「俺がなんでナイフなんて危ない凶器を好んで使ってるか分かる?」

ぽん、と放られたナイフはカシャンとコンクリートの上に落ち、そのままカラカラと滑った。僕はナイフの動きを視線だけで追う。首は動かせない。下手に動かしてしまえば、僕の体を後ろから羽交い絞めにしている男が、突きつけているナイフを刺してくるだろうから。

眼前に居るのは臨也さんたった一人。こちら側には、僕を拘束している男を含めて四人ほどいる。ナイフを捨てろと言った不良たちの要求をあっさりと飲んでしまった臨也さんの手元には、ナイフはない。丸腰だ。

それなのに、その顔に浮かぶのはどこまでも余裕の笑みで。

「ナイフはさあ、目に見えて傷が分かるから好きなんだ。出血量とか抉られた傷口とって全部視認できるだろ?だから分かりやすいんだ、あとどのくらい血を流したらこいつは死ぬだろうなあ、とか、このぐらい深い傷なら神経切れてるだろうなあ、とか」

ぺらぺらと語るその口は動かす事を止めない。僕は内心、ひやひやしていた。臨也さんの態度が不良たちを刺激しないだろうか、その点ばかりが心配だった。もちろん、臨也さんがこの不良達に危害を加えられるのではないか、という不安もあったが、やっぱり僕は自分の身が可愛い。
とにかく、心の中で必死に祈っていた。

(ああお願いします臨也さん、これ以上この人達を刺激しないでくださいっ)

こんな事ならば、いかにもガラの悪そうな不良の皆さんに囲まれてしまった時点で、さっさと財布を明け渡していればよかったんだ。
それなのにずるずると路地裏なんかに引き込まれてしまって、僕がしり込みしているうちにどこからか現れた臨也さんが不良達を挑発してしまって、その挑発にあっさりと激昂した不良達がナイフを取り出して僕を人質?にしてしまって、対抗したからかどうかは分からないけど臨也さんもナイフを出して不良達と対峙して。

後はもう、知っての通り。不良達が僕を盾にしながら臨也さんに突き付けた要求は、「ナイフを捨てろ」のただ一つ。
どうやらこの不良達は臨也さんの事を少なからず知っていたらしい。この人の異常性というか、人とはちょっとずれた人間性というか、そういうのを理解しているからこそ、ぺらぺらと喋っているだけの臨也さんに未だ襲いかかろうとはしないのだ。

「でも逆に素手は好きじゃ無い。ほら、殴打って中々外傷にならないから怪我の程度が分かりにくいだろ?俺はどっかの馬鹿みたいに怪物並の力を持ってるわけじゃないから、殴る蹴るだけだとどこまでがセーフでどこからがアウトなのかっていう匙加減、わかんないんだ。それで前に一度人を殺しかけて、それからかな?ナイフ持つようになったの」

不良達は明らかに、臨也さんに恐れを抱いていた。皆顔面蒼白だったのがその証拠だ。彼を前にすれば、誰でもそうなるだろう。少しでも理知的な人間ならば、彼の態度とか言動とか雰囲気とか、それら全てが異質だと気付くはず。

僕もそうだ。

臨也さんの思考は、読めない。先が見えない、底が見えない、故の、恐怖。

現に僕も、数の上では圧倒的優位に立っている不良達も、今臨也さんが何を言っているのか、何を言いたいのか、何をするつもりなのか、全く分からなかった。
臨也さんが何故ナイフを使っているかなんて、そんなの一体誰が知っているって言うんだよ!

「つまりさ、俺が刃物を好きなのは単に殺傷能力が高いから、って理由だけじゃなくて」

そして、一瞬、だった。
臨也さんの瞳がすぅっと細められたかと思うと、彼に一番近い位置に立っていた不良の一人が急に膝をつく。え?と、僕も僕にナイフを突き付けている不良も残りの二人も唖然とした。
臨也さんの姿が、一瞬消えた。

「素手だと手加減出来ないから、なんだよ」

歪められた口元が作る笑みは、まさに悪魔の微笑みのように僕には感じられた。たった一瞬の間にみぞおちを殴られ膝をついてしまった不良の顔面を、臨也さんは容赦なく靴の裏側で蹴り上げる。嫌な音が、した。

「ああ、ごめん。鼻折れちゃった?でも加減が分からないから、許してよ」

顔を抑えて悶える不良の腹に、もう一発蹴り。それまで呆然と仲間が蹴られる姿を見ていた残りの二人は、我に返って臨也さんに襲いかかろうとした。反撃をしようとしたのだろうけど、臨也さんはあっさりと二人の拳を交わしてしまう。

(う、わ、)

痛々しくて、僕は正直目を背けたかった。けれど相変わらずナイフは首元に突きつけられたままで、拘束する不良の腕は緩まないから動く事が出来無い。

臨也さんのとった行動は、実に分かり易くかつ残酷だった。まず、一人の不良の顔面に肘鉄。そのままもう一人の方の側頭部に華麗な回し蹴り。ちなみにこの時点で既にぼき、という嫌な音はしていた。
倒れてしまった不良の右手をまるで煙草を踏み潰すかのように踏み、そして懸命にも倒れるまでには至らなかったもう一人の不良の顔面に右ストレート。右手を踏まれた方の男は指の骨を折られたのか、悲痛な呻き声をあげている。ストレートを喰らった男は臨也さんの指輪で皮膚が切れたのか、右目辺りから大量に出血していた。

「さて、ここで殺し合いの定石も分かっていない憐れな素人君達に、俺がありがたい御高説を聞かせてあげよう」

臨也さんは血に伏せている三人のうち、一人の頭を踏みつけながら大仰に手を広げて見せる。この狭い路地裏に広がる惨劇の舞台に立つ人間には相応しくないような、輝かしさを持って。

「まずその一、数が多けりゃ勝てると思ったら大間違い。その二、相手が丸腰だから勝てると思ったらそれも大間違い」

そして、ただ一人愉快に笑う臨也さんは、ポケットに手を入れた。
もう既にこの時点で、僕を捕まえている男は臨也さんへの恐怖のあまり体が震えていた。だから、僕が少しでも体を動かせば逃げられたかもしれない。それでも僕はそれが出来なかった。

僕もこの男達と一緒だ。
臨也さんに、恐れ慄いていたのだ。

その三、と陽気な声が血まみれの路地に響く。臨也さんはするりとポケットから手を抜いて、握っていたものを投げた。

「目に見える凶器だけが相手の全ての武器だと思ったら、大間違い」

ぐさりと、僕を捕まえていた男の腕にナイフが刺さる。

広がる血の匂いと悲鳴、僕は放り投げられるように解放された。つんのめった体は臨也さんに受け止められる。あんな血の中にいたというのに、彼からは鉄の匂いなんてこれっぽちもしない。
その不自然さが、逆に恐怖だった。

「とりあえず、手を出した相手が悪かったんだよお前ら。次に顔を見せてみろ、死にたいって思うような人生歩ませてやるよ」

ぞくり、背中が震える。
僕は臨也さんの顔を見ていない、彼の胸に顔を埋めているからだ。けれど声だけで、体は恐怖を認識して戦慄した。時々垣間見せる危うさと狂気、それが惜しげも無く前面に出されている。口調はこれでもかというほど明るいのに、その声に秘められた殺意とも憎悪とも違う、純粋な畏怖が僕の体を勝手に震わせる。

「さ、行こうか帝人君」

臨也さんは僕の腕を引いて歩き出した。血の匂いが遠くなる。あの人達は、どうなってしまうんだろうか。

「あ、の、」
「死にやしないよ、多分。大雑把に手加減はしたし」

僕はこの時、一体どんな顔をしていただろう。
助けてもらった事への感謝、やりすぎじゃないだろうかという非難、姑息というか卑怯というか抜かりがない彼への感嘆、理由の知れない恐怖。

僕の内側を巡るいくつもの想いの中で、外に出すべきだったのは一体どれだったのだろうか。今更考えても答えは出ない。

「……臨也さんって、強かったんですね」
「そんな事無いよ。あいつらが弱すぎるだけ」

僕は今日この日、初めて彼の薄暗い本質に触れた。










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