「あれ、今日は出掛けないの」
「あ、はい。今日はお休みです」

いつも家を出る時間になっても動く気配のない僕に、臨也さんが不思議そうな目を向けた。茶卓をどかしさて掃除でもしようかなという手を休めて、僕は彼を振り返る。

「何でも本家の方に大きな仕事が舞い込んできたそうなんです。で、総出で取り掛かるから暫くは来なくていいって」
「へえ、仕事とかやってたんだ」
「一応名家ですから」

興味なさそうにふうん、と相槌を打った臨也さんは僕の傍まで寄ってくると、座ってとおもむろに言い放った。会話に脈絡がなさ過ぎては?と困惑していると、もう一度今度は強い口調で「座って」と急かされる。

「あ、はい……」

言われた通りに正座をして座ると、臨也さんは断りも無しに寝ころび、僕の膝を枕にし始めたではないか。

「……あの、」
「なに」
「僕、これから掃除しようと思ってたんですけど」
「明日でいいじゃない」
「…………」
「俺は眠いから寝たい。だから寝かせて」

君の膝枕、結構気持ちいいし。
そう言われてしまえば僕は臨也さんを強く拒絶する事なんてできないから、折れるしかない。目を閉じた彼の黒髪を撫でる。ひくひくと動く狐の耳に触れてみると、「くすぐったいよ」と全然くすぐったくなんて感じていない声音で批難された。

「あー……でも、君に撫でられるのは気持ちいいね」
「そ、そうですか?」
「うん……」
「臨也さん?」
「……」

もう眠ってしまったのだろうか、寝息すら静かな彼の整った顔を見下ろす。するりとその頬を撫でながら、考えるのは彼に言われた言葉。

(僕が契約主の内は、)

守ってあげる、と。彼はそう言った。
でも僕は気付いていた。それは臨也さんの口から出た気休めでしかないという事を。彼が望んでいるのは契約の破棄。そして今現在の彼の契約主は僕だ。父さんがどんな契約を結んで臨也さんを縛りつけたのかは知らないけれど、破棄する方法として一番手っ取り早い手段が何であるのか、僕も知っている。

契約主の、死だ。

僕が死ねば当然の事ながら、結ばれていた契約は解除される。そうすれば臨也さんは晴れて自由の身だ。もう、僕の傍に居る必要もない。
彼が守ると口にしたのは単なる気休めで、きっと心の中では早々に僕の死を望んでいるに違いないのだ。
それを非情だとは思わない。当然の事だと理解しているから、彼を酷い妖怪だと責める気はないし彼への見方を変える気もない。

ただ、本当に少しだけ。

(さみしい、だなんて)

そっと瞼を下ろす。こみ上げる涙は、意地でも外に零さなかった。







その日の晩の事だった。

(あ、れ……)

布団の中で寝返りを打ちながら、僕の意識は覚醒する。もぞりと上体を起こして寝ぼけ眼を擦った。

「よ、んでる……」

確かに聞こえる。自分を呼ぶ声が。まるで直接頭の中に響くような、そんな声が。

(でも、だれが)

一体誰が僕を呼んでいるのだろう。そろりと布団を抜け出した。そのまま裸足で外へ出る。
どうしてかは分からないけれど、何故かどうしても、この声の主に会いに行かなければならないような、そんな気がするのだ。

僕の名前を呼ぶ声。ただみかど、みかど、と、僕の名前ばかりを繰り返している声がどこか懐かし響きを持っていて、誘われるようにふらふら夜の街を歩く。どこから聞こえているかなんて分からないはずなのに、何故か体は声に吸い寄せられるように勝手に動いた。寝起きだからか未だはっきりしない意識の中で、僕はただ自分を呼ぶ声に意識を預ける。

(とうさん、なのかな……)

それとも母さんなのかもしれない。男の声か女の声か、それすらもはっきりしないのに、ただ懐かしさだけがこみ上げる。顔も覚えていない両親の声なのかもしれない。だといいなと、そう思いながら僕は進む。

みかど、

みかど

帝人

(とうさん……かあさん……)

へんじをして、みかど

帝人、返事を、

(う、ん……)

呼ばれている。返事をしなきゃ。声を出そうと、空気を吸い込んだ。




「帝人君!」




(っ!?)

ぱりん、と。
まるで僕を包んでいた何かが弾けるような音を持ってして世界が消し飛んだ。意識を覆っていた眠気のような靄が唐突に晴れる。視界が鮮明になる。声が消え失せ、僕はようやく正常な意識を取り戻した。

そして、目の前に広がる光景に愕然とした。

(な、に、これ……)

いつの間にこんな場所に来ていたのだろうか、先日夏祭りが催されていた神社の境内の中に僕は立っていた。裸足でここまで歩いてきたからか、先程までは気にならなかった足の裏が痛み始める。何かで切ったのかもしれない、けれどそんな事を気にする余裕はどこにもない。

倒れて、いるのだ。境内の中に、たくさんの人間が。そしてその倒れ伏した人間達は一様に血だまりの中に居て、そしてその人達の事を僕はよく知っているのだから、救われない。
彼らの纏う衣装は見間違えるはずもなく、竜ヶ峰の家の者が陰陽師として動く時に身に纏うものだったのだ。

「っ、……うっ」

思わず口元を掌で覆う。その場に崩れ落ちるようにしてしゃがみ込む。震えが止まらない、意識が苦しい。
なんで、なんで、彼らがここで、血の中で倒れているんだ。

「帝人君、大丈夫っ!?」
「い、ざやさん……」

しゃがみ込む僕の傍に現れたのは血相を変えた臨也さんだった。先程僕の名前を力強く呼んでくれたのは、この人の声だったのか。
彼は震える僕の肩を支えると、背中を撫でてくれた。

「よかった、飲み込まれる前に戻ってこれたんだね」
「え……?」
「君は誘い出されたんだ。夢の中、人の意識に入り込んで精神を支配し、呼び寄せる。そういう術を奴らは持っているからね」
「やつらって……」
「そう……あいつらだ」

臨也さんが険しい顔で見つめる先を、僕も見る。境内の奥、社の前の辺りで、何かが蠢いていた。

「竜ヶ峰の家が請け負ったって仕事は……どうやらこいつらが相手だったらしいね」

臨也さんが立ちあがる。僕は"それ"から目が離せない。

大男の三倍はあろうかという体躯、赤黒い皮膚にまるで獣のような顔。丸太のように太い両腕両足には一目見て凶器になりえると分かる鋭い爪が生え、眼光は不気味な赤に染まる。
そして、頭部から伸びるのは角。

「最強最悪、鬼の中でもかなりやばい妖怪――――悪鬼だ」

臨也さんの背で尻尾が揺れた。
僕は初めて目の当たりにする"鬼"に、体の震えが止まらなかった。




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(09/20)






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