02.
新開君の背中を無言で追いかけて、辿り着いたのは人気のない校舎裏だった。ベタだ。ベタ過ぎる。
ずっと顔を上げられずに地面を見続けているから、新開君が今どんな表情をしているかはわからない。…わからないんだけど、ある程度は予想出来る。きっとすごい怒ってるんだろうな!汚い物見せやがってとか思ってるんだろうな!箱根の直線には鬼が出るらしい。いつもの甘いマスクからは想像できないけど、直線鬼新開君の形相は凄いと聞く。今顔を上げて、その先に鬼がいたら私は多分腰を抜かす。泣く。そしてまた新開君に迷惑をかけてしまうことになるんだ。
荒北の発言にはイラっとしたけど、私のせいで新開君の精神面にダメージを与えていたらどうしよう。自転車競技部の人たちに何て謝罪をすれば…!


「なあ、みょうじさん」

「ハイッ」

「…随分固くなってるけど、大丈夫か?別におめさんのこと取って食うわけじゃないから、怖がらなくていいぜ」


わーー新開君は優しいなあ。こんな私を気遣ってくれるなんて!荒北に見習っていただきたい!


「よかったら、顔を上げてもらえると嬉しいんだけどな。ちゃんと話したいし」

「……ええと」


新開君に促されるまま、ゆっくりと顔を上げる。視線の先にいたのは、鬼じゃなかった。というか、鬼なんてとんでもない。私の目に真っ先に飛び込んできたのは、優しい笑みを携えたイケメンだった。私の人生の中で、イケメンとこんな真正面から向き合った経験なんて皆無に等しい。東堂君なんかはよく話すけど、彼の場合は性格を知り尽くしているのでイケメンからは除外しておこう。新開君は満足そうに微笑んで、それからゆっくりと口を開いた。


「随分派手に転んでたけど、怪我はなかったのか?」

「ハッハイ勿論です大丈夫です!この通りピンピンしてます!」


ね!?とその場で屈伸してみせて、無傷アピール。


「そうか、それならいいんだ。……じゃあ、本題だけど。おめさん、何でさっきは逃げたんだ?」


……本題ってそれか!まさかの問いかけに、表情筋が凍りつく。
パンツ丸出し事件の時、新開君は私に優しく手を差し伸べてくれた。今みたいに少し笑って、「大丈夫か?」と声をかけてくれたのだ。バックにきらきら背負ってそう言う新開君は、文句なしにかっこよかった。王子様に見えた。――ので、逃げた。王子様の前で無様な姿を晒したことが恥ずかしくて、私はその手を無視してダッシュで逃げた。私の名前を呼ぶ新開君の声は聞こえていたけど、完全無視で走り抜けて荒北の所に駆け込んだのだ。


「え、ええと…それはですね…」


もごもごと口ごもる。多分今の私は最高に気持ち悪い。だけど新開君は馬鹿にしたりとかそういう事はなくて、私が話せるようになるまで待ってくれていた。イケメンなうえに中身まで素晴らしいとか超人過ぎる。天は彼に一体どれだけ与えまくってるんだろう。視線は再びゆっくりと地面を落ちて行き、自分のつま先を見つめるしか出来なくなってしまった。顔を見なければ、なんとか会話が出来るような気がした。


「……は、恥ずかしくて」

「ん?」

「恥ずかしかったんです、よ!それで混乱しちゃってつい逃げちゃって、ええと、……ごめん、なさい」

「…つまり、俺が嫌なわけじゃなかったんだな?」

「有り得ないです新開君が嫌とか滅相もないです!!そんな恐れ多いこと言えるわけないじゃないですか!!」


ぶんぶんと勢いよく頭を振って、精一杯否定する。一体何を言い出すんだ新開君は!予想外過ぎた発言に、どんどん申し訳なさが湧き上がってきた。俯いた顔はそのままに、ちらりと視線だけ上げて――再び私は固まることになる。目が合った新開君は、嬉しそうに笑っていた。さっきまでも笑顔だったけど、今度はもっと眩しい感じ。過ぎた美形は目の毒だ、これ以上ここにいたらきっと私は心臓が頑張りすぎて死んでしまう。ここは早々に荒北の顔を見て中和してもらわなければ…!


「あ、あの私もう行くね!それじゃ!本当にごめんなさい!」


新開君の横をすり抜けるようにして走り出す。少しでも早くこの場を離れたくて、その一心で慌てたのがいけなかったのかもしれない。一歩、二歩。足を踏み出した所で、――盛大に、私は転んだ。勢いよく地面に倒れこみ、そのまま活動停止する。…うん、うん。天は東堂君や新開君には二物も三物も与えるけど、私には何も与えてくれなかったらしい。その事について、今更文句を言うつもりはない。…ただ、何も与えなかったかわりに今すぐ私の願いを叶えて欲しい。お願いします、今すぐ新開君の記憶を消して下さい。今すぐに!!

一度ならず、二度までも。私は新開君の前でパンツを丸出しにする羽目になった。転んだ拍子に捲れたスカートを後ろ手に抑えつけて、ゆっくりと立ち上がる。もう嫌だ顔から火が出そうなくらい熱い、恥ずかしい。

振り返る事も出来なくて、だけどまた走り出す事も出来なくて。その場に立ち尽くすだけの私の手首を、新開君が優しく掴んだ。そのまま軽く引っ張られて、再び新開君と向き合う。先程よりも近い距離で、新開君は私をじっと見下ろした。その表情には、笑顔はなかった。真剣な目で新開君は私を見つめ、たっぷり数秒の沈黙の後。


「…おめさんの気持ちは、わかった」


…新開君は、ゆっくりそう言った。私の、気持ち…?今すぐ新開君の記憶よ消えろ!!とかそういうのが読まれてしまったのだろうか。何と言ったらいいかわからなくて、私はただ黙って新開君の言葉の続きを待つ。掴まれた手首がやけに熱くて、心臓もうるさい。これ以上近くにいたら、心臓がきっともたない。命の危険を感じた私は、新開君から離れようと一歩後ろに下がる。しかし、新開君はそれを許さなかった。逆に私の手首を引いて、ぎゅっと抱きしめた。…抱き、しめ…。………抱きしめた?


「え、あの、ちょ、新開君!?」


目の前には新開君の厚い胸板。全身をすっぽりと包まれて、これは…これはどこからどう見ても抱擁である。ちょっと待って落ち着いて、抱擁というのは普通恋人同士がする物じゃないのか。


「…悪い、俺がもっと早くに言うべきだったな。そしたら、おめさんに恥ずかしい思いをさせなくてもよかったのに」
「話の展開が、全く読めないんですが!」
「大丈夫だ、みょうじさん。十分気持ちは伝わった、……俺も好きだよ。おめさんのことが」


………pardon? やけに流暢な私の呟きは、透き通るような青い空に吸い込まれて、消えた。
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