01.


勝負する相手もいないけど、それでも常日頃から下着には気を付けておくべきだ。
盛大に階段から転げ落ちた状態で、私はそんな事をぼんやりと考えていた。
ダンボール一箱の荷物を抱えて前がよく見えていなかったせいで、うっかり足を滑らせてしまったのが運のつき。階段の半ばから、見事に転げ落ちた。そりゃもう見事に、鮮やかに。

小さい頃から体は柔らかったから、幸い大きな怪我にはならなかった。少しだけ膝が痛むけど、擦り剥いたりはしていない。外傷殆どなし、…そこまでは良かった。問題は内側、メンタルの方である。
転げ落ちた私は、階段の踊り場でパンツ丸出しの姿を晒す羽目になった。前述した通り、私に気合入れて勝負するような相手はいない。だから当然勝負下着なんて持っていなくて、加えて――この日はちょっと、気合が入っていなさ過ぎた。小学生が履いているような、くまさん柄のパンツ。綿で肌触りがすっごい気持ちいいやつ。うっかり、そんな代物を履いていたのだ。

友達に見られたなら、笑ってやり過ごせた。やっちゃったてへぺろ☆なんて誤魔化しも通用したのに。
スカートを抑えて起き上がった私の願いは、残念ながら見事に打ち砕かれてしまった。


「おめさん、怪我はないか?」


…起きた先にいらっしゃったのは、箱学が誇る美形。新開隼人君でした。





「荒北!荒北!!ねぇ相談があるんだけど!!」

「叫ばなくても聞こえてるっつの、どうしたンだよ血相変えて。ブスが余計ブスになってるんじゃナァイ?」

「顔面偏差値ギリ30の荒北にだけは言われたくない…、じゃなくて!相談があるんだって聞いて聞いて!」

「誰が30だヨ誰が」


「あのね、荒北新開君と仲いいでしょ?」

「…新開がどォしたの」

「ぱっ、パンツ!」

「あぁン?」

「パンツ!見られちゃった!」


数秒の沈黙の後、荒北は不細工な顔を歪めて鼻で笑った。許すまじ、絶対許すまじ荒北。
机に肘をついた状態で、荒北は憐みの目を向けてくる。完全に人を小馬鹿にしている顔は、言葉がなくても何を言いたいかなんてすぐにわかる。


「お前が見せたのかヨ、痴女か」

「違うわ!!」


予想通りの罵倒を浴びせてきた荒北に、渾身のツッコミをお見舞いしてやる。


「うっかり転んじゃって、それでちょっと、その、不可抗力でパンツ丸出しになっちゃって、新開君がたまたま通りがかったんだけど」

「うわァ、可哀そうな奴。大丈夫だったのかヨ?」

「あ、荒北が心配してくれるなんて珍しいね。大丈夫、怪我はなかったんだけど」

「違ェよ新開の方に決まってるダロ、アイツうちのエーススプリンターなンだぜ?変なモン見て視力落ちたら困るデショ」

「……」


おのれ荒北!!!思わず拳を握りしめるけど、こんなのはいつもの事だ。荒北の言葉の暴力にいちいち怒っていたらキリがないというのを、もう長い付き合いの中で知り尽くしている。心を落ち着けるために大きく深呼吸をして、私は荒北に向き直った。


「…で、本題よ。荒北新開君と仲いいでしょ?」

「悪くはねェな」

「だから、その、新開君のさ、」

「…オウ」

「……記憶を失わせる方法とか、知らないかなって…」

「…………お前、前から思ってたケドすっげェ馬鹿ダロ」


たっぷり数秒の沈黙の後、荒北は容赦なしにそう言い放った。私だって馬鹿だなぁと、思う。だけどこれ以上の方法が見つからないのだ。3年間新開君と言葉を交わした事はないけれど、荒北経由だったり女の子の噂だったりでその存在だけは十分すぎるくらいに知っていた。王者箱学の、エーススプリンター。イケメン。美形。バキュンの人。東堂君みたいなサービスはしていないけど、人気は凄くてファンクラブがあるとも聞いた。

対する私は、悲しい事に平凡が取り柄だ。運動も成績も人並み、顔面だって平均だ。…でも顔面偏差値30の荒北と仲がいいあたり、これは私の過信なのかもしれない。類友、の言葉が浮かんで軽く頭を振る。


「それが無理なら何か他の方法考えてよー!私恥ずかしくて生きていけない新開君にも申し訳なくて生きていけない、この先に待ちうけているのは死のみだわ…」

「パンツひとつで死ぬとか、どンだけ簡単な女なんだヨ」

「簡単じゃないですし!?むしろ簡単じゃないからこんな悩んでるんだけど!?」


どうやら早々に考えることを放棄したらしい。あからさまに馬鹿でかい溜息をついて、荒北は教室の入り口を指差した。その指が向かう先を辿って、…言葉を失う。


「みょうじさん、いるかい?」


…入り口に立っていたのは、新開君だった。爽やかな笑みを浮かべて、近くの女の子に私の名前を聞いている。あっはい私ここですー、なんてうっかり返事をしそうになってしまった。危ない。


「あっ、荒北!荒北お願い匿って!」


幸い、新開君はまだ私に気が付いていないようだ。このまま私に気付かず自分のクラスに帰ってくれたらなあと荒北の影に隠れながら願っていたのに、残念ながらその願いはあっさりと打ち砕かれることになる。しかも、私が盾とした荒北の手によって。


「新開、こっち見ろこっち。ここにいるケド?」


ひらりと手を振り、荒北は新開君を呼ぶ。ここにいるけど、じゃない!信じられないこの裏切り者、友達を売るなんて!
もう逃げられない。逃げたところでどうなるっていう感じだけど。私には、近づいてくる新開君から思いっきり目を反らす事くらいしか出来なかった。足音はゆっくりのんびり距離を詰めてきて、…止まった。


「みょうじさん、話があるんだ。ちょっと時間貰ってもいいか?」

「え、えーとえーと用事が…あったようなないような、あっほら日直!日誌とか先生のとこに持って行かなきゃいけない気がしたなー、って」

「俺がやっとくヨ、行ってやればいいじゃナァイ」

「すまないな、荒北」

「今度ペプシ奢りな」

「ぎゃーー荒北!裏切り者!」


私の叫び虚しく、新開君は「じゃあ行くか」なんて既に足を踏み出している。教室内から聞こえてくるざわざわひそひそ話し声、話題の中心は耳をすまさなくたってわかる。突然平凡女に声をかけてきた新開君の事だ。教室に留まったところで、今度は友達から質問責めにあうのだろう。…ついて行っても、行かなくても、割とどちらも辛い。


「ほォら、早く行って来いって」

「……ハイ」


もう腹を括ろう。荒北に背中を押されるようにして、私も新開君の後を追って教室を出た。

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