「王手です」

ぱちりと帝人君が金将を指す。追い詰められた俺の王将は逃げるしかない。斜め後ろに下げると、間髪入れずに帝人君の白い指が飛車を動かす。

「詰みましたよ、臨也さん」
「あー……また負けちゃった」

大袈裟に肩を落としてソファに体を埋めて見せると、帝人君はちょっと微妙な顔をした。

「戦績は五分五分でしょう。昨日馬鹿みたいに勝ちまくってたのは臨也さんの方じゃないですか」
「まあね。けど、帝人君って実際はかなり強いだろ?」
「自分ではよく分かりませんけど……」
「謙遜する事無いって。俺が今まで戦ってきた人間の中でも、君はまず間違いなくトップクラスだ」

ありがとうございます、と控え目に頭を下げる彼はどうやら本気で自分の実力を分かってないらしい。俺の言葉をただのお世辞と受け取ったようだ。

(まあいいや)

彼にはこれから、ゆっくりと自分の"価値"というものに気付いていってもらおう。

「帝人君の戦術ってさ、パターン化してるようで不規則だよね」
「? そうですか」
「そうだよ。君はいきなり攻める事はしない。どんなに優位に立てる状況が序盤に広がっていようと、まず駒を集めるところから始めるんだ。最終的な勝利を盤石にするためにね。相手の駒を奪い、自分の持ち駒を増やしたところで、勝負に出る。けどここからが不思議な所でさ、帝人君の駒の使い方って一定じゃないんだ。これといって形式化されていない、その都度違う展開を見せる。なんて言うかさ、上手いんだよ。将棋云々じゃなくて、駒の使い方が」

自覚ある?と尋ねると案の定、帝人君は分からない様子で首を傾げた。俺が何を言いたいのかさっぱり理解していないらしい。

「だからさ、君にはセンスがあるって事。将棋のセンスじゃないよ、"使い方"のセンスだ。将棋の場合だと駒を集めるところから始めるようだけど、別に集めなくとも君は手持ちの駒で危機を難なく脱する事が出来る。巧みなんだよ、どの駒をどう動かせばどんな結果に繋がるのか、君の頭の中には勝負開始の段階からそれがビジョンとして映し出されているんだ。それは素晴らしい才能だよ?何も将棋に限った事じゃなくてね」

将棋盤の横に置いておいた飲みかけのグラスを煽る。中身は麦茶だ。帝人君の分も手元に置いてはあるが既に空に近かった。対局中に何度も口を付けていたせいだろう。
おかわりいる?聞くと帝人君はお構いなく、と首を振った。

「臨也さんが何を言いたいのかはよく分かりませんけど、とりあえず誉め言葉として受け止めていいんですよね」
「うん。俺の精一杯の賛辞のつもりだよ」
「ありがとうございます」

人を疑う事を知らない目だ。いや、俺を疑う事を知らない目だ。甘いなあとつくづく思う。そうした甘さを確かに持っているのに、彼の本質は完全に"使役する側"なのだから、竜ヶ峰帝人という人間は本当に面白い。
声を大にして笑いたいほど、俺は彼と過ごす時間を楽しんでいた。

「……臨也さんの将棋は、よく分からないですね」
「そうかい?」
「はい。戦術も戦法もあったもんじゃないってくらいめちゃくちゃな打ち方をするのに、気付いたらじわじわ追い詰められているんです。おふざけで打ったような一手が、最後の最後で決定打になったり。一体いつ、どのタイミングから仕掛けてくるのか、そもそも仕掛けられている事にすら気付けない、そんな感じです」
「つまり、気付いた時にはもう手遅れ、って事?」
「そう、ですね。だから正直……やり辛いです」
「帝人君にそう思ってもらえるなら光栄かな」

見てないようで、帝人君も俺の事をよく見ているようだ。しかし、彼の見解を聞くと、ものの見事に俺達の本質が将棋に現れているという事になる。
ゲームと言えど中々馬鹿には出来ない。俺達のように回数を重ねれば仮面を剥ぎ取る事も出来るのだなあと、大して愛着も無かった木製の将棋盤と駒に初めて感心した。

「……そういえば臨也さん、気付いてましたか」
「何に?」
「僕達どんなに不利な状況になろうと、投了した事は一度も無いんですよ」

ぱちり、ぱちりと、帝人君が駒をあるべき位置へ戻していく。それを目線だけで追いながら、確かにそうだなと彼との対局を振り返る。

「それって、俺達が相当諦めの悪い人間だって事の表れかな」
「どうでしょう。多分、負けを認めたくないんじゃないでしょうか」

少なくとも僕はそうですよ、と帝人君は苦笑した。

「じゃあさ、諦めの悪さでもう一局どう?」

俺もまだ負けを認めたくないし、笑顔で提案すると帝人君は微かに逡巡する。ちらりと壁一面に広がる窓の外を彼は見た。日はもう、暮れかかっている。

「別に泊まっていってもいいよ」
「それじゃ……お言葉に甘えて」

帝人君が丁寧に並べ直した将棋の駒。
果たして、竜ヶ峰帝人は実質のところ、どの程度の"駒"を揃えているのか。

(この子にとっての"王将"は、存在するのかね)

将棋に置いての王将は、命そのものだ。守らなければならない、守らなければ負けてしまう存在。彼に"王将"が存在するとしたら、一体それは何なのか。純粋に、興味が湧いた。
俺にとっての"王将"はもちろん俺自身だが、帝人君もそうだったらいいのに。そうすれば、俺と帝人君がタイマン張れば王将同士の一騎打ちになる。それはそれで楽しいかもしれない。

「そうだ、負けた方にペナルティ付けない?」
「何ですか、急に」
「その方がやる気も出るだろ?そうだなぁ……負けた方が勝った方の背中を流すって事で」
「それ、男同士で虚しくないですか?」
「いいんだよ、罰ゲームなんだから」

どっちにとっても罰ゲームみたいなものですよ、そうため息をつく帝人君が歩を前進させた。

多分俺にとっての竜ヶ峰帝人は、この時点ではただの歩に過ぎなかったんだ。
その歩が、成り金が限度である筈の歩が、まさか王将に化けるなんて。
この時の俺はそんな事をちっとも考えずに、捨て駒の歩を進めた。










「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -