そうやって、ずっと抱きしめていて
ありきたりなお話ではあるけれど、なまえの初恋の相手は幼馴染の新開だった。面倒見もよく優しい新開は、幼いなまえにとってはまさに王子様と呼ぶに相応しい存在だったのだ。
初めて抱いた恋心。きらきら眩しいそれは、順調に育っていったけれど、何年経っても二人の関係はあくまで幼馴染のままだった。
周りにからかわれるのも恥ずかしくて、一歩前に進み出すのも怖い気がして。恋を貫くにはまだ幼かったなまえは、自然と自分の想いに蓋をした。


そして二度目になまえが恋をした相手は、新開とは似つかぬ寡黙な人だった。
唯一の共通点といえば、二人共揃いも揃って自転車馬鹿というところだろうか。中学に入学してからも新開の隣にいたなまえは、自然と福富とも仲を深めていった。憧れが恋に変わるまでそう時間はかからなくて、なまえにとって福富は世界の全てを色鮮やかにしてくれるような存在だった。
けれど福富とも、友達以上になることはなかった。常に前だけを見て、決して振り向いてはくれない彼に恋焦がれた日々を後悔などしていない。する筈もない。いつだって真っ直ぐな福富のことが、なまえは好きだった。

後悔なんて、していない。していない、のに。


「隼人、…ッ!」


今日、彼は、結婚した。自分ではない、他の女性と。諦めはとうの昔についていたというのに、未だに執念深く胸の内にくすぶっていた恋心は鈍く緩く胸の内を侵食する。自分の恋が実ることは決してないと理解していた筈なのに、式が終わり自宅へ戻ってから零れる涙を止めることができなかった。脳裏に浮かぶのは、幸せそうな顔をした彼の姿。そしてその横に並ぶ、自分ではない誰か。みっともなく子供のようにひたすら泣きじゃくるなまえのことを、新開はただ黙って抱きしめていた。


「福富くん、が…っ。福富くんが、行っちゃったよお、隼人っ…!」


福富くん、福富くん。
何度もその名前を呼び胸に縋るなまえの頭を、新開はできる限り優しく撫で続ける。何とかこの幼馴染の涙を止めてやりたいと思いながらも、新開はその実心のどこかで小さな小さな幸せを感じていた。
彼女が昔からこうして何か辛いことがあった時に頼ってくるのはいつだって自分で、今回だって然り。その事実は、なまえにとって新開が特別な存在であるということを示していた。
なまえの初恋が新開であるのと同様、新開の初恋だってなまえだったのだ。彼女と違っているのは、新開は他に目移りをしなかったという点だ。幼い頃から彼女だけを見続けてきたのだから、何とも一途で健気なものだと自分でも溜息が出るくらいである。
高校時代にファンクラブだってあった。思春期男子としてちょっとくら浮かれる気持ちはあったけれど、なまえの前で他の女にふらつく姿は見せたくなくて常に無反応を貫いていた。東堂に「虚しい奴だな!」とからかわれたことだって一度や二度でもなかったし、高校時代は結局なまえは福富に夢中だったから、新開のその行動に何か意味があったのかどうかはわからない。それでも、新開はただひたすらなまえだけを想い続けていた。

流行りの少女漫画を二人で読んで「幼馴染からの恋人っていいなぁ」なんて冗談めかして言ってみたり――それなりにアピールはし続けてきていたのだけれど、率直すぎてある意味遠回しなそれは今まで伝わることはなかった。
何年経ってもこうして彼女の中で自分が唯一の特別であるということを理解していたから、今まで行動には移してこなかったが、もうそろそろ頃合だろう。新開は深く深く息を吐いて、ゆっくりとなまえの体を離した。その顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていて、折角綺麗に施した化粧は全て流れ落ちてしまっている。マスカラとアイラインで黒く濡れた目元を見て、ふ、と短く笑い声を洩らした。


「…不細工」
「……何よそれ、こんな時に言わなくてもいいじゃない」
「嘘だよ、怒るなよ」


ぷいと視線を反らし、なまえは涙を袖で拭った。そんなことをしても汚れが広がるだけだと新開溜息をつき、手首を掴んで無理やり自分の方を向かせる。


「…やっぱり不細工」
「もう、隼人の意地悪!泣きついたのは悪かったけど、そんなに言わなくても…!」
「そんなのじゃ、嫁の貰い手もないだろ?仕方ねぇから、おめさんは俺が貰ってやるよ」


瞬間、なまえの大きな目が更に大きく見開かれる。そして瞬きを一つ、二つ。何とも微妙な沈黙が二人の間を支配した。先程まではどう頑張っても止まらなかった涙はぴたりと止まっており、なまえは未だ目を丸くしたまま新開を見つめる。くすぐったそうに自身の髪をくしゃりと掻き上げ、新開は歯切れ悪くも言葉を紡いだ。


「…二度は言わないからな。よーく聞いとけよ」


なまえの柔らかい髪にすっと手を伸ばし、今までに見せたことがないような柔らかい表情で新開は微笑む。


「好きだ、なまえ」


二十年分の甘い響きを持ったその言葉を告げられた時のなまえの顔は、数年経った後も新開にからかわれ続ける程間の抜けた物だった。ぽかんと口を開けしばらく停止したかと思えば、一気に白い肌を耳まで真っ赤に染め上げる。何か言おうと唇を開くけれど、言葉にならない短い声が洩れるだけだった。けれどその表情は満更でもないようで、新開は満足そうに笑った。ようやく、二十年越しの初恋が実るのだ。髪を撫でていた手を頬に滑らせ、軽くこちらを見上げさせる。そして落とした口付けは、拒絶されることはなく優しく受け入れられた。








それから、数年。いつか憧れた白いドレスを身に纏い、なまえは幼い頃から今までの記憶を振り返る。何度も泣いて、笑って、辛いことも楽しいこともたくさんあったけれど、その記憶の中全てに彼の姿があった。決して器用とは言えないやり方だったけれど、何時だって自分の隣にいてくれた彼の拙い優しさを改めて確認すれば自然と顔が綻ぶ。


「なまえ、準備出来たか?」
「うん、大丈夫だよ」


ノックと共に投げかけられた問いに短く答えれば、何時もの彼らしくはなく躊躇いがちにゆっくりとドアが開かれる。
振り返った先に立つ愛しい人の姿を見て、なまえは双眸を細めて微笑んだ。彼が身に纏っていたのは、自分と同じ純白のタキシード。似合っていない、わけではない。むしろその逆だ。似合いすぎていて、なんだか悔しくなる。
笑みを零すなまえに、新開はゆっくりと近寄った。複雑そうな表情ではあるが、照れているだけだということをなまえはよく理解している。先程まで一緒にいたなまえの両親は、新郎の登場に気を利かせるように入れ違いで部屋を出て行った。新開が目の前まで近づくと、なまえは新開の手を取り呟く。


「似合ってる、……世界で一番、隼人が格好いいよ」
「……普通、それは俺の台詞じゃないのか?」


重ねた手の温もりを確かめるように、なまえは目を閉じた。いつも自分を守ってくれた、優しくて大きな手。これからは、この手と手を繋いで人生を歩んでいくのだ。誓いの言葉を告げるのには、まだほんの少し早い。けれどなまえは、心の中で一足早く彼と生涯を共にすることを誓った。彼が自分に注いでくれた愛情を、少しずつでも、どんなに時間がかかっても、一生をかけて返していこう。


「あのね、隼人。聞いて欲しいことがあるの」
「どうした?」
「私ね、ずうっと福富くんのことが好きだったでしょ?」


ぴくり、新開の手が僅かに揺れた。間近で見ていたから、知っていたから、過去の話だから。そう理解していても、やはり面白い話ではないようだ。けれどなまえは、ゆっくりと、大切に言葉を紡いでいく。


「福富くんとの恋は実らなかったけどね、…私、初恋は実ったんだよ。知ってた?」


告げられた言葉はどこまでも甘い響きを持っていて、二人の間の空気を幸せな色に染め上げるには十分だった。いつかの自分とは逆に、目を丸くした新開を見てなまえは満足そうに微笑んだ。してやたったり、そう言いたげななまえの笑顔につられて新開も笑ってしまう。重ねていた手を離すと、なまえは両腕を新開の背中に回し胸に額を寄せた。新開はそれを難なく受け止め、まるで壊れ物を扱うかのように抱きとめる。


「そうだ、俺もおめさんに一つ教えといてやるよ」


そして口にするのは、想いを告げたあの日と同じく長い間大切に育てられた恋心。



「――……俺の初恋も、実ったんだぜ?」

(0909)
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