「王将同士の一騎打ちって、憧れてたんだよ」

ガシャン、とフェンスが煩い音を立てた。帝人君の手首を無理矢理押さえつけたからに他ならないその音は、夜空に高らかに響く。

「だから、今こうして帝人君とサシでやり合えてホント楽しいよ」

彼の両手を、俺も両手をもって封じる。フェンスに押し付けた体を密着させて、至近距離で帝人君の顔を見つめた。息を切らしているらしく、顔は真っ赤だ。ぎりっ、と右手首に力を込めて帝人君の左手を圧迫すると、握られていたボールペンがころんと転がった。

「ず、るいですよっ……」
「何が?」
「僕と臨也さんが一騎打ちって……僕に勝てる要素は何処にもないじゃないですか」
「まあそりゃそうだね」

俺にいきなり「勝負しよう」なんて言われて、ナイフ持って追いかけ回された挙句、こんな廃ビルでホラー映画もびっくりな全速力リアル鬼ごっこを経験してしまった帝人君としては、文句も恐怖も山積みだろう。

「何の説明も無しに土俵に上げちゃったのは悪かったなって思うよ」
「なら、手を離して下さい」

一階からこの廃ビルの屋上まで、実に十二階分の階段を駆け上がった帝人君は、そりゃあもうさっきまでは虫の息だった。だからこそ容易く捕えられたわけだけど。
俺としては弱った彼の様子をもう少し眺めていたかったが、どうやら徐々に回復してきたらしい、帝人君は不安そうに、けれど強かな目で俺を睨んだ。

「それは駄目。だってこの勝負は俺の勝ちだし」
「勝負にならないって、知っててこんな事やったのは臨也さんでしょうっ」
「うん。ってか逆に考えてさ、一騎打ち以外だと俺が君に勝てないじゃん」
「は?」
「俺は君ほど駒をもっていないからね」

怪訝そうな顔をする彼は、先日俺と将棋を指した時のような表情を浮かべていた。俺の言っている事が、ちっとも理解できない。そんな顔。

「将棋の話、ですか」
「違うよ。そもそも将棋じゃ王将のみの一騎打ちなんて出来ないじゃん」
「はあ……」

いざって時の頭の回転は驚くほど速いというのに、この子供はこういう所で抜けている。他人からの自分の評価には割と鈍感なタイプらしい。

「それで、臨也さんは何がしたいんですか」
「いきなり核心をつく質問だね」
「いきなりナイフ向けられて追いかけ回されたんですよ僕は!意味は分からないし怖いしで……正直もう帰りたいです」
「さっきまで俺にボールペン向けてた人間の台詞とは思えないなあ」

泣きそうに俯く帝人君に嫌味を込めて言ってやると、正当防衛です!と怒鳴られた。目の端には涙も溜まっている。おやおや、どうやら本当の本気で、恐かったらしい。
まあ、ナイフ持った男に笑顔で追いかけられれば恐いと思うのは当たり前か。

「……僕を臨也さんの駒にでもするつもりですか」
「まさか!もったいない、君を盤上の駒にするなんて実にもったいないよ」

じゃあどうするんですか、か細い声が彼の口から紡がれる。勝負に負けた自分がこの後どうなってしまうのか、考えては不安に身を晒しているのだろう、こういうところまで素直だと逆に感心する。抵抗の一つや二つ、してみればいいのに。

「君に"駒"なんて役割は似合わない。君は盤上を制してこその人間なんだから」

涙の浮かぶ目元に唇を寄せた。反射的に瞳を閉じた帝人君の瞼を舐める。咄嗟に飛び出しそうになった悲鳴を無理やりこらえたような、そんな音が彼の口からした。

「だからさ、俺と手を組まない?」
「手、を……?」
「そう。俺達が一緒になれば、怖いものなんて何も無い。無敵だよ、絶対」
「そ、んなわけ……」
「君は本当に自分を過小評価しすぎているね。そんなに卑屈だったけ?」

ちらりと濡れた瞳が俺を見た。期待しているような、畏怖しているような、望んでいるような、警戒しているような。矛盾した輝きを放つ瞳を真っ直ぐに射る。視線を反らすな、目だけでそう訴えた。

「……わからないです」
「分からない?何が」
「臨也さんが、僕にそんな事を言う理由です……貴方は一体何がしたくて、僕に構うんですか」

今更ながら過ぎる質問に、俺は少々呆気にとられた。まさかここまで何も伝わっていなかったのかと瞠目する。確かに最初は暇潰し程度にしか認識はしていなかったが、それでも大分観察対象として好意は注いできた筈だ。最近ではそれなりに真っ当な志で接してきたつもりだったけど、それは本当に俺の"つもり"でしかなかったらしい。

「本気で、分からないんだ」
「……はい」
「じゃあ分からせてあげる」

言葉よりも実地の方が手っ取り早いだろう、そう思って強引にキスをした。見開いた彼の眼の淵から溜まった涙が零れて、何となくイイ顔してるなあと思った。
最初は触れるだけに留めて、一旦離す。帝人君が状況を理解して顔を赤くする頃に、二度目のキス。今度は深く、濃厚に。

「いっ、ざ……んっ、ふぁ、」

呼吸もろとも飲み込んで、しばらくは適当に口の中を愛撫してやった。口を離すと、帝人君は先程同様、廃ビルを全力疾走した直後のようにぐったりと肩で息をしている。ずるりと落ちかけた体をフェンスに押さえつける事で保たせた。手首はまだ、外さない。

「さっきのは、俺の精一杯のプロポーズのつもりだったんだけど」
「は……え、……?」

混乱の境地に立っているらしい帝人君に、もう俺は笑いがこみ上げるのを抑えきれない。鈍感で素直で甘くて、けど駒の使い方はピカイチの人間。
ああ、こんなに面白い人間、今までいただろうか。

「俺の王将になってくれなんて言わない。君には、棋士でいてもらう。俺の隣で、ずっとね」

遠回しな言い方をするから、帝人君がいつまでたっても理解しないんだと言う事は分かっていた。けれど素直に伝えたのでは面白味がない。

「まあ、敗者に拒否権なんて与えないけど」

フェンス越しに見下ろすネオンはきらきら輝いてそれなりに綺麗だった。星よりも存在を主張する人工の灯り。そして人工の灯りより魅力的な、人間。

彼は気付いているだろうか。俺が持ちかけた"一騎打ち"が正当でも何でもなく、こっちが勝手に成立させてしまった同意無しの勝負だったという事を。
恐らく冷静になって考えれば彼はすぐに俺の言い分の不当性に気付いただろう、だが悲しいかな、この時の彼は混乱に混乱重ね軽く放心していた。だからこそ、諦めたようにため息をついてしまったのだ。

そしてまんまと、俺の腕に収まってしまったのである。


今、俺はすこぶる気分がいい。
欲しくて欲しくて堪らなかったものがようやく手に入ったかのような、そんな充足感。
果たして彼はこれからどんな風に駒を動かし、盤上を彩ってくれるのだろうか。

彼の織り成す未来の事を考えて、俺はもう一度その口唇に口付た。










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