1 あの後、俺はアヒルのカナコちゃんを何事も無かったかのように、風呂場の前に起きそそくさと自分の机に戻った。 途中だった明日の予習に集中しよう。そうしよう。 そう思って織田が風呂から出てくるのを待っている間に、俺は思った以上に疲れていたのか気付くと机に突っ伏して眠ってしまってしまっていた。 次に起きた時には朝の5時で、辺りを見渡すと部屋はまだ薄暗かった。 優しい誰かが肩から布団を掛けてくれているはずもなく、薄ら寒さを感じてクシュンとくしゃみをする。 織田は多分二段ベッドの上で寝ているはずだ。俺が一段目を使っているから、必然的に織田は上になる。 しかし下からはよく見えないし、わざわざ覗くのも面倒なので、俺は音を立てないように急いで風呂場に向かった。 机で寝ていたからか体がばきばきだ。 シャワーを浴び髪と体を洗い、時間も早いし俺はお湯に浸かることにした。 「ふぃ〜、朝風呂とか久々だよ…」 1人呟いて視線を向けた先に、黄色いものが見えた。 …いや、待て。 黄色、だと………? 「マジかよ…」 なんでカナコちゃん…… それは風呂場に置き去りにされたアヒルのカナコちゃんだった。 「あいつ、本当にカナコちゃんのこと大切にしてんのか…?」 投げつけられるは置き去りにされるはで酷い扱いである。 心なしか寂しそうな表情をしているように見えたカナコちゃんが可哀想になり、俺はそっとカナコちゃんを手に取った。 「にしても、男子高校生がアヒルのオモチャと入浴って…今誰かに見られたら誤解されるんだろうな…」 見目麗しい織田でさえ引いたのだから、平々凡々な俺なんてドン引きされるに違いない。 …まあ、誰かに見られるとしても、今は織田くらいしか居ないだろうが。 俺は手の中にあるカナコちゃんをクルクルと上下に回してみた。 「………ん?」 と、その時カナコちゃんのお腹に何か文字が書かれているのに気付く。 少し消えかけてはいるが、油性マジックで書かれたであろうそれはーーー 「と…も……て、俺?」 何故かそこには平仮名で辿々しく“とも”と書かれていた。 織田はオダレイヤだから、織田の名前じゃない。 とも、と言えば俺の名前であるが…どうして織田の私物にともと書かれたものがあるんだ? もちろん俺では無く、とも、という同じ名前の子が書いたものだとは思う。 しかし俺は何故だか見てはいけないものを見てしまった気がして、急いでカナコちゃんを元あった場所に置き風呂場を後にした。 チン、と小気味良い音をさせてトースターがパンの焼き上がりを告げた。 「はいはい〜」 俺は母さんがよく言っていた口癖を口にしながら、トースターから小麦色に焼けた食パンを2枚取り出した。 それを用意しておいた2枚の皿に並べ、フライパンから焼いたベーコンとスクランブルエッグを取り分ける。 冷蔵庫から出した実家から送られて来た俺の大好物であるトマトを添えたら、朝ご飯の完成だ。 「あー、俺ってホントお人好し…。つか、バカ?」 俺はキッチンに並べてある2人分の朝食を見ながら自嘲地味に呟いた。 微妙な時間に起きてしまった俺はあの後することも無く暇なので朝ご飯を作ることにしたのだが、なんとまあ気付けば2人分を用意していた。 もちろん暇だから、というのもある。 しかし、果たして作ったからと言って食べるとも限らないし、そもそも出会った時から不遜な態度を取られ(もちろん俺も悪かった)、ロッカーに押し付けられ(あれは意味不明)、カナコちゃんを投げ付けられた(ことは、そこまで気にしてないが)ような奴に朝食を作るなんて我ながらどう考えてもおかしい。 だからと言って、やはり1年間ギクシャクして過ごすのが嫌だった俺は、一応昨日織田の趣味をギャーギャー言って申し訳なかったな…というと癪だがそんな気持ちも少しあって作ることにしたのだ。 まあ作ったと言っても別に手ぇ込んでないし?焼いただけだし、適当だし?なんならついでに作ったような軽いノリだし?と自分に言い聞かせて、よし!と気持ちを切り替えた。 自分の分は自分の机に持って行き、織田の分はソファーの前の机に置く。 織田は食べるか分からないので、冷蔵庫から自分の分のヨーグルトと牛乳を取り出し、牛乳をコップに注いでいると織田のベッドからけたたましいアラームが鳴り出した。 「うっせ…」 どんだけ大音量で設定してんだよ。 思わず眉を顰めて、織田の寝ているベッドの方に目を向けると、すごい早さで手が伸び一瞬でアラームが静かになった。 「………」 そのまま再びピクリともしなくなる布団の盛り上がりを見ながら俺は流石に突っ込んでしまった。 「……起きないのかよ…」 それが聞こえたのかどうかは謎だが、暫くするともぞもぞと布団が動きようやく織田が体を起こした。 二段ベッドの上から織田がキッキンに居た俺を見る…ってちょっと待って!!? なんであいつ裸なの!?!? ムクリと起き上がった織田は何も着ておらず、色白の透明感溢れる体が露わになっていた。 数秒ボー…としていた織田は、バサっと布団を傍に寄せるとハシゴから降りてくる。 「え、え、ちょっと待って…」 そんな、裸で上から降りて着たら見たくないとこまで見る羽目になるだろ!? いくら男だと分かっていても顔は中性的なので、俺は思わず目を瞑ってしまった。 トン、と床に降りる音が聞こえ俺はそろり…と目を開ける。 「!!」 さすがに真っ裸では無かったが、リビングでぽりぽりとお腹をかく織田の姿に言葉を失ってしまった。 まあ、百歩譲ってここは男子校だ。 教室でもよく全裸になったり、あられもない姿ではしゃいでる男子の姿をよく目にするが、織田のそんな姿ーーー寝癖でグシャグシャになった髪にパンツ一丁は見たく無かった… ちなみパンツは黒のヒョウ柄ボクサーパンツです。強そう。 しかも昨日お湯の中でぼやっと見た時より織田の体が鮮明に見えたお陰で、引き締まった腹にできたシックスパックを見つけてしまった。 超絶ムキムキな訳ではない。本当にバランスよく体型とマッチした筋肉のつき方をしてる。 ていうか…俺でさえそんな割れてないのに……誰か嘘だと言ってくれ…… 敗北感を感じショックを受けていると、織田がこちらにゆらりと向かってきた。 「あ、えっと。はよース」 「………」 「つーか、なんでお前パンツ一丁なんだよ。その顔で男らし過ぎだろ」 ハッ!しまった! これ、また怒られるやつじゃ…!? 「………」 「………織田?」 しかし俺の予想とは裏腹に織田は無反応だった。 無反応で無表情のまま俺の前に立つ。目が開いてるからちゃんと起きてる…とは思うが、なんかちょっと目がスワッてないか? 訝しげに織田を見ていると、織田はすっと片手を引き、 「!!!!」 俺の頬を殴りつけてきた。 突然のことに咄嗟の判断が出来ず、受け身を取ることもできないまま衝撃で床に沈んだ。 「い゛ッ…つぅ…!!!」 後から来る痛みに眉をしかめるが、痛みを噛み締める前に俺に馬乗りになってきた織田の重さに恐怖を感じた。 また殴られるーーー!!? 本能的に頭を守った俺だったが、織田は殴ることはせず俺に覆いかぶさるように、抱き締めた。 もどる | すすむ | 目次へもどる | |