仕事が入った。別に珍しい事じゃない。
軽い仕事の時もあればかなりの時間を要す大きな仕事の時もある。それらは基本的には不定期に発生するため、決まった時期が忙しいとかそういう繁忙期が決まっているわけではないのがこの職業の特徴だ。それ故に、もう何度一緒会う約束をキャンセルする羽目になった事か。回数すら定かではない。
いつもの事。そう、いつもの事なのだ。
だから例え仕事が入ったのがクリスマスという世間でいえば恋人のための日であろうとも、特に関係はない。仕事が入ったのが偶々クリスマスの日だった。偶々会えない日がクリスマスの日だった。それだけの事なのだ。

『僕もその日は友達から遊びに誘われていたので、大丈夫です』

うそつけ、メールの文面を見ながらそう口の中で呟いた。
今月の頭くらいだろうか、二十五日は会いに来ても大丈夫ですか?緊張と不安を綯い交ぜにしたような震える声でそう尋ねてきた帝人君は、特に期待はしていないという風を装ってその言葉を紡いではいたが、実際は期待していたのだろう事は俺にはちゃんと分かっていた。二十五日、と言えばそうかクリスマスか、と思考して特に前もった予定がなかったのも事実なので、うんいいよと、そう軽い返事をすると帝人君は途端嬉しそうな顔で、しかしはしゃいでいる事を悟らせまいとそれを押し殺した曖昧な顔でありがとうございますと言った。
すごく嬉しかったんだろうな、と思う。別にクリスマスに特に感慨はないが、帝人君にとっては違うのかもしれない。俺が初めての恋人らしい彼は、恋人を持って初めて過ごすクリスマスに何らかの期待をしていたのだろうか。いや、何かプレゼント貰えるとか何処かへ豪華な食事を食べに行くとか、そういうクリスマスらしい事を期待していたわけではないのかもしれない。ただ一緒に、それだけを望んだのかもしれない。

まだまだ子供で高校生で、そのくせ彼は俺に我儘を言ったり頼ったり、甘えたりという事をした事が無かった。俺に面倒だと思われないように、迷惑をかけないように、そういう意識が心の奥底にあるのだろう。俺からしてみればその考えこそが面倒くさくて迷惑で、面白くない。
だから、前もって約束していたはずのクリスマスの予定を『会えなくなった』とたったそれだけの言葉でキャンセルしても、先のように自分は気にしていないから大丈夫、という強がったメールしか寄こさないのにまた苛立ちが募った。
別に縋って欲しかったわけではない。仕事と僕とどっちが大事なんですか、そんな一生かけても彼の口からは飛び出さないであろう言葉を聞きたかったわけでもない。ただ甘えて欲しい、頼って欲しい、我儘を言って欲しいと、なんとなくそう思っただけだ。

けれどそう縋られた所で仕事がなくなるわけではないから会えないのは事実で、俺は微かな苛立ちを感じながらも彼にそれ以上言葉をかける事はしなかった。ただ『ごめんね』と返信して携帯を放り出す。
それから仕事に没頭してはいたが携帯が帝人君からの着信を知らせる事は無く、クリスマスの夜はただ静かに雪を降らせながら更けていった。




(……なんだ?)

遠くから響いたがちゃん、という小さな物音に沈んでいた意識は浮上した。悲しいかな、学生時代のある意味特殊な経験から気配や物音には敏感になってしまった。
仕事を何とか片付けて就寝したのがもうクリスマスも終わる頃で、いつもならもっと起きていても問題は無いが疲れが勝ったせいか今日はそのまま寝室に直行したのだった。

耳を澄ませる。物音は階下から聞こえてきて、察するに先程の音は玄関を開いた音だろう。まだ覚醒し切らない頭で考えてみるがどう考えても助手が出勤してくるには早すぎる時間帯だ。むしろ真夜中、深夜だ。となると、この家の合鍵を渡してあるのはただ一人。
階下の気配はそのままどかりと体のあちこちをソファやら壁やらにぶつけながら、しかし二階を目指しているようであった。階段がぎしぎしと音を立てている。物取りや強盗、とは思わなかった。
やがて気配は寝室の扉を開け、そして迷うことなくぼふりとベッドで寝る俺の上に圧し掛かってくる。

「……何してるの」
「……」
「帝人君、なにしてるの」

仰向けに寝ていた俺の上に圧し掛かってきたのは間違えようもなく、普段から抱き慣れた重さの子供だ。いつもならばふわりとただよう石鹸だか洗剤だか安っぽい感じのシャンプーの匂いと彼自身のふんわりとした体臭が香るのだが、今日はそれらが一切感じられない。代わりに鼻に付くのは強烈なアルコール臭。

「君未成年でしょ……ったく、こんなに飲んで」
「ん……」
「ほら、」

未だコートもマフラーも外さす外着のままで俺の上に乗っかっている帝人君を起こそうとその上体に手をかければ、微かに身じろいだ彼は何故か掛け布団を剥いでくる。そして俺の服に手をかけたと思ったらそれを何故かまくり始めた。手袋をはめていなかったのか、やけに冷たい手が脇腹を撫でていく。

「一応聞くけど……何してるの」

かなり酔っているらしい彼の表情が窺えるわけではないが、先程玄関からここに来るまでの物音から察するに足元が覚束ない程度には酔っているのだろう。そんな状態の帝人君からまともな返事が返ってくるとは思わなかったが、うーとよく分からない唸り声の後、酒臭く濃い吐息が首筋にかかる。

「よばい、です……」
「夜這い?」

夜這いの意味を分かっているのだろうか。覚束ない手つきのまま俺の服の下に手を差し入れたり首筋に拙い口付けを落としている彼は、多分素の時だったら絶対に口にしないであろう"夜這い"という言葉の通り、どうやら俺を襲っているらしかった。

(意味が分からん)

それより酒臭い。いつもの帝人君のふんわりとした甘いような洗剤のような石鹸のような清楚な感じの香りがしない事に苛立った。友達と遊ぶと言っていたが、実際は何処かでクリスマスよろしくケーキを食べたり食事をしたりとクリスマスパーティーをしていのだろう。その席でこんなに泥酔する程酒を飲んだのだ、未成年が飲酒だなんてと責め立てる気はないが俺の前以外でこんなどろどろに酔うほど飲むなんて。
それだけは、許せない。

俺が知らないところで、俺じゃない誰かと飲んで、俺の許可なく勝手にこんな泥酔して。そしてこんな臭いアルコール臭まみれで俺の家に押し掛けてくるなんて。

(なんか、腹立つ)

俺はこんなに心の狭い人間だっただろうか、と思いながらもぞもぞと帝人君を上に乗せたまま上体を起こした。結局のところ、これは嫉妬、なんだろう。
仕事で会えなかった、恋人らしい事はしなかった、それもいつもの事だ。いつもの事なのに、帝人君は今日という日を俺でない人間と過ごした。それも俺のせいなのに、どうしようもなく苛々する。

「帝人君」

呼びながら、上体を起こしてベッドの上に座る様に態勢になり帝人君の体からコートとマフラーを剥ぎ取った。いつもの私服のパーカーの前を開かせそのままぎゅうと体を抱きしめる。
帝人君の体温、帝人君の体臭。アルコール臭は相変わらずで、それがまた気に入らない。まるで他の人間から匂い付けされたようで苛々する。だから、そんな酒臭さを俺の匂いで上塗りするように、強く強く冷え切った体を抱きしめた。

「い、ざ、」
「なに」
「……きもち、わるっ……」
「……飲みすぎなんだよ、馬鹿」

夜這いすると言っていたのはどこの誰なのか、ううっ、と口元を押さえながら腕の中で背中を丸めた帝人君に呆れてため息を一つ。酔っ払いの言動ほど意味が分からないものは無いが、それは帝人君も例外ではなかったらしい。仕方なしに抱きしめながらその背中を緩く撫でれば、うーうー唸っていた帝人君も数分すれば落ち着いて、俺のシャツを力なく握り締めてきた。

「さ、み、」
「ん?」
「さみしか、たです……みんなで、ケーキ、たべても……さみしくて」
「……」
「だから、よばい、しようと、おもっ、て」
「そんでわざわざ押し掛けて来たの……」
「だ、て……」

ぐす、と帝人君が鼻を啜った音にびっくりして腕の中の子供を見下ろす。お酒のせいで赤くなった顔、けれど目元は酒のせいではない赤に染まっていた。

「ず、と、たのしみ……だったのにっ……あえ、ない、って」

ぐすぐすと鼻を啜っている帝人君はそう言った切り、俺の胸に深く体を預けて力を抜いてしまった。うーうー唸りながら、相変わらず気持ち悪いのだろうか、背中を丸めながら体重を寄せてくる。

我儘を言ったり頼ったり、甘えたりという事をしない子だった。俺に面倒だと思われないように、迷惑をかけないように。俺から嫌われるのを何よりを彼が恐れているのは気付いていた。気付いていたが、どんなに俺が帝人君に頼ってよと声をかけても、甘えてよと強請っても、帝人君はそうしない。きっと恐らく、それはこれからずっと変わる事はないだろう。
俺はそれが面白くなくて苛々して、その俺の不機嫌さに勘付いた帝人君がまた俺の機嫌を取ろうと距離を取って、その繰り返し。

寂しいとか、そういう事を言われたのは初めてだった。理性が飛ぶくらいべろんべろんに泥酔しなければ自分の心情すら吐露できないのかと思ったら、途端この子供が可哀想に思えてきた。
震える背中を撫でるだけだった動きを、ぽんぽんと叩くように、幼子をあやすような動きに変える。その短い髪の毛に顔を埋めながら、ただひたすら背中を叩いた。

「寂しかったんだ」
「、はい……」
「それでこんな時間にわざわざ新宿まで来たんだ」
「……あ、いたかった、です」

抱き合っていたためか、ようやく帝人君の体も温かさを取り戻してきた。その体温の中にふわりと香る甘いような清楚感のある体臭。酒臭さも抜けてきたらしい。抱きしめたまま、極力激しくその体を揺らさないように再び俺はベッドの中へと潜り込んだ。

「会いたいならそう言ってよ。今日だけじゃない、寂しくなったら言えばいい」
「でも……」
「でもじゃない。俺の知らない所でこんな風に酔われるとさ……正直腹立つから」

帝人君の肩にちゃんと毛布をかけてやりながら、赤らんだ目元へ口付ける。多分朝になれば今の事なんか忘れて何でここにいるのか分からず戸惑いながら、二日酔いで頭が痛いと泣く羽目になるんだろう。そんな彼の姿が容易に想像できて苦笑した。

「俺も帝人君に会いたいんだ。そのくらい、分かってよ」
「臨也さん……」
「好きだよ、ちゃんと。だから」

もう少し信じてくれてもいいんじゃないかな、俺が君を嫌うなんてあり得ないんだし。
その言葉は飲み込んだ。信じてもらえないのは俺の自業自得だと言う自覚はあるから、そこまで彼に求めるのはさすがに酷い気がしたのだ。

朝になれば忘れてしまうだろう、けどせめて。
俺だけは覚えていようと思う。甘える事も頼ることも我儘を言う事も知らないこの子供の本心を。クリスマスに一緒に入れてやれなかったせめてもの罪滅ぼしとして。
彼にこれから甘えてもらえるように。信じてもらえるように。
俺が帝人君をどれほど好きか、それをこれからゆっくり、分からせてあげよう。


夜は更けていく。
深々と降る雪は都会の冬には珍しく、新宿や池袋を白く染め上げた。




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(02/24)






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