臨也さんの、大きくて骨ばった手。僕のとは明らかに違う大人の手が、鉄板の上のお好み焼きを綺麗にひっくり返した。
鉄板の上では二枚のお好み焼きが香ばしい匂いを放っている。今ひっくり返した方ではないお好み焼きは既に焼き上がったらしく、慣れた手つきで臨也さんはソースとマヨネーズをかけた。
「はい、鰹節と青のりはお好みでどうぞ」
八等分に切り分けたそれを、臨也さんは僕の皿に取り分けてくれた。ありがとうございますと頭を下げてから、その内の一切れを口に運ぶ。文句の言いようも無いほどに美味しいそれに、僕は純粋に驚いた。
「美味しいです」
「そう言ってもらえてよかった」
臨也さんは開いた鉄板のスペースに、早速次の生地を流し込んでいた。実に手慣れたその様子に、僕は微かながらに違和感を覚える。お好み焼きと、臨也さん。微妙にミスマッチだ。
「あの、ここにはよく来られるんですか」
「たまに、ね。俺ここの常連だし」
「臨也さんがお好み焼きを好きだなんて、ちょっと意外です」
「それは偏見じゃないかな、俺だって普通に好きだよ、お好み焼き。ああ、もんじゃは焼くのが面倒だからあんまり食べないけど」
確かに、僕ももんじゃよりはお好み焼きの方が好きかもしれない。そう言うと、彼はやっぱりそうだろ?と楽しげに笑った。「食べ応えあるのはお好み焼きだよね」と、臨也さんがまた見事な手つきで生地を返す。
一種の芸術のように完璧な円形は、感動するほどだ。僕ではこうも綺麗には返せない。
「……まだ食べないんですか」
「食べるよ、これだけ焼いてからね」
臨也さんの皿には、既に焼き上がったお好み焼きが二枚程乗っている。それでも彼は焼く手を休めない。
いきなり「夕食どう?」なんて誘われてここに連れてこられた時も驚いたが、それ以上に彼がした注文に驚いた。臨也さんはあの人当たりのいい笑顔で、実に七枚分ものお好み焼きをオーダーしたのだ。
僕が慌てて「そんなに食べられません」と言うと、臨也さんは「俺が食べるんだよ」とあっさり返してきた。それに呆気にとられたのは本当につい先程の事だ。
「臨也さんって意外と大食漢だったんですね」
「え、そう?普通だろこのくらい」
「……少なくとも僕には無理です」
「君見るからに食細そうだもんね」
そう言う臨也さんにも、大食いというイメージは湧かない。僕は頑張っても精々二枚くらいしか食べられないだろうから、そうなると残りの五枚を彼が食べる事になる。一体その体のどこに、それだけの量のお好み焼きが入ると言うのだろうか。
「なんかさ、たまにあるんだよ、がーっとお好み焼きを食べたくなる時が。逆に全然食べたくない時ってのもある。そういう日は十秒チャージとかだけで済ませるし、本当に気分が乗らない時は何も食べないしね」
「そんな食生活でよく病気になりませんでしたね」
「俺ってこう見えて結構タフだからさ」
臨也さんは三枚目を焼きあげたところで、ようやく箸を持った。僕は一枚食べるのもやっとなのに、本気で三枚いっぺんに食べるらしい。一体彼の体はどうなっているのか、疑問だ。
しばらくは互いにお好み焼きを食べる事に集中していたが、ふとした折に目の前の彼が箸を止めた。まるで独り言みたいにな口調で、臨也さんは呟く。
「本当はさ、他人と食事する事なんて滅多に無いんだけど、」
僕も自然と、食べる手を休めて顔を上げる。臨也さんは僕でもなくお好み焼きでもなく、目の前の鉄板に視線を落としていた。不自然に区切られた言葉の続きを待っていると、ゆっくりと臨也んが視線を持ち上げる。
「どうしてかな、君と食べるご飯は美味しいんだよね」
臨也さんの瞳は、真っ直ぐだった。口元にこそ笑みは浮かんでいたけれど、滅多に見た事の無い真っ直ぐな瞳で、僕を直視している。まるで眩しいものを見つめるかのような、表情。
僕は臨也さんに、なんと返せばいいのか分からなくなった。ただ、時間を置く程じわじわと言葉の意味が脳に浸透してきて、ぶわりと鉄板の熱気のせいではない熱さに体が火照り出す。
結局僕は視線を彷徨わせた挙句、何も返事をする事無くお好み焼きを食べるという行為を再開した。
僕もです、と、そう返したかったのに返せなかったのは、一重にそれだけの余裕が僕にはまだ無いから。恥ずかしさはいつだってついて回る、特に臨也さんといる時はいつだってそう。それで本音を言えない事も、しょっちゅうだった。
臨也さんは僕が口を開かない事を気にした様子も無く、何事も無かったかのように再び箸を動かした。それにほっとしながらも、やっぱり気恥ずかしさは消えなくて、熱さを誤魔化そうと僕はお冷に口をつける。
「やっぱり、これって愛の力ってやつなのかな」
臨也さんが見計らったようにそんな事を言うものだから、僕はお冷を吹き出しそうになって、噎せた。