1番星が唱えた奇跡




昼休みはお洒落なお店で美味しいランチ。アフター5は年上のイケメン彼氏と楽しく過ごして、休日は優雅にドライブ。
……そんなOL生活を夢見ていた時期が、私にもありました。ええ、ありました。ありましたとも。
内定が決まった頃、私はそんな社会人像を思い描いていた。しかし、夢は結局夢なのだとすぐに思い知らされる羽目になる。

毎日激務に続く激務で、アフター5なんて当然なし。アフター5があったら、帰って即行で寝たいと思う程度には疲れ切ってしまっている。昼休みだって、簡単にご飯を済ませてすぐデスクに向かうのが当たり前で、思い描いていたOLと今の私の姿は程遠い。
休日のドライブ?ちゃんちゃらおかしいわ!今日も元気に休日出勤よ!

「もうやだー……」

私の悲痛な声は、誰もいないオフィスに静かに響いた。
他には時計の針が秒針刻む音、私がキーボードを叩く音のみ。なんとむ虚しい空間である。
今日の出勤の理由は、完全に私が悪い。積もり積もった仕事に手が回らなくなってしまって、優先順位を間違えた。その結果、処理しきれなかった分がこうして週末にまで残っていたのだ。
週明けには終わらせておかないと、きっと来週他の仕事の進行が遅れてしまう。そしてまた終わらない仕事が増えていき…。完全な負のスパイラルが頭に浮かんで、少し寒気がした。怖い怖い。

とにかく、来週を乗り切るためにはどうしても今日出社する必要があった。手伝おうかという先輩達の厚意をお断りしたのは私なのに、いざこうしてオフィスに一人きりになるとどうしても寂しくなってしまう。

もうやだな、全部投げ出して逃げちゃおうかな。
デスクに積んだ書類はまだ終わる気配がなくて、今日で全てを片付けられるかという自信もなくなってきてしまう。こんなことなら、遠慮せずに先輩達に甘えておけばよかった。でも今更頼るわけにもいかなくて、…駄目だ。溜息しか出てこない。

思わずデスクに突っ伏して、少しばかりの現実逃避。本日何度目かも分からない溜息が、オフィスに響いた。

「でっかい溜息やなぁ」
「えっ」

何の反応も返って来ないと思っていたのに。ていうか、返ってくる筈がないのに。
唐突に聞こえた声に、私は慌てて顔を上げた。視線の先には、コンビニの袋を持って笑っている石垣さんの姿。

「えっ、あれっ、石垣さんも休日出勤ですか?」
「そうそう、やり残した仕事あってな」
「石垣さんでもそんな事あるんですねー…」

石垣さんは、私の2つ上の先輩だ。年はそんなに変わらない筈なのに、仕事は出来るし優しいし、皆からの信頼も厚い。そんな石垣さんが休出なんて、意外過ぎる。でも、ちょっとした親近感を感じて嬉しくなった。

「ほら、みょうじさん」

石垣さんは私に近づくと、大きな手のひらを差し出した。

「…はい?」
「仕事、半分貰うで」
「えっ、え?あの、石垣さんもお仕事があるんじゃ」
「可愛い後輩の仕事は、オレの仕事でもあるんやで。来るの遅なってすまんな」

…つまり。石垣さんの言うやり残した仕事、とは。私の仕事の事らしい。先輩の鑑というか、優しさの権化というか、有り難すぎるお言葉を理解するのに少しばかり時間がかかってしまった。
これ遅れてしもたお詫びな。そう言って石垣さんは、コンビニの袋からカフェオレを取り出して私のデスクに置いてくれた。私がいつも飲んでいる、甘いやつ。こんなところまで見ていてくれたのが嬉しくて、目の奥がじんわりと熱くなった。

「いっ、いいんですか、手伝っていただいても…!」
「ええよええよ。それに、手伝いいらんて言われたら、先輩命令使ってでも手出すつもりやったし」

嫌な先輩やろ、なんて。石垣さんは笑ってくれた。
どこまでも優しい石垣さんに、胸の奥が苦しくなる。石垣さんにここまでしてもらえているんだ。絶対に、今日中に終わらせてやろう。先程まで消えかかっていたやる気は、再び火を灯して燃え始める。お言葉に甘えて書類を半分渡せば、物理的にも気持ち的にもずっとずっと心が軽くなった気がした。


初めて二人きりの仕事になったけど、石垣さんはやっぱり凄い人だった。私とは比べ物にならないくらいのスピードで仕事を終わらせて、更にはアドバイスまでくれる。そのおかげで私の効率も上がって、予想していたよりもずっと早く仕事を片付けることが出来た。
それについてお礼を言えば「みょうじさんが出来る子やからやで」と褒めてくれる。こんな完璧超人が世の中にはいるのか…。ここまで凄いと、もう自分との格の差にショックを受けるなんてことはない。ただただ素敵な人だなって、感心するだけだ。
綺麗さっぱりなくなってしまった書類。跡形もなく片付いたデスクを見て、私は大きく伸びをした。

「おわっ……たーーーー!!」
「お疲れさん。みょうじさん、よう頑張ったな」
「頑張ったなんて、とんでもないです…!石垣さんが来てくれたからですよ!本当にありがとうございます!」
「そんな大袈裟にお礼言わんでもええって。せや、この後暇やったら飯でも行く?美味い店知ってんのやけど、頑張ったご褒美。先輩がご馳走したるよ」
「いやいやいやいや、そこまでしていただくわけには!!」

本音を言うと、ものすごく行きたい。お腹は空いてくたくただし、何より石垣さんと一緒にご飯を食べに行けるなんて私にとっては何よりのご褒美だ。だけどこれ以上迷惑をかけるわけにもいかなくて、首を振ってお断り申し上げる。

「お気持ちは本当に嬉しいんですけど、私これ以上石垣さんに良くしていただいたら申し訳なさで死んじゃいます…!」
「みょうじさんに死なれてまうのは、困るなあ」

小さく笑って、石垣さんは少し考える。腕を組んで首を傾げる姿も格好良い。うーん、と悩んでみせた後、石垣さんは私を見下ろしてやっぱり笑った。

「じゃあ、ご褒美やなくてお願いや。一人で食べるの寂しいから、一緒に行ってくれへん?」
「……それは、卑怯です…!」

そんな風に言われたら、断れる筈がない。石垣さんも、きっと分かって言っているのだろう。楽しそうに笑う姿は、仕事中のいつもの姿よりもちょっとだけ幼く見えた。それが可愛かったかも、なんて。口が裂けても言えませんけども。

「それじゃ、決まりやな。行こか」

言うが早いか、オフィスを後にして外へ。この季節になると、陽が落ちる頃にはだいぶ気温も落ちている。来週からはコートがいるかな。そんな事をぼんやり考えていると、数歩先を歩いていた石垣さんが、振り返って私の名前を呼ぶ。

「なあ、みょうじさん」
「何ですか?」
「みょうじさんな、オレのことすごく優しい先輩て思とるやろ」
「当たり前です!優しくて、格好良くて、私の憧れの先輩ですよ!」

両手をぐっと握って即答。他にも尊敬出来る先輩はたくさんいるけど、その中での一番は間違いなく石垣さんだ。前からそう思っていたけど、今日の出来事でずっとずっとその気持ちが強くなった。
私の言葉に、石垣さんは困ったように苦笑いを浮かべた。そんなんとちゃうねん、短い黒髪を掻き上げながら言い辛そうに口を開く。

「オレな、みょうじさんが思てるような先輩とちゃうで。新人の頃はミスもしとったし、今も先輩に迷惑かけてまうし…。それにな、今日来たのも、仕事手伝ってやりたかったとかは建前や」
「えっ」
「みょうじさんと折角二人になれる機会、逃したら勿体ないやろ?」
「え、   えっ?」
「ええ先輩の振りして、みょうじさんと仲良くなれたらなて思ってたんや。優しい先輩とは、ちゃうで」

一瞬にして、頭の中いっぱいに疑問符が浮かぶ。今、石垣さんは何て言った?
私と二人になれる機会。勿体ない。それはもしかして、もしかしなくても、……そういう事なのだろうか。

「…………自惚れそうです」
「……オレは、その言葉に自惚れてしまいそうなんやけど。大丈夫?」

私には、当然頷く以外の選択肢しかなくて。
ふと腕時計を見れば、時間は既に5時を回っていた。思い描いていたのは、年上のイケメン彼氏とアフター5の楽しいデート。……彼氏だって、そんな烏滸がましい呼び方はまだまだ出来ないけど。

夢見ていた光景が叶うのは、きっとそう遠くない未来の話。



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