小説 | ナノ

03







―知らなかった。




ホワイトマーガレット 03






知らなかった。
見たことなかった。
あんなヒロトを、私は知らない。

私の知らないヒロトと、私の知らない晴矢。
私は何も知らなかったのだ。




ヒロトが円堂守と付き合いはじめて数日がたっていた。
はじめは晴矢に泣きついてしまった私だが、今はただ、円堂守からヒロトを取り戻すことしか考えてなかった。
私たちはずっとヒロトと一緒にいたのだから、そう難しいことでもないだろう。
円堂守なんかに、ヒロトを渡すつもりはなかった。

そんな私の想いとは裏腹に、ヒロトは円堂守と遊園地へ行くと告げてきた。


「俺、明日円堂くんと遊園地に行ってくるから、」

夕飯を食べはじめて少しして、ヒロトはそう切り出した。
そのときのヒロトはやはり幸せそうに微笑んでいて、ちくりと胸が痛くなった。

「そう、」

「はしゃぎすぎんなよ、」

短く返した私と、からかうように返した晴矢に照れたように笑ったヒロトの顔をもう見ていたくなくて。
私はヒロトから視線を逸らして、味のしなくなった夕飯を口に詰め込んだ。




「風介、買い物行くけど一緒に行くか?」

翌日の夕方、晴矢にそう言われた私はとっさに行かない、と返した。しかし、ふと今晴矢が出掛けてしまえば家にひとりになるのだと思うと、妙に不安を感じて。

「じゃあ俺行ってくるな、」

そう背中を向けた晴矢を追いかけ、その服の裾を掴んだ。

「風介?」

「…やっぱり、私も行く、」

一瞬驚いたように目を開いた晴矢だったが、すぐに笑って、行こうぜ、と手をさしだされた。




「風介、何食いたい?」

「アイス…、」

「ばか、夕飯の話だよ!」

「む…、」

晴矢と並んで歩いて、今日の夕飯のメニューを考える。
料理を作るのは晴矢とヒロトの仕事だから、私はいつもリクエストするだけだ。
今日は何がいいだろうか。

「今日ちょっと寒いからシチューでも作るかー、」

「白がいい、」

「はいはい、」

晴矢は案外器用で、家事はなんでもできる。ヒロトもなんでもできるから、不器用で何をやっても失敗する私は家事を何もさせてもらえない。

「晴矢、」

「ん?」

「私も、手伝っていいか、」

いつもなら嫌そうな顔をしてお前は座ってればいいから、と言われるのに、今日の晴矢は笑顔で。

「おう、」

そう言って私の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。




買い物を済ませた帰り道、あ、と晴矢が間の抜けた声をだした。

「どうした、」

「ココア買い忘れた…、」

買い物袋を確認するように覗き込んで、溜め息をつくようにそう言った。

「ヒロトに頼まれてたんだった…、」

そう言えば買い置きがなくなったと言っていたと思い出す。

「晴矢、先に帰って、」

「あ?」

「私が買ってくる、」

財布、と手を出すと晴矢は口をへの字にまげた。
心配しているのだとわかったが、それくらい私ひとりでも問題はない。

「晴矢は夕飯の支度があるだろう、」

それに、ココアを飲むのはほとんど私だ。
晴矢はまだしぶっていたが、ちらりと携帯で時間を確認すると仕方ないと財布を差し出した。

「気をつけろよ、」
「平気だ、すぐそこじゃないか、」

心配性の晴矢に苦笑して、じゃあ、と別れる。
この行動を後で悔やむことになるのだが、その時の私は気付くはずもなかった。




いつものメーカーのココアを買って、アイスの誘惑になんとか打ち勝った私は夕日も半分以上沈んだ中をひとりで歩く。
最近ひとりで出歩くことなどほとんどなくて。いつも晴矢かヒロトと一緒だったから変なかんじ、と溜め息をついた。

ふと俯きかけていた視線をあげると、見慣れた赤が、そこにあった。

「ヒロト…、」

無意識のうちに言葉が零れる。
ヒロトの隣には、円堂守。
ふたりの手には遊園地の人気キャラクターのイラストが描かれた袋が握られていて。

「え…?」

ヒロトが、円堂守に向けた笑顔を見て、私はまた呼吸が止まるような感覚に囚われた。

ヒロトのあんな笑顔を、私は見たことがない。
私や晴矢に向けるものとは全然違う、ヒロトの笑顔。
私は、あんなヒロトを、知らない。

ぐっ、と、締め付けられるように胸が苦しくなって、もうこれ以上ヒロトを、円堂守と一緒にいるヒロトを、私たちの知らないヒロトを見ていたくなくて。

私は、その場から走って逃げだした。




どこをどう走ったのかわからない。
ここはどこだろう。
今何時だろう。
いつから、雨が降っていた?

途切れ途切れになる息を整えて、ようやく周囲に意識を向ける。
夕日もすっかり沈んでしまい、雨雲に覆われた空は暗い。

「雨なんて、予報になかった…、」

ぽつりと呟いた声でさえも雨音にかき消されてしまう。
ぐっしょりと濡れて重たくなった髪をかき上げる。
ふと目に入ったのは家からさほど遠くない小さな公園の看板だった。
よく3人で来たな、と思うと、急にヒロトと円堂守、そしてヒロトのあの笑顔を思い出して。
雨ですっかり濡れている頬に、涙が伝った。

そのとき、ポケットにいれたままの携帯が鳴っていることに気付いて、震える手で携帯を取り出す。
チカチカと赤く光りながら、薄いブルーの携帯は晴矢からの着信を告げていた。

「晴矢…、」

通話ボタンを押すより早く、着信が止まり、携帯はまた元の待受画面を表示した。
そこではじめて気付く。
晴矢と別れてからすでに2時間近く過ぎていて、1時間ほど前から、10分おきに晴矢から着信があったのだ。

「晴矢、晴矢…、」

静かになった携帯を握りしめて、晴矢の名前を呼ぶ。

―晴矢、

また携帯がチカチカと光って、相変わらず震える指で、今度はしっかりと通話ボタンを押す。

「はるや…、」

「風介?!」

今どこだ、と焦ったように怒鳴る晴矢にひどく安心して。
またぼろりと涙が零れた。

なんとか公園の場所を告げると、そこから動くなよ、と晴矢が通話を切った。
通信の切れた携帯を両手で握って、雨で濡れた携帯を見て。
また余計なことを思い出す。

―風介も晴矢も危なっかしいから防水携帯にしようか、

そんなヒロトの提案で、私たちは防水機能の、同じ機種を使っていた。
私が薄いブルーで、晴矢がレッド、ヒロトはオレンジ。
お揃いかよ、なんて文句を言いながらも満更でもない様子の晴矢に、ヒロトとふたりで笑ったものだ。
懐かしさにふと顔が緩む。

雨は、いつのまにか止んでいた。




「風介っ!」

叫ぶように名前を呼ばれて、声のほうへ振り向けば、傘を引っ掴んだ晴矢が私のほうへ走ってきて。

「このばかっ!」

思いきり怒鳴られて、きつく抱き締められた。
暖かい身体に包まれたら、身体から力が抜けて。
しがみつくように晴矢の背中に腕を回した。

「ごめん…、晴矢…、」

小さく呟くと、私を抱き締める晴矢の腕の力がますます強くなった。




あれから何をしてたんだ、と相変わらず怒ったように問う晴矢に、ぽつぽつと帰り道で見掛けたヒロトと円堂守の話をした。
散々泣いたはずなのに、言葉にするとまた涙が零れてきて。何度も言葉を詰まらせる私の背をさすりながら、晴矢はゆっくりと話を聞いてくれた。

「そっか、」

一通り聞き終わったところで、晴矢はそっと私の頭を撫でる。
その手がひどく優しくて。私はそっと目を閉じた。

「…風介、」

晴矢の声に目を開くと、晴矢は私の顔を覗き込むように見つめていた。

「晴矢…、」

薄暗い中でも輝くような、晴矢の金の瞳が、怖いくらいに真直ぐ、私を見ている。

「はるや…?」

あのヒロトと同じ、私が見たことない、晴矢。
なぜかそんな晴矢が怖くなって、目を逸らした。
私は、こんな晴矢を、

「ふうすけ、」

囁くような晴矢の声。
そっと頬を両手で包まれる。
俯き気味だった私の顔を、わずかに持ち上げられた。

近付く、晴矢の顔。
静かに、真直ぐ私を見つめたままの晴矢の瞳が、きらりと光ったような気がした。

「はる、」

や、という私の言葉ごと、私の唇は晴矢のそれに塞がれた。

「風介…、」

触れるだけですぐ離れるそれを、何度も繰り返される。
ふと離れたときに見た晴矢は、やはり、私の知らない晴矢だった。





知らなかった。

見たことなかった。

私は、知らなかったのだ。

私の知らないヒロトと、私の知らない晴矢。


私は何も知らなかったのだ。

晴矢の想いでさえも。
















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この話の風介はにぶいです。

10.08.05.






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