(あついなぁ……)

照りつける太陽がアスファルトに熱をこもらせ、そして温められたアスファルトによる熱気と太陽の日差しと高い湿度があり得ないほどの蒸し暑さを街に生み出す。コンクリートジャングルと呼ばれる東京でのヒートアイランド現象は、否応なく僕のなけなしの体力をじりじりと削っていった。今日の最高気温は何度だったんだろう、そう考えて昨日ネットで確認した今日の予想最高気温を思い出す。確か三十三度って予想ではなっていたっけ。でも確実にそれ以上の気温を記録しているんじゃないだろうか。そう思うほど、街は暑かった。

今日の授業は校舎内のワックスがけ作業のため五限までしかなく、放課となったのはお昼を二時間ほど過ぎた頃、つまりは一日で最も暑くなる時間帯だ。教室の窓から眺めるだけで暑さが伝わってきそうな太陽の照り具合に、下校のために外へ繰り出すのがとても億劫になる。今日だけは学校に泊まっていきたいなどという実現不可能な望みを抱く程、校庭から立ち込める陽炎が外へ出ることを躊躇わせた。
涼しくなる時間まで校舎内で時間を潰す事もワックスがけ作業のせいで出来ないし、酷く憂鬱で億劫で気のりは全然しなかったけど、仕方なしに僕は鞄を片手に重い腰を上げ学校を後にする。

昇降口から一歩外に出るだけでむわりとした熱気を孕む空気が全身に纏わりつく。日本特有のじめじめとした湿度の高い夏はこれだから嫌いなんだ。とは言っても僕は日本以外の地で夏を体験した事は無いから、本当に日本の夏が他の国と違って湿度の高いものなのかは断言できない。けれどこの国以上に湿度の高い夏なんて早々あってたまるか。むしろあったらあったで問題だと思う。夏場には迂闊に旅行にもいけないという事になるからだ。

(……旅行に行く予定も資金も無いけどさ)

暑さのせいだろうか、思考がどんどんおかしなものになっていってる気がする。いかんいかんと頭を振って意味不明な考えを振り払う。今は一刻も早くこの暑さから抜け出す、それだけを考えよう。

頭上でさんさんと陽光を降らせ続ける太陽の光は今の僕には毒同然で、正直道を歩いているのがやっとだ。今日は朝から体育でプールの授業があったから、変に体が疲れている。水中のスポーツはこの時期にはうってつけと思われる事が大半だろうけど、さして運動の得意じゃない僕にしてみれば疲れが溜まる授業でしなかい。
鞄の他に肩にかけている水着の袋が心なしか段々と重く感じられてきて、どうやら割と本気で体力を削られているらしいと実感する。背中や額や襟足から汗が流れる度に腕で拭うけど、それすらも面倒だ。面倒と言うか、疲れる。
歩道を歩く人の群れ、道路を走る車の数々、何処かで煩いくらいに鳴いている蝉の声。そのどれもが暑さを増長させる要素で、僕は視界がくらくらしてきた事にようやく気付いた。

(……どっかで休もう)

でないと家に付く前にぶっ倒れる。絶対に。
頭が暑さでぼーっとして汗はだらだら流れてきていて足元がふらふらする。熱中症なんて今の今までなった事無いけど今ならなれそうな気がする。いやなりたくはないんだけど。
どこか休める場所を、と辺りを見渡すけど生憎と喫茶店の類が見当たらない。変わりに珍しいものを見つけてしまった。いやそれほど珍しいってものでもないけれど、僕にしてみればやっぱり珍しいに部類されるそれは僕の視線にいち早く気付いてこちらを振り返った。

「こんにちは帝人君。今日は学校早いんだね」
「こんにちは……今日は、学校でワックスがけがあるとかで……」

あれ、変だな。何だか言葉を紡ぐのも一苦労だ。こんなに声帯を震わせて発声する作業が気だるいなんて。
僕にしてみれば珍しいそれ――臨也さんは、僕の様子に微かに首を傾けた。

「……大丈夫そうに見えないけど、暑さにやられた?」
「は、い……ちょっと、今日は暑すぎますから……」

ぼーっとする頭で必死に臨也さんを見上げる。なんか珍しいなあと思った原因は彼が新宿主体の人間だから、というのだけが理由ではない。彼は自身のトレードマークとも言えるファーつきのコートを、今日は着ていなかった。黒のシャツに黒のパンツという出で立ちが見慣れなくて、だから珍しいと思ったのだろうか。

「大分まずそうだね……ちょっとおいで」
「へ……わっ、」

ぐい、と腕を引かれて横断歩道を渡る。背中を伝う汗の感触が気持ち悪くて、けど臨也さんに掴まれた腕の感覚はやけに曖昧だ。やっぱり僕、相当暑さにやられているんだろうか。不思議と喉は乾いていないのに体だけがやけに暑さを感じる。
ぐいぐい腕を引っ張られて連れて来られたのは公園だ。けっこうな広さの公園にはちらほらとしか人影が見受けられなかったけど、臨也さんはずんずん奥に進んでいく。公園には取り囲むような立派な木々がたくさんあって、都会にの割には中々に緑が多い事が伺える。そんな緑の多い公園の奥の奥、最奥に茂る木の密集地帯に連れて来られると、臨也さんは木陰に入りこんで座りなよ、と僕を木の根元に腰かけさせた。

「ありがとうございます……」
「暫く休むといい。多分君熱中症になりかけてる」

臨也さんは立ち上がると木陰から出て行った。改めて辺りを見回す。
遊具や砂場から離れてる位置にある木と木の間だからあまり人目に付かない、それでいて車の音も微かにしか聞こえない静かな場所だった。木の他に道路と公園の境には植え込みも植えてあるからちよっとした自然空間みたいだ。先程までの暑さや熱気が嘘の様に、今は涼しさしか感じられない。
自然の力ってすごいなあと相変わらずぼーっとする頭で考えて、僕は肩に下げていた水着の袋を脇に下ろす。鞄もまとめて置くと膝を伸ばして体を木に寄り掛からせた。見上げても視界に入るのは青々とした葉っぱだけで、さわさわと揺れる度に聞こえる音がまた清涼感を煽った。

「はい、」
「え……」
「飲みなよ」

いつの間に戻ってきたのか、臨也さんが僕に向かって差し出していたのは清涼飲料水のペットボトルだった。反射的に受け取ると臨也さんも自分の分のペットボトルを開けながら僕の隣に腰を下ろす。お金を払おうと鞄に腕を伸ばすも、財布を取り出す前にそのくらい奢ってあげるよと言われてしまい、心苦しくありながらもキャップを捻って開けた。

「ありがとうございます……」
「いいって。それより君に倒れられた方が面倒だ」

言って、臨也さんはボトルに口を付けた。ごくりと嚥下する度に動く喉仏に目が釘付けになる。

「……なに、」
「あ、いや……よくこんな涼しい場所、知ってましたね」
「……前にね、シズちゃんから逃げてる時に見つけたんだ。もっともあの時は冬だったからこんなに葉っぱなんかついてなかったけどね」
「そう、なんですか……」
「今日みたいな暑い日には最適な場所なんだろうなって思ってね」

僕もペットボトルに口を付ける。なんとかして臨也さんから視線を反らしたけれど、目線はまた勝手に隣の彼に吸い寄せられた。
臨也さんも暑いと感じてはいるみたいだけど、横顔からは全くそんな感じが見受けられない。頬が上気しているわけでも全体的に暑そうにしているわけでもなく、どちらかと言うと涼しい顔をしていた。暑さで眩暈すら感じている僕とは大違いだ、とちょっと羨ましくなる。
臨也さんはもしかしたら暑さに強い人なのかもしれない、そう考えた所でそれを目にしてしまい、僕は息を飲む。

「っ……」

なんて事はない、ただ一筋、臨也さんの額から顎を伝って首筋まで汗が流れただけに過ぎない。臨也さんだって人間だ、いくら暑さに強かろうが今日みたいな殺人的な暑さの日には汗くらいかくだろう。
ただ、なんというか、どういうわけか僕はその光景から目が離せなかった。僕とは違う発達した喉仏だとか浮き出た鎖骨だとかあまりにも秀麗な横顔だとかに、この人が大人の男である事をまざまざと実感させられる。そこを伝う水滴が妙に色っぽいというかかっこいいと言うか、なんと言うか、見ててとても顔が熱くなった。
色気とか男性ホルモンとか、そういう類のものが今の臨也さんから発せられていて、それが原因でこんなにも心臓がどきどきして顔が熱くなっているのかもしれない。そもそも臨也さんは男で僕も男なんだから男性ホルモンとやらにどきどきするはずはないんだろうけど、やっぱりそれも今の僕の頭が暑さでやられているから正常に動かないだけなのかもしれない。

(な、んだろ……これ、)

顔が熱くって心臓も煩くなって、先程までとは違う暑さで僕の体は支配される。頭がぼーっとして体全体が暑さで気だるくって、そして今度は内側も死ぬほど暑い。どきどきと脈打つ心臓が止まらない。
なんだろう、これ、本当にどうなったんだろう僕の体。
これ以上臨也さんを見ていたらもっとおかしくなる気がして慌てて視線を彼から剥がした。両手で握り締めたペットボトルを見つめる。けれどどきどきは止まらなくてむしろすぐ隣に臨也さんがいるという事を明確に意識してしまって、さらに動悸は激しくなった。

暑い、木陰に入ったことで止まっていた汗がまた噴き出す。背中がじわりと湿ってくる感触が気持ち悪くて、熱い頬を冷まそうとペットボルに額を押し付けた。けれど熱さは消えない、体中が熱い、どきどきする。臨也さんが隣にいるってだけで、どきどきする。

(なに、これっ……ほんと、どうしたの僕っ、)

理由の分からない熱さに泣きそうになった。僕の気持ちを無視して熱だけはどんどん上昇していく。暑さと熱さで苦しくなった息を極力小さめに吐き出した。震えだしそうな体も、必死に抑える。
心臓が煩い、蝉の音が煩い、体が暑くて熱い、頭がぼーっとする、息苦しい、汗が気持ち悪い、体が震える。眩暈が、する。

(あっ……)

耐えきれなくて涙が溢れそうになった。じわりと潤みだした視界に怖くなる。自分の体の制御が全く利かなくて、本気で声を上げて泣きたくなった。

「……無防備、」

呟かれた言葉は確かに臨也さんの物で、僕はえ、と彼の方に顔を向けようとする。顔を向けようとしたのだけれど、それよりも早く腕を掴まれて体を引き倒された。状況を理解するよりも先に腹の前に腕が回され背後から耳元に息がかかる。背中には体温と重み。
臨也さんに、後ろから抱き締められている。

「い、ざ、……」

実感した途端、今までの比じゃないくらいに体中、それこそ全身が火を点けられたかのように熱くなり心臓も破れんばかりに暴れ出した。

(なにっ、なんで、なんでっ……)

ぼろ、と耐えきれなかった涙が落ちる。心臓が煩い、どきどきする胸は痛いくらいだ。腹に回された臨也さんの腕の感触と背中に感じる体温と耳元にかかる吐息、そして何より鼻に付く甘くしっとりとした男の香りに、冗談じゃなくくらくらした。

「……塩素の匂いする。今日プール入った?」
「っ、いざやさんっ……!」

項に顔を埋められたと思ったら濡れた感触が首筋にして、汗の伝う感触ではないそれに喉奥から引き攣った声が出た。

「っ……や、め……」
「なんで?」
「な、んでって……僕、汗臭い……っ」
「そんな事ないよ」

みかどくん、いいにおいする。

耳元で低く甘く、そして心なしか熱のこもったような声で囁かれてぎゅぅと目を閉じた。恥ずかしい、どきどきが煩い。僕の体をホールドして離さない彼の腕を剥がそうと手を添えてみるけれどそこに大した力が入れられない事に気付いて、僕は緩く首を振った。逃れようと微かに体を捩る。

「……逃げるなって、」
「っ……!」

またべろり、項を舐められる。
信じられなかった。汗が伝うそこを舐めるだなんて、正気じゃない。人の肌がどんな味をしているのかなんて僕は知らないけれど、少なくとも今の僕の体は全身汗まみれで、しかも今日はプールにも入ったわけだから舐めたってちっとも美味しくなんかない。そもそも何で舐められているのかが分からない。
なんで、どうして、臨也さんはこんな事。

「……意識しすぎなんだよ、俺の事」
「、え……?」
「心臓もすごいどきどきしてるし、」

襲われたいの?僕の左胸に掌を宛がいながら、冗談めかしてでもふざけてでもなく真面目な声音で囁かれて何も言えなくなった。別に図星だったからとかじゃなくて、単に頭がさっきよりも酷くぼんやりしてきたからだ。

(あ、つい、)

この気温のせいなのか臨也さんの近すぎる体温と匂いのせいなのか、よく分からない。多分どっちもなんだろう。ちらりと視線を脇に落とすと折角買ってもらったペットボトルが倒れていて、中身が地面に染み込んでいた。もったいない、と思う思考が白く曖昧になっていく。

「みかどくん、」
「っん……いざやさん……っ」

項を舐められて緩く歯を立てられた。ぴくんと跳ねる体をぎゅっと寄せられてさらに密着させられる。項から耳に移動した舌が耳の形をなぞる様に這わされた。

「っ、ひ、……」

くちゅりと絡む唾液の音が聴覚を刺激する。僕はもう目を開けてる事が出来なくて、むしろ開けていたらぼろぼろと泣いてしまいそうでただひたすらに目を閉じていた。臨也さんの片腕がズボンの中に入れられていたシャツを引き出す。そのままシャツの間に大きな掌が入り込んできて肌を弄られた。
触れられた個所からどんどんどんどん、熱が広がる。

(あつい……)

もうそれしか考えられない。相変わらず頭はぼーっとして心臓はうるさくて体はけだるくて、でも臨也さんの体温とかははっきり感じられて項をしきりに舐める舌の感触は生々しくて、熱くて暑くてあつくて。

おかしく、なりそうだった。

「いざやっ、さんっ、」
「……なに、」
「っ、あついです……」

おかしくなりそうです、こんな事彼に訴えても何にもならないって分かってた。けどもう我慢なんて出来なくて、あつくてあつくてあつくて苦しくて。
誰でもいいからこのあつさを拭ってほしかった。

「……いいよ、」

おかしくなっちゃいなよ、そんな風に囁かれて僕はもう抗えなかった。ぼんやりとした頭もまるで陽炎のように歪んでいた視界も、白く白く曖昧にふやけて、溶けていく。


今日この日、池袋の街は過去に例のない最高気温を、記録した。










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