分からなかったようだ。

目が見えないって結構楽しいなあ、と本人には言えないような楽しさに俺は口元を歪めた。











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