06.
甘い匂いが、教室中にたちこめていた。匂いだけで空腹を感じる空間は辛いところがあるけれど、それ以上に、私にとっては今目の前に迫る試練の方がよっぽどきつい。

本日の調理実習、カップケーキ。今までは友達と楽しみに食べたりしていたけど、今日ばかりはそういうわけにはいかない。調理実習があると聞きつけた新開君に、あらかじめ「楽しみにしてる」なんて言われてしまったのだ。
相変わらず新開君に笑顔で言われてしまえば私は頷くことしか出来なくて、いい加減首を横に振ることを覚えた方がいいと思う。そうすれば、今だってこんなに苦労することはなかったのに!


「…モテてるね」

「……モテてんなァ」


一人で行くのはなんだか怖くて、荒北を引き連れて新開君の教室までやって来た…まではよかった。問題は、その後だ。教室を覗いてみると、新開君は周りを女の子に囲まれていた。皆が手にしているのは実習で作ったカップケーキ。そういえば、午前中は他クラスも実習だったなぁ。もしかして、学年の大多数の女の子は新開君にあげるために気合入れて作ってたんじゃないだろうか。そんなことを考えてしまう程の盛況っぷりに、思わず尻込みしてしまう。だって、だって。


「…あっあの子すごい可愛い…!バレー部の子だよね?超可愛いよね?」

「あー、そうだな。割と人気あんネ」

「というか全体的にレベル高いよね!?何なの選ばれた猛者達しか新開君に近寄っちゃ駄目なの!?」

「自分に自信ある奴しか近寄らないんじゃナァイ?」

「成る程……となると、やはり私は行かない方が…」

「バァカチャンが、お前は彼女だろーが。自信持って行けっての」

「やだ荒北優しい!余りのケーキあげよっか!?」

「いらね、腹壊したくないし」


どうしても教室に一歩足を踏み入れる気にならなくて、教室の入り口でこそこそ隠れて荒北と言葉を交わす。その間も人は途切れる事がなくて、新開君の周りには常に女の子がいるような状態だった。どうしよう、こんなことをしている間に昼休みが終わってしまいそうだ。
…荒北の言う通り、一応私は彼女、だから。他の女の子に紛れて突撃してもいいのかもしれないけど。…残念ながら、勘違いから始まったこの関係だ。胸を張って新開君の彼女ですと名乗るような自信も度胸も、私は持ち合わせていなかった。


「あー、もう。メンドクセ、付き合わされるオレの身にもなれっての。新開呼んで来てやるから、お前ここで待っとけヨ」

「えっ嘘、やだ!荒北!」


私の葛藤など知る由もなく、痺れを切らした荒北が教室内に一歩踏み出す。止めようと手を伸ばしたけど、残念ながらあとちょっとの距離で届かなかった。どうしよう、どうしよう。いや、もともと渡す気で来たから早く用事を済ませられるにこしたことはないんだけど!

まだ心の準備が出来ていなくて、思わず入口のドアにさっと身を隠す。手に持った紙袋をぶら下げて足元に視線を落としていると、ふっと視界に影が落ちた。新開君かな、そう思って顔を上げるけれど、そこにいたのは見知らぬ女の子達。あ、可愛い。なんかいい匂いもするし化粧もばっちりされてる、今時女子高生の権化のような出で立ちだ。


「新開君の彼女さん?」


唐突に話しかけられて、びくりと肩が震えた。


「えっ、いやっ、あの!…はい、……一応…」


ぽつり、最後に付け加えた言葉が彼女達の耳に届いたかどうかはわからない。ただ、彼女達はじっと私を見つめると、緩く口元に弧を浮かべるようにして笑った。


「新開君、ほんとに彼女出来たんだぁ」

「ちょっと意外だったかも、みょうじさんみたいな子だったって。…私、もっと先に告白しとけばよかったな」


…グロスの薄く塗られた艶やかな唇から零れた言葉は、鈍く私の心の中に沈んでいく。じゃあ、ごめんね。そう言って彼女達はすぐにいなくなったけれど、胸の奥のもやもやは取れないままだった。

悪気は、なかったのかもしれない。誰だって、新開君の彼女が私みたいなタイプだったら不思議に思うだろうし。私自身も、どうして新開君が私に付き合ってくれているかなんて、わからないのに。


荒北ごめん、折角呼びに行ってくれたのに。
今新開君の顔を見たら、みっともなく泣いてしまいそうだった。これ以上惨めな気持ちになりたくなくて、重い足を引きずるようにして私は教室を後にした。
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