「怪我、だいぶ良くなってきましたね」

臨也さんの肩からお腹の辺りにまで伸びる大きな傷。最初こそ肉が抉られた跡は痛々しいものであったが、岸谷先生からもらった薬が効いているのかその傷は綺麗になりつつある。

「毒さえ完全に抜けてればね……こんな傷、すぐに治るのに」
「それでも熱が引いただけよかったじゃないですか。もう気分とかも大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。力がまだ本調子じゃないだけだし」

包帯を巻きながら見上げると、やれやれと言った風に臨也さんは肩を竦めた。
毒による熱と痛みはすっかり形を潜めたらしく、怪我の方も先述の通り塞がりかけている。まだ本調子ではない様子だけどそれだけで僕は酷く安心できた。今の臨也さんには、死の匂いは漂っていない。あの晩のように弱った彼の姿はもう、見たくないから。

「あ、薬そろそろなくなりそうですね」
「そう?」
「はい。僕ちょっともらってきます」
「今から行くの?止めなって、もう暗くなるよ」

言われて窓の外へ視線を移せば、茜色が徐々に薄紫へ変化していく所だった。最近は日が落ちるのも早い。夜の時間が長くなるという事は、それだけ異形や妖怪にとっての活動時間が増える事と同義だ。

「あの悪鬼だってまだこの街に潜んでるかもしれない。夜は出歩かないのが賢明だよ」
「そうですけど……」
「俺なら平気だから、明日明るくなってから出掛けなよ。ね?」
「はい……」

僕を気遣うその口ぶりにいいえと答える事も出来ず、僕は渋々と頷く。臨也さんがまさに死の瀬戸際を彷徨ったあの晩の日から、どうも気ばかりが焦ってしまっている事には自分でも気付いていた。それは臨也さんも同じようで、苦笑した彼は僕の頭をぽんぽと叩く。

「君は心配性だよね。いや、お人好し」
「……そんな事ないですよ」
「そんなことあるよ……そういえば、君の本家はどうしてるの。まだ来いとは言われてないんだろ?」
「あ、はい。向こうも立て込んでるみたいで……多分、取り逃がした悪鬼を探してるんだと思います」
「人間の割にやるよね、ほんと」

軽口を叩くように呟いた臨也さんの瞳には、どこか昔を懐かしむ様な、そんな色が滲んでいた。もしかしたら僕の父に憑いていた時の事を思い返しているのかもしれない。父親の顔すら覚えていない僕にとって、父がどういう人間でどういう性格で、そして何を思って臨也さんと契約を交わしたのか、想像も及ばないところだ。
そもそも、臨也さんは何故父に興味を示したのだろうか。

「ねえ、竜ヶ峰の家って今頭首不在なんだろ?」
「はい。一応の候補はいるみたいですけど、空席のままです」
「ふーん……ならさ、」


「今は一体誰が家を仕切っているの」


一瞬、だった。臨也さんの瞳が一瞬、火を灯したかのような、いや、火よりも濃いまるで血の様な赤に染まった。剣呑、殺気、それらが込められた視線。
臨也さんは、きっと僕よりもあの家の事を知っているのだろう。口では何だかんだと言いつつも、父の力を認めていたからこそ傍にいたに違いない。だから懸念を抱いているのだろうか。
父が亡くなった今、後継者である筈の僕が跡継ぎの座につけずにいる。にも関わらず、家が機能している事に。

「まさかとは思うけど分家のくだらない連中じゃないよね?竜也が生きてた頃も大分鬱陶しかったんだよなあ、あいつら」
「……臨也さんってどこまで竜ヶ峰の事情に詳しいんですか……」
「少なくとも君よりは、ね。まあここ何年かは眠ってたからその間は空白のままだけど」
「……分家の人たちじゃありませんよ」

確かに、父が死に僕が跡継ぎとして相応しくないと勘当された直後から、分家の人達が本家に取り入ろうと動いていたのは事実だ。竜ヶ峰の家の権限と力、それらを掌握しようとあの人たちが画策していたのも知っている。
しかしそれを良しとせず、父の残した家を存続させるように立ち回ってくれた人もいる。

「僕の先生が、今は代理という事で指揮してます」
「先生?厳しいっていってた君の?」
「はい、先生は父の一番弟子だった人なんです。僕よりもあの家からの信頼は厚いから……」
「ふーん。で、今はそいつが家を仕切ってると」
「もちろん、他にも主要な重役はたくさんいます。先生はその中でも飛び抜けて力の強い人なので、一応の代理って事になってるんです」

包帯を切り端の方を解れないように固定すると、臨也さんはもそもそと着物の合わせを直した。じっと何かを考え込んでいるようで、包帯と鋏を片付けながら臨也さん?と声をかける。何か気になる事でもあったのだろうか。

「どうしました」
「……いや、何でもない。それよりそろそろ休むね」
「あ、はい。わかりました」
「おやすみ」

その一言を残し、臨也さんの姿は消える。いや、消えたわけではない。正確には見えなくなっただけだ。僕には、見えない。
力のある人ならば視認できるのだろうけど、生憎と僕には異形を捉える視力はない。それでも臨也さんの姿が見えたり彼に触れたり出来たのは、臨也さんが敢えて人の世界に近い場所までその存在を顕現してくれていたからだ。僕の様な一般人が妖怪を視ようと思ったら妖怪の方にそうしてもらわなければならない。
当然顕現には力を消耗するので、本調子でない今は力の消費を抑えているのだ。

「お休みなさい、臨也さん」

僕にとっては何もない空間。誰もいない部屋の一角。見えないけれど、臨也さんは多分近くに居てくれるのだろう。それでも目に見えない寂しさというのは、やっぱりある。
ご飯も食べずに寝てしまえばまた後でお小言を言われるので、仕方なしに食事の用意をしようと立ち上がった。

(さみしいな……)

一人は慣れていたはずなのに、一人で食べる夕飯は、やっぱり寂しかった。




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