傘クラゲ
傘がない。
六月のとある日。梅雨真っ只中。
昨日も雨、一昨日も雨。そして今日も、今まさに、どしゃぶりの雨。
けだるい雨の日の一日も終わり、少し憂鬱な気分を抱えながら家に帰ろうとしたところ、傘立てに置いておいたはずの自分の傘がなくなっていた。誰かが間違えて持って行ったのか、盗まれてしまったのか。
「どうしよう……。」
思わずひとりごちてしまった。バス停まで結構な距離があるというのにどうやって帰ればいいんだろう。
「どうしたの?」
「あ、水谷くん。」
ぽんと肩を叩かれて振り返ると、そこには同じクラスの水谷くんがいた。
「傘、ないの?」
「あ、うん。持ってきたんだけど……。」
「あー、持ってかれちゃったんだ。」
すると水谷くんはビニール傘を手にとり、思いがけない言葉を投げてきた。
「じゃ、入ってく?」
大きめのビニール傘を雨がぱしぱしと叩いていく。水滴で滲んだ景色が幻想的に揺らぐ。
どんよりとした曇り空のせいか、あたりはいつもより薄暗く見えた。
「あ、あの、ありがとう。」
「いいって。困ったときはお互い様じゃん。」
あはは、と彼はふにゃりと笑った。笑うと目じりが下がって、ちょっと犬に似ているなんて考えたけれど、その笑顔までの距離が近すぎて私はすぐに目を逸らしてしまった。
同じクラスといえども、目立つタイプの水谷くんとはあまり話したことがない。それなのに肩が触れそうな距離に突然並ばれて、私はドギマギしながら緊張をごまかせないでいた。
「てか、逆にごめん。」
「えっ?」
「相合傘になっちゃってごめんね。オレもこないだ傘盗まれて、びしょぬれで帰ったばっかりだったから他人事に思えなくて。」
「そんな、謝らないで。折り畳み傘も持ってなかったし、助かったよ。」
それじゃよかった、って言って彼はまた笑った。
「でも断られなくてよかった。正直、苗字とそんなに話したことなかったから気持ち悪いとか言われないかってちょっと心配したんだ。」
「そんなことないよ! 確かにちょっとびっくりしたけど、むしろ水谷くんが私なんかに…って、あの、えっと。」
思わず卑屈な言葉が出てきそうになって口どもってしまった。常に周りに人がいっぱいいる水谷くんと、人見知りでおとなしいね、なんて言われてしまう私。なんて不釣り合いなんだろうと思わずにいられない。
「オレは、苗字と話せて嬉しかったよ。」
思いがけない言葉。聞き間違えかと思うほど。
「じゃ、また明日!」
気づけばバス停についていて、屋根のあるところまで送ってくれた彼はひらひらと手を振り去っていった。
その背中を見ていると、なんだか心臓がやけにうるさく鳴った。見つめ続けていると、またくるりと振り返った水谷くんが私の視線に気づいて、ばいばーいと大きな声で言いながら手をぶんぶんとふっている。私も小さく手を振った。その手が震えている。
やまない雨。
やまない気持ち。
(20140523)
モ ドル