小説 | ナノ


(黒→←黄/これの黄瀬視点)




「ずっと、黄瀬先輩のことが好きでした」
顔を真っ赤にして、俯きながら言う後輩の女の子。
入学当初から、可愛いと噂になってる子だ。
そんな子に、練習が終わるまで待ち伏せされてたなんて、以前の俺なら舞い上がってたに違いない。
彼を、好きになる前の俺なら。

「ごめんね。今は部活と仕事が忙しいから…」
残念そうな顔を作って、目を合わせてそう言えば、彼女はさらに頬を真っ赤にした。
…気持ちを偽るのなど、簡単なこと。
彼の前で、何でもないようなふりをすることに比べたら。

部室に戻ると、黒子っちは本を読んでいた。
真剣な横顔。
開け放たれた窓から入ってくる風で、さらさらとなびく髪。
「黒子っち!お待たせっス!」
抱きしめたい。触れたい。
そんな欲望と戦いながら笑いかけると、黒子っちは本を閉じる。
「何読んでたんスか?」
「…漱石、です」
「ソーセキ?」
「夏目漱石です。知らないですか?」
その名前なら、知っている。
彼が言ったとされる、ひとつの英文の解釈を、前にどこかで読んだ気がする。
部室を出たところで見える、まん丸より少しだけ細い月。
(…漱石は、確か、I love youを、)
「…黄瀬君」
「ん?」
「月が、綺麗ですね」

その時の黒子っちの表情が、あまりに儚げだったから。
俺の方を、見てくれなかったから。
だから俺は、気付かないふりしかできなかった。

俺の『好き』は、冗談にするくせに。
…黒子っちは、ずるい。
……だけど、気付いてるくせに言わない俺は、きっともっとずるい。

「わたし、死んでもいいわ」
分かれ道で、黒子っちの背中を見つめながら呟く。
聞こえなかったようで、黒子っちは振り向かない。

二葉亭四迷がかつて、ロシア語の小説の翻訳に使った一文。
…I love youの、返答にあたる言葉。

もし、いつか。
黒子っちがこちらを向いて、もう一度。
『月が、綺麗ですね』
そう言ってくれたなら。

本当に死んでもいいと、そう思う。


お願い言って
(そう言えば、あなたは)
(どんな顔して俺を見るだろうか)




20120428



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