悪鬼。鬼の中でも特級に危険とされているその所以は、凶暴性と攻撃性に加えまだある。彼らは恐怖の化身、人の恐れと悲しみと嘆きから産み落とされた妖怪。
妖怪には様々な種類がいる。自然から生まれた者、人の様に生殖機能によって生まれた者、けれど一番多いのは人の心から生まれる場合だ。人の感情や信仰心、そういったものが集合し形を持ち具現化した存在。
悪鬼もその一つであると聞いた。彼らは人が感じえる恐怖というものをそのまま鏡で写し取ったかのような存在である。人の心が生んだ妖怪、それ故に、彼らには人の意識や心に付け入る事が出来る。精神そのものを喰らう事が出来る。
それが、彼らが危険とされる理由。僕も彼らに精神を喰われかけていたのだろう、心の隙間に入り込まれこの場所まで引き寄せられた。
もしもあの時、悪鬼の呼びかけに返事をしていたら、僕は間違いなく喰われていた。心を喰われた者はただの抜け殻となり、廃人として生き人形になるのだ。

そんな悪鬼が、目の前に居る。血の滴る口元がてらてらと輝いていて、その凄惨な光景に意識が遠のきかける。よくよく目を凝らせば、その巨大な悪鬼の他にも多数の鬼がいるようだ。悪鬼につき従うかのようにその周りを取り囲んでいる。

「結構多いな……帝人君、離れないでね」
「え、」
「奴らの狙いは君だ。多分君が極上餌だって事に奴らは気付いている……俺から離れたら喰われるよ、君」

僕を庇うように立ちはだかった臨也さんは、ちらりと赤い目で僕を一瞥した後再び前方の鬼達と対峙する。ふさりと彼の背で揺れる尾が、いつものように穏やかな雰囲気を纏っていない事に僕は気付いた。

「臨也さん、どうする気ですかっ」
「決まってるだろ……倒すしか、見逃してくれなさそうだからね」

瞬間、臨也さんの体の周りにぶわりと炎が立ちこめる。僕の周りにも、まるで守るかのように僕を取り囲んむ炎が立ちあがった。臨也さんはじゃり、と白い砂利の上を進む。
気配に気づいた鬼達が一斉にこちらを捉えた。殺気を放つ臨也さんを敵と認識したらしい、その後ろに居る僕の姿を見て、舌舐めずりをしたような気がした。

「さて、悪いけどこの子はやれないよ。さっさとここから出て行ってもらおうか」

言葉は通じないらしい。まるで獣のように呻きながら、悪鬼を取り巻く鬼達が一気に臨也さんに飛びかかる。

「臨也さん!」

咄嗟に悲鳴を上げた。しかし僕が脳裏で描いた最悪の結末は実現する事はない。
臨也さんが腕を振り上げる。その指先から放たれた炎が襲いかかってきた鬼達に直撃すると、一瞬にして鬼を灰にしてしまった。

「全く、見くびられたものだね。それしきの雑魚じゃ、何匹いたって俺を殺せないよ?」

まるで挑発するかのように臨也さんは肩を竦める。それに反応して鬼がまた襲いかかるが、臨也さんの体に指一本触れる事無く、悉く灰にとなって消えていった。

(す、ごい)

僕は炎の中から、その様子を呆然と見つめる事しか出来なかった。
二千年も生きているのだから、きっと強い妖怪なんだろうなとは思っていた。けれど予想以上に、あの人は強い。悪鬼が特に危険だと言われてはいるけれど、基本的に鬼の名前を持つ妖怪はみな一様に凶暴で妖怪の中でも上位の存在なのだ。それをあんなに簡単に、その場から一歩も動く事無くあしらっている。

炎を纏い鬼を払うその姿は、とても美しかった。

「あれ……」

わんさかと溢れていた鬼達の数がどんどん減っていき、臨也さんが再び大きな火柱を境内の中に発生させる。そんな中で、僕は気付いてしまった。
社の前にいたはずの悪鬼の姿が、ない。

(何処に……!)

素早く視線を巡らせるも、臨也さんの炎で照らされている場所以外に光源は無く、当然の事ながら闇が広がっているのみだ。闇の中に紛れられてしまっては、肉眼で捉える事は出来ない。

「臨也さん!」

悪鬼がいない事を伝えようとした時だ、背後に悪寒を感じたのは。

(――――!)

振り返った僕の瞳は、確かに闇に紛れ、僕のすぐ傍まで迫っていた悪鬼の姿を捉える。鋭い爪がみっしりと生えた腕が振るわれた。それを避ける事は、出来ない。

「っうぁっ!!」

臨也さんが防護のために張っていた炎の壁はいとも簡単に破られた。振われた腕がそのまま僕の体をまるで紙のように薙ぎ払い、境内の両脇に茂る木に激突する。背中が打ちつけられあまりの痛みと衝撃に一瞬、息が詰まった。

「っ、かはっ、ぅあ……」

ずるずるとそのまま幹を背に倒れ込んだ。苦しい、痛い、血の味がする、口の中も切ったのかもしれない。骨も折れているかもしれない。
薄目を開けると、悪鬼がこちらに迫ってきていた。僕を喰うつもりなのだろう、恐怖で体は震えるのに、指先一本だってもう動かせなかった。痛い、怖い、いやだ、死にたくない。

「くっ……」

じわりと涙がこみ上げる。陰陽師、どうして僕は、その力を持たないんだろう。自分に力があれば、無力な自分でなければ、ただ死を待つなんて事、しなくてもいいはずなのに。
情けない、歯痒い。

(ああ、でも)

いっそ、ここで死んだ方がいいのかもしれない。僕がいなくなれば竜ヶ峰の家の負担だって減るし、それに、臨也さんとの契約も破棄されるはずだ。そうすれば、彼は自由の身になる。制限されているといった力も元に戻るだろう。
自由になって、力を取り戻して、ここから去れる。

(いざやさん……)

悪鬼が再び腕を振り上げた。爪で八つ裂きにするつもりなのだろう、その動きがどうしてか遅く感じられる。
願わくば、臨也さんだけでも無事でありますように。そんな事を思いながら、瞼を下ろした。








降りかかるのは、鮮血。生々しく肉を抉る音、足元に血だまりとなるそれ。

「……な、んで、」

悪鬼が振るった爪を受けたのは僕じゃない。


僕に背を向け庇うようにして立ちはだかった、臨也さんだった。


(なんで、なんでなんでどうしてっ)

「臨也さんっ!」
「っ、みかどくん……」

ぐらりと彼の体が揺れる。ぎしぎしとあちこち痛む体を無視して立ち上がった。咄嗟に彼の背中を支えると、ぬるりとした生温かい感触がする。
掌にべったりとくっついたのは、臨也さんの血だった。
肩から腹にかけてを切り裂かれたのか、血が彼の着物を汚している。

「っ、そんな顔するなよ……」
「だって、臨也さん、血が……!」
「これくらい大した事ないよ」

臨也さんは僕の腰を抱き寄せるとそのまま抱え上げて飛び上がった。瞬間、僕らがいた場所の地面が抉れあがる。悪鬼が再び振るった爪は容赦なく地を先木々をなぎ倒した。

「っ、くっそ……!」

痛むのか、臨也さんが顔を歪めながら右手を振るった。放たれた狐火は悪鬼の体を覆い尽くすも、悪鬼を灰にするには至らない。
ふわりと僕を抱えたまま音も無く石畳の上に着地した臨也さんの両目が、殊更赤い輝きを纏う。

「消えろっ……!」

低く唸った彼の腕から、今度は盛大な炎の渦が巻き上がった。それはそのまま悪鬼を飲み込み、さらには境内に広がる林までもを飲み込み、焼きつくす。熱風が臨也さんと僕の着物をばたばたと揺らし、僕は熱さに耐えきれなくてその場に尻もちをついてしまった。
爆音と轟音、木々が焼かれ消えていく、石畳と玉砂利までもが灰となって消えていった。

程なくして消え失せた炎の後には何も残っていなかった。林を盛大に焼きつくし焦げ跡だけが広がっている。

「たお、した……?」
「……いや、逃げられた。全く、逃げ足だけは早くて、困る……よね、」
「臨也さん!?」

ふらりと彼の体が傾いだ。臨也さんの体を何とか受け止める。体の傷はもう血が止まっていて、そういえば妖怪は再生能力が人間よりも遥かに高いんだっけと思いだす。けれど、彼の顔は蒼白だった。脂汗が額に滲み、苦痛に顔を歪ませている。

「臨也さん、臨也さんっ、しっかりしてください!」
「っ……ドジったなぁ……毒に、やられたみいだ」
「どく……?」
「悪鬼の、爪……毒入ってるんだよ」

喋るのも辛そうな臨也さんを、とにかく連れて帰らなければ。彼の脇に体を淹れ、僕よりも大きなその体を支える。歩けますか、そう尋ねると力なく臨也さんが笑った。

「大丈夫、歩けるよ……君も、そんな顔しないでさ、」
「でもっ」
「死にはしないから……平気だって」

ちらりと臨也さんが境内を一瞥する。彼の視線につられてそちらを見遣りながら、そういえばと僕は思い出す。本家の人たちが、まだここに倒れているのだ。

「彼らなら大丈夫」
「え?」
「死んではいないみたいだからね……そろそろ夜も明けるし、本家の人間が来るんじゃない?」
「そう、でしょうか……」
「討伐に向かった人間が戻ってこなかったら様子見ぐらいには来るでしょ……それより、奴らに見つかったら帝人君不味いだろ?早くここから離れよう」
「はい……」

怪我をしているのに、毒で苦しいはずなのに、臨也さんは僕よりもずっと冷静だった。
僕はそれが悔しくて、悲しくて。
どうして僕には何もできないんだろう。知識だけはあるけれど、それも些細なものでしかない。その少なすぎる知識だけでは臨也さんの傷を治す事も、毒を取り除く事も出来ない。

無力すぎる、僕は。それをこれ程まで悔しく思った事は、無かった。

(臨也さん……)

何で助けてくれたの。貴方が望んでいるのは僕の死じゃなかったの。

言いたい事はたくさんあった。でも、言えなかった。
苦しいでいる臨也さんに、僕がかける言葉は何一つなかった。




(貴方の痛みを紛らわす事も出来ない僕は、やっぱり出来損ないなんだ)




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(09/23)






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