憧れはしている、けれどそれだけだ。会長という学園内で最も重要な場所に就く彼の事を最初は敬遠していた。彼ほど強く強引で、そして優しい人と会ったことがなかったから。
自分自身の自己評価のためだけに引き受けた副会長という仕事にやりがいと楽しさを与えてくれたのは他でもない会長だった。皆から慕われ、そして皆を引っ張っていくだけの力もある会長に、純粋に憧れていた。尊敬もしていた。叶うのならばあの人の横に並びたいとおこがましい夢を抱くほど、僕の中の偉人をあげるとすれば会長の名は首位にくるほどに。
けれど確かにそれだけだった、はずだ。
「……颯斗?」
廊下で数人の友人と談笑していた会長は背後の僕の気配に気づいたのか、振り返った。背後、といっても僕はそれなりに広い廊下でそれなりの距離を取って会長を見つめていた。人が近づいてくる気配に敏感な人がいたとしても、そうそう分からないだろう距離。けれど会長は振り返った。振り返って、それまで楽しそうに笑っていた表情が一変、驚いた表情になる。僕はしまったと思って慌ててその場から走り去った。抱えていた書類の束のせいで走りにくいが仕方ない、今の自分の顔を見られるよりは、よっぽどマシだ。
「おい、颯斗!」
後ろから怒鳴り声にも近い会長の声が聞こえてきてぎょっとした。追いかけてくるとは思っていなかったから。いや、本心はその逆で女々しい考えにまた顔が歪んだ。
逃げ込んだのは結局生徒会室で、先ほど会長に渡す書類を持って出た時からまだ十分とたっていない。室内は僕が出た時と全く変わらず当たり前だがそのままだった。
どうしよう、とにかくどうしよう。翼君のラボにでも隠れようかと考えたところでがん、と扉を叩かれる音がする。
「颯斗、いるんだろ」
優しい、けれどやはりどこか怒気を含んだ声音が扉越しに聞こえてくる。またがん、と叩かれた扉が軋んだ音を立てた。
「どうしたんだよ、急に逃げたりして」
「逃げてなんて、いませんよ」
「ならどうして出てこない」
言いたい事があるなら面と向かって言えばいい、そう言う会長に対して申し訳ない気持ちになってきた。頭が回らない、僕の嘘など会長はきっと見抜いている。
「颯斗、ここ開けろ」
「……いや、です」
「開けろって」
ずるずると扉に背を向けてしゃがみこんだ。会長の事は、憧れているし尊敬もしている。自分中では首位に来るほどの偉人だとも思っている。けれど、それだけだっはずだ。それだけだったはずなのに。
(何で……こんなに苦しいんだろう)
他人と話して笑顔を浮かべる会長の姿に、何故だか悲しくなった。苦しくなった。会長はきっと見たに違いない、情けないほど顔を歪めて泣きそうになっていた、僕の顔を。
「……颯斗、泣くなよ」
「泣いて、ません」
「泣きそうな顔、してただろ。お前には泣いて欲しくないんだ、俺」
大事だから、まるで空気のような独り言のような呟きは、幸か不幸かはっきりと僕の耳に届いてしまった。
(それは一体、どういう意味の"大事"なんですか)
親愛ならば求めていない。憧れと尊敬の対象だけだったはずの会長に、僕はいつの間にか愛情を求めていたのだ。
20100101