新開君は、どんな時でも優しかった。初めて言葉を交わした日も、新開君が私に向けてくれたのは純粋な優しさだった。 あの日、あの時。私が新開君の前で転んだりしなければ、その優しさはきっと私ではない誰かほかの人に向けられていたのだろう。偶然が重なって、勘違いさせて。新開君の優しさに甘えてしまう形でずるずると続いていた関係だ。終わらせようと思えば、すぐに終わりを迎えられる筈だったのに。一回だけでいいからデートがしたいとか、もう少しだけ夢を見ていたいとか、理由をつけてさよならを言わなかった理由。そんなの、もうとっくの昔に気づいていた。 ――新開君が、好きだ。勘違いでも、何でもなくて。…私が、新開君の事を、好きなんだ。 あの後教室に戻る気にはなれなくて、体育館裏で5限目を過ごすことになってしまった。授業をボイコットする度胸なんて今までなかったから、これが人生初のサボりである。こんな時でも先生に怒られないかな、とか考えてしまう己の平凡さが嫌になる。 膝を抱えて座り込んでいると、ポケットで震えた携帯。画面に表示された名前は、…荒北だ。がっかりしてごめん荒北、許してね。 『お前今どこ』 『体育館の裏』 『わかった』 相変わらず、色気も何もないやり取りだ。用件のみの簡素な文章を数度繰り返した後、荒北からの返事はなかった。代わりに、5分もしないうちに近づいて来たのは足音で。顔を上げなくても、来てくれたのが誰かなんてわかっている。 「……荒北…」 「お前さァ、なんでさっき逃げたワケ?おかげで、オレあそこにいた奴らにすっげェ恨みがましい目で見られたんだケド?」 迷惑かけンなヨ、荒北はそう言って私の頭を軽く小突いた。いつもならここで反撃をする元気があるけれど、残念ながら今日は難しい。無反応の私を不思議に思ったのか、荒北はため息をついて私の隣に腰を下ろした。 「…荒北、授業は?」 「どっかのバカが戻って来ねェから、オレもサボり。これで福ちゃんに怒られたらどうしてくれんの、お前責任取れヨ?」 意外にも、荒北はいつも授業を真面目に受けている。元不良のくせに、成績は割と良い。それもこれも、部活をやるためには仕方がないことらしい。私のせいでごめんね、謝りたかいのに、なかなか言葉が出てこなかった。方向性は違うけれど、新開君に劣らず荒北もいつだって優しい。今の私に、気遣いだとかなんだとか、そういう類の物はどうやら逆効果のようだ。荒北の優しさを再認識してしまえば、それだけで涙が出そうになる。 じわりと目尻に浮かんだ涙を何とか溢れさせないように頑張っていると、荒北が目を見開いた。 「何、どォしたの。大丈夫、福ちゃん別にお前のコトは怒んねェよ。怒っても基本いい奴だから怖くないし、あー、いやちょっと怖いケド」 「ちが、くて。そうじゃなくて」 斜め上方向に行ってしまった荒北の言葉を遮って、ゆっくりと話し始める。 「……私、ね。新開君のこと、好き、なんだ」 言葉にすると、余計に自覚してしまった。新開君が、好きだ。いつからかはわからない。もしかしたら最初からだったのかもしれないし、一緒に動物園に行った時からかもしれない。それとも、日常の中でのふとした瞬間だとか。新開君に恋をする機会は、それこそ数えきれないくらいあった。そう言えるくらい、全部全部好きになってしまったのだ。 新開君の勘違いから私達の関係が始まったということを、荒北は知っている。というより、知っているのは荒北だけだ。だから、こうして私が相談出来る相手も必然的に荒北だけになってしまう。それをわかっているからだろうか。まとまらない私の言葉を、荒北はただ黙って聞いてくれていた。 「新開君は、ほんとに人気があって。憧れてる子も一杯いて、…私なんかじゃ、勿体ないんだよ。全部勘違いですよ優しくしなくていいんですよ責任とか取らなくていいんですよ、って、言わなきゃいけないのに、」 …どうしても、言えない。言いたくない。お情けでもなんでも、新開君の彼女でいたかった。いよいよ我慢出来なくなって、涙が溢れる。ぽたぽたと落ちた滴はコンクリートに染みを作って、あっという間に広がっていった。馬鹿な奴め、そう言って荒北に笑い飛ばして欲しかった。いつもみたいに軽く馬鹿にして欲しかったのに、待てど暮らせど荒北からの罵倒はない。 「…お前さァ」 …罵倒の代わりに荒北の口から零れたのは、予想もしていない一言だった。 「……オレだったら周りにとやかく言われるようなコトもないだろうし、お前が今更うじうじ変に悩むコトもないだろうし」 ――オレにしとけば、いいんじゃないの。 |