※自傷表現あり


(お、)

グラウンドから見上げた教室の窓際、つまらなさそうに外を眺めている少年と目があった。ひらひらと手を振ってやると彼は微かな時間俺を見つめた後、特に反応もせずにふいと視線を逸らす。黒板にでも向き直ったのだろう、それに特に腹を立てることもなく、俺は口元が緩むのを隠しもせずにその横顔を下から見上げ続けた。


神話や聖書、宗教伝説言い伝え。"神"と呼称されるそれらは人類誕生のその時から様々な呼び名で呼ばれ、様々な形だと伝えられ、様々な物に宿るといわれ、崇められてきた。だが文明の発展とともに現代では信仰心なんてもの皆無に近しく、おまけに神様なんてものは非科学的で存在しないとまで言われている始末。人間の身勝手で祀り上げられ用が無くなれば信じる心も捨てる、まあなんというか、人間らしい身勝手な扱いだ。彼ら人類にとって神様とやらは自分たちの幸福が訪れるまでの、ただの心の拠り所なのだろう。そんな身勝手で独善的で独りよがりなところが、愛すべき点でもあるのだが。
長い時間の中、俺は様々な時代で様々な人間を見てきた。誕生し、知恵を得、進化し、生活し、働き、交流し、社会というものを形成し、そして自己中心的な考えで同じ国土内に住む者同士で争い、死んでいく。そんな愚かな人間というやつらを、ずっとずっと眺めてきた。その生き様を眺めるの楽しいし、俺もたまに人間の社会とやらに紛れ込んで実際に人間に接したこともある。彼らは俺を飽きさせない。いつだって俺を楽しませてくれる。
自分勝手で我儘で他人を疑って傷つけて自分の価値観で世界を見て、突き放すくせに他人がいないと生きていけない、一人ではさみしいと泣き喚く。ああ、なんて滑稽で愛おしいのだろう。

察しの通り、俺は先にも語ったような、人々から"神"と崇められている存在だ。もっとも、今では俺のことを神と知る者もいなければ神を信じる者も神が実在することを知る者もいない。時代が流れると同時に俺の存在は淘汰されていったが、他の神々とは違って信仰心がなくなれば消えてしまうほど俺は脆弱ではない。現在でもしっかりと、俺は神として生きている。
最近では人間社会に紛れ込んで間近で人間を観察している。たまーに俺の存在に勘付くやつがいたりしたら、そいつに近づいて色々と人間の生き様を楽しまってもらっているわけだ。


そして、冒頭でちらりと登場した少年が、今現在の俺の"お気に入り"であるわけだ。

彼は名前を竜ヶ峰帝人という。名前の割に平凡で、特に特徴があるわけでもない、パッと見地味などこにでもいる少年だ。俺が今現在、"折原臨也"という名で在籍している来良学園の一年生。何の変哲もない平凡な彼は、そのしかし俺が惹きつかれてやまない心の闇を抱えている。

「まーた切ったんだ」

屋上に続く扉の前。階下からは死角になっている上にこの特別教室棟の屋上は出入り禁止だから、人は滅多に近づかない。埃臭くて薄暗い空間に広がるのは、鉄の臭い。扉の前で膝を抱える小柄の少年の手首から、その臭いは発せられていた。

「どうして切るかなあ。折角きれいな肌なのに、跡が残っちゃうだろ?」
「臨也さん……」

後ろからその体を抱きすくめるようにして腰を下ろせば、覇気のない声と生気の宿らない瞳が向けられる。ぽたぽたと垂れる赤は水たまりを作り、その面積を広げていた。

「気に入らないことがあるなら言ってよ。君が望む通りのことをしてあげるから」
「……別に、なにも」
「うーそ。じゃあなんで手首切るの?」
「……」

問えば押し黙り、俺はそれにこっそりと笑みを深くしながらポケットから取り出したガーゼを当てる。ガーゼは見る間に真っ赤になるが、まあハンカチを汚すよりはいいだろうという事でここ最近持ち歩いてるものだ。

「帝人君、保健室行こう?」

こくりと頷いた彼を立ち上がらせ、その手首を抑えながら肩を抱いて歩き出した。


帝人君は初対面にもかかわらず、俺が"神"であることを見抜いた人間だった。初めて出会ったのは入学式の翌日で、俺を目にした瞬間、かみさま、とぼそりと呟いたのを今でも覚えている。俺の正体を知らぬまま俺を神のようだと崇める信者のような生徒たちも校内にはいたが、そいつらとは違う。帝人君ははっきりと、俺の本質を理解していた。
それから彼に興味がわいて、近づいた。帝人君は俺をないがしろにすることも俺が神であることに興味を示すわけでもなく、俺を受け入れた。懐いてくれた、という言い方が適切かもしれない。

「ほら、そこに座って。包帯巻いてあげるから」

無人の保健室の椅子に帝人君を座らせ、その正面に回って彼の手首を取る。彼の手首にはすでに無数の跡があって、常習的にこれが行われていることを物語っていた。

帝人君のことを、俺はこれでも大分可愛がってるつもりだ。特に学校でいじめにあっているわけでも家庭に問題があるわけでもない彼は、こうして意味もなく自傷を繰り返している。その真意は何度聞いてもはぐらかされ、未だによくわからない。だからこそ、見ていて楽しい。ああそうだ、よくわからないといえば、どうして彼が初見で俺の正体を知りえたのかも、何度聞いても教えてもらえていないんだった。それは直感なのかもしれないけど。

「ねえ、帝人君。君は何がしたいの。何か望みがあるなら言ってよ」
「別に……そんなの、ないです」
「君も知ってるだろう?俺、何でもできるよ。君の願いをかなえることなんて簡単さ。なんたって、俺は神様だからね」

そんな底の知りえない帝人君は今まであまり見たことのないタイプの人間で、一緒にいるのはとても楽しい。だからこうして色々と気にかけてやっているのだが、これも人間にしては珍しいことに、帝人君はとことん無欲な子だった。
今までも何人か俺の正体に勘付いたやつはいたが、そういった奴らは決まって自分の欲望を前面に押し出してきた。そういった強欲さもまた人間らしくて愛らしいのだが、帝人君には全くそんなものがない。どうしたら彼は自分の欲を示してくれるのだろう、どうすれば彼の真意や本音を引き出せるのだろう。考えるのはそんなことばかり。

(この人間は、どうやったら感情を露にしてくれるのかな)

感情の見えない人間はつまらない。感情は生物の中でも人間のみが持ち得るもので、それこそが人を人と定義づけるものでもある。だからこそ、俺はこの子供の感情を、引きずり出したい。

(そうだ、)

包帯を巻き終え、そしてそのまま帝人君の手首を離さずに立ち上がった。不思議な顔をした彼に顔を近づける。触れた感触は、男にしては柔らかいものだった。

「好きだよ」

やけに人受けする笑みで言ってやれば、彼の瞳が微かに揺らいだ。けれどそれは一瞬で、そうですか、と一言つぶやいただけで彼は押し黙る。
ふむ、脈は、ありそうだ。

(この子に"恋愛"ってやつを教えてやれば、感情を出してしてくれるのかな)

また一つ楽しみができた。そうだ、この子が俺に惚れれば、今までとは違う表情を、感情を、見せてくれるだろう。

「好き、帝人君」

もう一度口づけて、その細い体を抱きしめた。帝人君は何の反応も返さなかったけど、抵抗もしなかった。




(うそつき)

僕になんでか付きまとうあの神様は、うそつきだ。
僕がわからないとでも思っているのだろうか。

僕は知っている。あの神様は、人間が大好きなんだってこと。だから僕をかわいがってくれてるんだってこと。

(うそつき)

あんな見え透いた嘘、つかないでほしい。馬鹿みたいだ。自分が。

あの神様に本気で恋をした自分が、馬鹿みたいだ。


(……うそ、つき)

神でも唯一干渉できないもの、それは人間の感情なのだと彼は前に言っていた。だからこそ、人の感情の揺れ動くさまは、見ていて楽しいと。
君の考えがちっともわからないよ、そう言っていたのも彼だ。当然だ、意図してそうしているのだから。

僕はあの神様が好きだけど、神様は僕のことを好きになってはくれない。きっと興味が無くなれば簡単に、僕からは離れていくんだろう。そう、だから、僕は、今日も手首を切る。

彼から見放されないように。彼に見捨てられないように。
あの神様を繋ぎ止めるためならば、僕はなんだってする。自分の体を傷つけるのだって、易いことだ。
手首を切れば、彼はまた僕をかまってくれる。かまいに来てくれる。

この心は知られてはならない。僕が彼を好きだってことは、絶対に知られてはならない。かりそめの彼の愛に、心をゆれ動かしてはならない。簡単に底が知れる人間は、つまらないから。

(うそつき)

だから僕は、今日も手首を切る。




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(08/21)






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