不覚だった。まじで不覚だった。

「うっそ!?じゃあシズちゃんは三好君とキスはおろか手もつろくに繋いだ事無いの!?はは、なにそれうける〜」

隣で腹を抱えて爆笑しているそいつに青筋がまた一つ額に浮かぶのを自覚した。落ち着け俺、平常心。ここは学校、むやみやたらに暴れて校舎を壊して説教、なんて鉄板はもう卒業だ。こんなノミ蟲如きに力をふるう事すら労力の無駄だ。だから俺、落ち着け。
平常心だ平和島静雄!

「はは、だめだ、おかしすぎてマジ腹いたい……!ってか、シズちゃん初すぎるっ……」

いやしかしこの調子では俺の我慢も時間の問題かもしれない。忍耐という言葉を覚えてはきたがこのノミ蟲相手だとどうもその忍耐力も十分に発揮されないようだ。元々俺は我慢強い方じゃないから、特に。

本当に不覚だった。
俺には今現在付き合っている(と言っていいのかは疑問だが、一応告白を済ませた仲である)後輩がいる。そもそも俺のこの人間離れした怪力のせいで寄ってくる後輩同級生上級生は皆無だった俺にとってはそれこそ初めてできた「親しい仲の後輩」で、そいつが気付けば特別な意味で大切になっていったのは最早必然だったのかもしれない。
クラスも学年も違うから学校に来たって頻繁に会えるわけではないが、一緒に昼飯食ったり時々廊下とかですれ違ったり放課後になったら一緒になって適当に街をぶらついて帰る、そんな毎日を送れるだけで俺は十分だった。あいつもそれで満足しているようだった。だから何の問題もない。
俺達にしてみれば、互いの関係について回る名前が「先輩後輩」から「恋人」というものにすり替わっただけで、一緒にいる間の接し方とか過ごし方はそれこそ今まで通り、何も変わりがなかったのだ。それで何も問題は無かったのだが、最近になってふと思ってしまう。

(恋人、って、普通なにするもんなんだ?)

今になってみれば我ながら馬鹿な思考である。そんなもの小学生じゃあるまいし、と、未だに隣で爆笑しているノミ蟲辺りは確実に言うだろう。
だが疑問に思ったのだからしょうがない。そして自分がいかに恋愛における知識も経験も不足しているという事も、事実なのだから仕方ない。

後輩と恋人、確かにどちらも俺達の関係を現した言葉ではあるが、意味が全然違う。特に後者の恋人については何をどうしてどういう風に扱ったらいいのか、てんで分からなかったのだ。
そんな感じで柄にもなく頭を悩ませていた所に出くわしたのがノミ蟲だ。俺が悩んでいる様子に目ざとく気付いたこいつは何を悩んでいるんだとしつこく食い下がってきやがった。その眼は明らかにからかう気満々でいる事が窺い知れたが、そういえばこのノミ蟲、顔だけはいいんだと思いだす。そしてその容姿故か色づいた噂話が絶えない事も。事実こいつはかなりの頻度で女を変えているそれこそ女の敵みたいな男だ。だが、俺よりかは恋愛における知識という物は豊富であろう。

そう判断し悩みのタネをぶちまけてしまったのが、本当に俺のミスだった。不覚だ。何度でも言う、不覚だった。

「ノミ蟲よぉ……いつまでもその耳障りな笑い声響かせるだけならとっとと失せろ」
「あはは、いやあごめん、あまりにも予想外だったからさ、つい」

地を這うような俺の声にようやく笑いを収めたノミ蟲は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、事情は分かったよと明るい声を出す。

「恋人に昇格した後輩をどう扱っていいいのか、それが分からないんだろ?」
「……まあな」
「そんな恋愛経験ゼロなシズちゃんに、俺が男としてアドバイスしてあげよう」

急に真剣な声と表情になったノミ蟲に、俺も思わず隣を見遣った。ノミ蟲はもったいをつけたようにその瞳を一度伏せ、そして鋭い眼差しで言った。

「男なら、まずは押し倒せ」

聞く相手を間違えた。
俺は教室の黒板を剥ぎ取りながら、心底それを後悔した。






「平和島先輩?」

ぼんやりと今日の自分の行動を反省していると、隣を歩く三好がきょとりとした目で俺を見上げていた。
いかん、折角こいつと一緒に帰ってるのに思考がトリップしちまってた。

「わりい、何でもない」
「? そう、ですか……」

若干訝しげではあるが三好はそれ以上を追及してくる事は無く、再び俺達は前を向いて一定の速度で歩く。

後輩から恋人という関係になった奴、それが今隣を歩く三好だ。犬みたいに人懐っこい奴で何でかはしらんがいつ見てもにこにこしてる。第一印象はそう悪くなかった。
紀田みたいにきゃぴきゃぴ話す事が好きなタイプかと思いきやそうでもなく、かと言って園原みたいに物静かすぎるというわけでもない。竜ヶ峰の様な鋭い突っ込みスキルを持っているという訳でもなく、一言で言うならばそう、こいつは究極の聞き上手だ。俺はそう思う。
人の話を聞くのがこれほど上手い奴っていうのを俺は知らない。過度にうるさく喋るでもない、けれど全く発言しないわけでもない。自分の思いはきちんと言葉にするし考えを周囲に流される事も無い、ちゃんとした芯の通った奴。今まで引っ越しが多かったと聞いたから聞き上手なのはそれも関係しているのかもしれない。とにかく、三好は聞き上手であるが故に大衆の中に溶け込むスキルには長けているようだった。寡黙ではあるが普通に優しい奴だし、良い奴だし。
だから実を言えば二人でいる時、主に喋るのは俺の方だったりする。これを言うと大体の人間は驚くのだが、俺自身そうだ。自分が普段から言葉が多くないのは自覚してるが、三好相手だと勝手に口が動く。時折打たれる相槌や頷き、三好から返ってくるのはそんなものばかりだが、それすらも心地いいと思うのだ。

不思議な奴だ。こんなにも一緒にいて和める相手なんて、家族かセルティくらいだと思っていたのに。

「平和島先輩……?」
「あ?なんだ」
「いえ……今日は、あんまり喋らないから……具合でも悪いのかなって」

ああ、そういうことか。普段一緒にいて喋るのは俺の方だから、口数の少ない俺がいつも以上にだんまりなのが気がかりなのだろう。ほんと、こいつはいい奴だ。

「なんでもねえよ」
「でも……」
「ちょっと考え事してただけだ。明日英語の抜き打ちテスト、あるらしくてな」

考えるだけで憂鬱だ、そう漏らせば三好も苦笑して「頑張って下さい」と呟いた。

(……そういや)

昼間ノミ蟲が言っていた言葉がふとリフレインされる。手もつろくに繋いだ事無いの、あいつはそう言っていた。
ちらりと隣を歩く三好を見下ろす。三好の手はズボンのポケットに入ったままだ。そういえば、あまりこいつに触れた事自体、少ないかもしれない。キスだって、そう。まだ一度もしていない。

「…………」
「……平和島先輩?」
「あのよ、」
「?」

言葉にするのがなんとなく気恥ずかしい。けれど、そうか。これが、恋人相手ならば当然の気恥ずかしさ、なのかもしれないと、俺はそう納得する。告白をする前は頭を撫でるにしろ肩を掴むにしろ、こんな気恥ずかしさを覚える事は無かった。

ズボンに突っ込まれている三好の手。それを強引に引っ張りだすと、案の定三好はきょとりとした目で俺で見上げた。その瞳には、微かな戸惑いが含まれている。


「手、繋がねえか」

きゅ、と俺よりも小さい手を握れば、三好は目をまん丸に見開いた。そして夕日だけが原因ではない朱色で微かに目元を赤らませると、また苦笑したように笑んで小さく頷く。

「……」
「……」

いつもより静かな帰り道。けれど、繋いだ手の温かさと心地よさに、俺達の口元は終始、緩やかだった。




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(08/21)






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