実を言えば、同性からそういった目で見られる事は初めてではなかった。学生の頃も何度かあったような覚えがある。最初は噂で耳にした程度だったが、その後しばらくして直接同性から告白を受けた時は、それはもう驚いたものだ。もちろんその告白は丁重にお断りをしたが、その日以来、幽は自分の容姿が女性だけではなく男性の目も惹いているのだという事を自覚した。
自覚しただけで、取り立てて日常が変化したわけではない。表立った同性からの接触はそれ以降皆無であったし、それらしい噂はその後も耳にしていたが実害的なものは全くと言っていいほどなかった。
それが兄の存在による抑止が効果を発揮していたからだと気付いたのは、二か月前のあの出来事が切欠だったというのは皮肉な話だろうか。

とにかく、油断していた。油断というよりも、自分がそういう目に遭う事自体を想定していなかった。自覚しただけで注意は怠っていたために、今回の災厄は幽の身に降りかかったのだ。




二か月前のあの日、撮影現場で初めて顔を合わせた三人の同業者に誘われ、幽は打ち上げに参加した。人は多い方が良いだろうという事でその三人の友人も呼ばれ、幽も含めた六人ほどで酒を飲んでいた。
その時から、気になってはいた。打ち上げならばスタッフも参加するのが常だが今回は六人以外のスタッフは皆無。たまにはこういう事もあるかと気にしなかったのだが、思えばあの時少しでも異常に気付いた時点で訝しんでいれば、事態は最悪の結果に結びつかなかったかもしれない。今となってはもう、後の祭りでしかないが。

その後の事は、はっきりとは覚えていない。多分酒に薬を入れられたのだろう、幽は意識を失ってしまったのだ。気付いた時にはもうそのあたりのホテルに連れ込まれていて、体はベッドの上に押さえつけられていた。
酒のせいで力の入らない体では抵抗も虚しく、まさに地獄のような数時間だった。

終わった後も写真をネタに揺すられ、結局どうする事も出来ないまま二か月、この脅迫によって成立してしまった関係は続いている。
もちろん、こんな行為に対しても嫌悪や苦しさや辛さという物は大いに感じてはいるが、幽はそれ上に、この事が静雄に知られてしまうのが怖かった。写真を兄に見せると脅されてさえいなければ、幽自身の手でどうとでもこの事態を対処する事は出来ただろう。現にそれが出来るだけの力や芸能界での地位を、幽は持っている。

ただ、怖かった。兄に知られて、あの写真を見られて、軽蔑されでもしたら。
それを想像するだけで幽の体は簡単に竦む。二か月もの間、この屈辱的な関係を続けている理由はそれが一番大きかった。


誰にも知られてはならない、これは自分自身の手でで完全に痕跡も残さず決着をつけなくてはならない。
そう決意していた矢先、トムに出会ってしまったのはまさに誤算と言えよう。そしてトムに全てを吐露してしまった事も、誤算だった。それほど、自分の心を抑えきれなくなるほど、自分の精神は限界だったと言う事だ。

昔からそうだった。トムには静雄とは違う、どこか安心できる温かさがあった。彼の人柄にもよるのだろうが、幽はトムの事を存外好いている。心を許している数少ない知人だと言ってもいい。
だから正直、あの夜にトムと出会えた事は結果的に幸いだった。トムに話したことで幾分か心が救われたからだ。あれ以上無理をしていれば、自分は何処かで狂っていたかもしれない。

(兄さん……)

トムにはああ言われたが、幽はこの事を静雄にいうつもりはなかった。全て、自分でなんとかすると決めたのだ。兄に余計な心配をかける事はしたくない。

(こんな俺、絶対に知られちゃだめだ)

その時だ、枕元に置いていた携帯が着信を告げる音を鳴らす。シーツにくるまっていた幽は携帯を掴むと届いたメールに目を通して――そのまま携帯を壁に向かって叩きつけるように投げつけた。
がん、と鈍い音がする。床に落ちた携帯の液晶は、薄暗い室内の中で不気味に発光していた。

「……っ」

ぎゅっとシーツを強く握り込む。
メールは、彼らからだった。昨日今日やったばかりだというのに、明日も呼び出しをかけてきた。いや、日付的には既に今日だ。今のはそのメールだった。

(さいあくだ……)

夜に慣れた目で枕元の時計を一瞥する。時刻は午前三時過ぎ。今日の仕事は休みだ、時間的には問題ない。
問題があるとすれば、やはり幽の身体的負担と精神的負担だろうか。二か月たった今も、当然ながらあんな行為に慣れるはずも無く行為の直後は熱を出すほどだ。それに加えて精神的な疲労も相当溜まる。
今回は特に酷かった。いつもより人数が多かったのが原因だろう。トムに出会っていなければ、一人で家まで帰ってこれたかどうかも怪しい。

(少し、寝よう)

夕方には家を出なければ、とアラームをセットする。
どんなに体が悲鳴を上げようが、どんなに気持ちが拒否反応を示そうが、どんなに具合が悪かろうが、行かなくてはならないのだ。
でなければ、兄に知られてしまう。どういう経路で知ったのかは知らないが、奴らは静雄の携帯番号とメールアドレスを知っているらしかった。幽が呼び出しを無視しようものならば、容赦なく写真を送られてしまうだろう。

(それだけは、絶対に……)

先程トムに撫でられながら散々泣いたせいだろうか。安息と不安が入り乱れた自分の心情すら忘れながら、幽は深い眠りに落ちた。




「ん……」

まるで二日酔いのように重たい瞼を持ち上げる。目に入るのは相変わらず薄暗い室内だけで、幽は一瞬ここが何処だか逡巡する。だがすぐに見慣れた自室だという事に気づき寝返りを打った。
室内が暗いという事は外もまだ暗いらしい。夜明け前なのだろうか、それならば二度寝しようと思い携帯を手探る。たがそれは昨夜投げつけてしまい手元にはない事を思い出して、仕方なくサイドボードの目覚まし時計に手を伸ばした。

「え……」

文字盤を覗きこんで幽は目を疑う。時刻は午後七時十二分。どうやら自分は半日以上も熟睡していたらしい。目覚ましの音にも気付かないほどに。

血の気が引いていく感覚が、気持ち悪かった。

幽はがばりとベッドから飛び降りると携帯を拾い上げた。メールをチェックするも一通も届いていない。嫌な予感が、する。いやむしろ嫌な予感しかしない。
もうとっくに指定された時間は過ぎていたが、このままじっとしているなんて事は到底出来なくて、幽は携帯の他に財布だけを引っ掴むとそのまま家を飛び出そうとした。

したのだが、タイミングが良いというか悪いと言うか、丁度その時ピンポーンとチャイムが鳴り響いた。焦る幽の心境をあざ笑うかのように間の抜けた、音。
急いでいたために相手を確認する事も忘れ、幽は苛立ちながら玄関を開ける。勧誘なら帰ってもらおう、集金ならまたにしてもらおう、そんな事を思いながら開け放った扉の向こうには、

「……にい、さん」

嫌な予感しか、しない。

己の兄が、立っていた。










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