「帝人、お前髪伸びてきたんじゃないのか?」

池袋に越してきて二か月と半月ほどたった日の事だ。ようやく学園生活にも池袋での生活にも慣れてきた、六月の半ば。今日の昼休みに紀田君からそう言われたのを思い出して、僕は帰宅途中だった足を止める。近くの店のウィンドウを覗きこんで自分の姿を見た。

(けっこう、伸びたかも)

右手で前髪を掴む。まだ目にかかるほど伸びているわけではないけれど、このまま放っておけば時間の問題かもしれない。そろそろ夏も来る事だし長いと邪魔になってしまうから、今の内に切ってしまった方が良いだろう。

(でも、なあ)

窓ガラスから視線を足元に落として、うーんと唸る。正直に言うと、お金が無い。都会は田舎と比べてなんだって値が張る。都会だからこそのディスカウントストアというのも結構この二カ月ちょっとで見つけたが、生憎安い理容店というのはまだ見つけていなかった。そもそも生活に直結する部分でもないため、興味もなかったのだ。
所詮は貧乏学生、散髪も出来るだけ安く済ませたい。でも安い店も知らない。八方ふさがりだ。もしかしたら紀田君ならばそう言う事にも詳しいかも知れないし、明日学校に行ったら聞いてみようと心に決めて、また帰路を歩き出す。

「自分とのにらめっこはお終い?」

歩き出そうとした絶妙なタイミングで、声が掛けられた。今まさに僕が向かおうとしていた進行方向に、彼は立っている。いつからそこにいたのか、言葉から察するに結構前から自分の行動は見られていたらしい。

「あ……こんにちは、臨也さん」
「こんにちは帝人君。ガラスとにらめっこなんかしてどうかしたの?」

人当たりの良さそうな、けれどどこか裏のある笑みを浮かべて臨也さんは僕の方に近づいてくる。やっぱり大分前から僕の事を見ていたらしい。それに気付いて若干恥ずかしくなった。なんだか居たたまれなくなって、誤魔化すように僕は口を開く。

「いや、その、髪が大分伸びてきたなーって思って」
「ああ確かに、言われてみればそうだね。最初に会った時より伸びてる」

切りに行った方がいいんじゃない、と至極まっとうな意見を臨也さんは述べてくれた。けれどその言葉には即座に頷けない。先程にも述べたように、僕は貧乏学生なのだ。月末になると生活が苦しくなるくらいには、余裕が無かったりする。まあこんな一介の男子高校生の悩みなんかを目の前の臨也さんに言ったところでどうにもならないのだけど、僕はついつい口を滑らせてしまった。
情報屋である彼ならば安い店も知っているかもしれない。そう考えて、いやそれはないだろうと僕は自分で自分に突っ込んだ。
安い理容店の情報なんて、誰が欲しがるというのだろうか。僕みたいな高校生を商売相手にしているわけでもあるまいし。

「安い店ねえ……俺もそういうのあんまり頓着しないから分かんないかな」
「そうですよね……すいません、いきなり変なこと聞いちゃって」
「ああ、いいって別に」

臨也さんの返答はやはり予想通りで、僕は肩を落とす。やっぱり最後の希望は紀田君しかいない。紀田君に僕の財布の全てを委ねよう。
そんな決意を心の中で固めていると、ああそうだ、と臨也さんが名案を思い付いたとばかりに明るい声を上げた。

「もしよかったら俺が切ってあげようか」
「え?」
「俺一応資格持ってるけど」
「……嘘ですよね?」
「さあどうかな。あ、でも切ってあげようか?っていうのはホント」

にこにこと臨也さんは笑っている。その表情と口調だけではどこまでが冗談でどこまでが本気なのか、僕には判断が出来ない。まず資格を持ってる、っていうのがすんごい怪しい。けれど「お金は取らないからさ、それなら帝人君の財布も安心だろ?」という言葉に心が揺れ動いてしまったのも事実だ。
基本的に、不器用な人ではないと思う。この人のナイフ捌きはとても危ないけど見事なものだし、多分、少し短くしてもらう程度なら失敗もないだろう。きっと。

色々と心の中で葛藤する事数秒、結局僕はタダの誘惑に勝てなかった。
もう一度言う、僕は貧乏学生なのだ。




「長さはどれくらい?」
「えっと、前ぐらいに短くして欲しいんですけど」
「わかった」

連れて来られたのは臨也さんのオフィス兼自宅らしい、新宿の立派なマンションだ。一介の高校生が髪を切ってもらうなんて目的で訪れていい場所ではない気がする。いや気がするんじゃなくて確実に。

適当にその辺の椅子に座らされて服の上からバスタオルをかけられる。理容店で使われるあの前掛けみたいなシート代わりなんだろう。驚いたのは臨也さんが鋏を一式所持している、って事だろうか。もしかしたら、実は本当に資格持っているんじゃないだろうかこの人。

「それじゃ、切るよ」

さらりと臨也さんの指が後ろ髪を掬う。僕は緊張と不安の両方を抱えながらただじっとしていたけれど、淀みなく動く鋏はお店の人とそう変わらない気がした。なんて言うか、普通に上手い。普通に店で切ってもらってるみたい。
もちろん僕の目の前に等身大の鏡なんて置いてあるわけではないから背後に立つ臨也さんの姿は見えないし、ただ髪を切ってもらってる感触と鋏の音がするだけだけれど、不思議と不安や緊張は消えていた。
さらさらと臨也さんの指が髪の毛を攫う度、妙な心地よさに襲われる。

(……なんか、臨也さんの指って)

気持ちいい、かも。




「はい、出来たよ」

鏡を差し出されて覗きこむと、そこにはさっぱりした僕がいた。ちゃんと僕の希望通りの長さに切ってくれたらしく、不自然さは無い。本当にごく自然な仕上がりだ。

「ありがとうございます、臨也さん」
「どういたしまして」
「臨也さんって器用なんですね」

髪の毛が大分かかってしまったバスタオルを慎重に体から外しながら、臨也さんを見上げる。彼は相変わらずにこにこと笑いながら鋏を片付けているところだった。

「ああ、それともしよかったらシャワーも浴びて行きなよ」
「へ?」
「髪の毛、落とした方がいいって言ってるの」

切った直後だしね、そう言いながら臨也さんは僕の髪を軽く撫でた。

「いいんですか」
「別に構わないよ」
「ご迷惑じゃありません?」
「家主の俺がいいって言ってんだからいいの」
「けど……」
「なに、もしかしてカットだけじゃ物足りなかった?」

顎を捕えられて上を向かされた。真上から落ちてくる臨也さんの視線とその顔の距離の近さに、うわ、と間抜けな声を上げる。赤味を帯びた瞳が悪戯気に細められた。

「お望みならシャンプーもしてあげようか?」

そう笑う臨也さんの言葉の意味を汲み取って、僕の顔は発火したかのように赤くなる。勢いだけで椅子から立ち上がり彼の手から逃れると「お借りします!」と言い残してリビングを出た。
場所は聞かなかったけれど案外すんなりと見つけられた浴室の扉を開けて脱衣所に入る。そのままずるずると壁伝いにしゃがみ込んで、僕は顔を隠すように膝に埋めた。

(危なかった……)

もう少しで、シャンプーも、と強請ってしまうところだった。
それくらい、臨也さんの指は心地よかった。

(……また髪が伸びたら、切ってもらおうかな)

そこまで考えてはっと我に返った。図々しいにも程がある。ちゃんと自分で安い店を見つけなくては、甘えてしまうのはよくない。そもそも次も引き受けてくれるかどうかも怪しいし。

立ちあがって服を脱ぐ。浴室の扉を開けた。
他人の家の浴室に緊張しながらも、ふと僕は考える。

「なんで臨也さん、いきなり切ってくれるなんて言ったんだろ」

多分気まぐれなんだろうなあ、と呑気に推測してシャワーのコックを捻った。










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