推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 65

「あ、三井くん?」
 ベッドに仰向けに転がって電話をかけると、ワンコールで繋がって努めて明るいトーンで話しかける。なんか本当にすまない。
「やっぱ進藤さんか。何があった」
「ちょっとな。今家おる?」
 尖った声に、まずは現状を確認する。
「いや、もうすぐ家やけど」
「あー、うん。そっか」
 着信と着信の間は電車の時間やったんかな、などと推測しつつ、えーっとなどとフィラーを発して場をつなぐ。まだ外か。どの範囲ならセーフか悩ましいところや。
「あー……明日とかって、会えたりする?」
「夜なら時間を作れると思うけど……平日やで。仕事は?」
「辞めた」
「えっ……あ、悪いなんか聞き間違えた気がする。休み取れたんやな」
「うん、毎日おやすみ」
「聞き間違いじゃなかった。何がちょっとや!」
 乾いた笑いで誤魔化して、休職中は、と説明することにした。
「ほとぼり冷めるまで各地を転々としようと思ってるんよ。ほら、絶縁すると探されちゃうやん? やから見つからんためには最低限返事はしつつ、かつGPSでも会えないように移動を続けるしかないかなって」
「……なるほど」
「おっけー?」
「スマホを変えた理由は分かった。──っとに、国家権力めんどくせえな」
「ほんまそれな」
 低く呟かれた恨み言に全力で同意する。
「……そっちで会ったんやな?」
「うん」
「分かった。細かいことは、明日聞く」
「ありがとう。仕事終わったら教えて」
「ああ。……ほんまに今からじゃなくていいんか?」
「うん」
「そうか……」
「疑っとるな? ほら、今回やってちゃんと連絡したやろ? 報連相できとるやん?」
「まあ、そうやけど」
「とりあえず、いい感じの時間にそっち行くわ」
「……おう、気をつけて」
 ぱたりとスマホを持った手を下ろし、静寂が訪れた部屋で天井を見上げる。
「あ、やっべ」
 つい声を上げて起き上がる。現金を金庫に隠さなければ。ついでに身分証明書なんかも突っ込んでおこう。持ち歩きたくない。
 腕時計とネックレスも、金庫に閉じ込めた。



 二度寝どころか三度寝してゆっくり起きた。こんなに眠ったのはいつぶりだろう。目が覚めてしまうものの、これほど長く睡眠時間を取れたのは随分と久しぶりだ。ホテルの朝食に滑り込み、部屋に戻ってニュースをチェックした。これと言って引っかかるものはない。筋トレしてみたり、海外のニュースも確認してみたがなかなか時間が進まない。どうにも落ち着かない。東都にいること、ホテルに閉じ篭っていること、鏡に映る自分。何もかもがしっくりこない。
 早く夜にならないかな、と思いつつ、気の進まない昼食の為に、時間をかけてメイクを施し、トートに少ない荷物を入れてホテルを出た。東都を離れる時には、旅行者らしく、小さめのキャリーとショルダーバッグを買った方がいいかもしれない。
 駅付近で人のいないトイレを探し、個室で元のスマホの電源をつける。案の定、職場の知人から大量の連絡が来ていた。家の都合でしばらく休むこと、本当に申し訳ないと思っていることだけを送った。それ以外は一切教えなかったし、電話も出ないことにしている。コナンくんや沖矢さんからの連絡はない。数日ごとに連絡をくれる梓ちゃんも、事前に仕事が忙しくなりそうだとアピールしておいたおかげか、メッセージはなかった。
 唯一向こう側の存在で連絡があったのは、一番の懸念対象である零さんだ。昨晩のうちに、今大丈夫か、とメッセージが届いていた。現時刻が昼休みに相当する時間であることを確認する。
『ごめん寝てた。最近バタバタしてるからかな』
 色々な準備で慌ただしくしていたことは本当だ。これで空気読んで電話とか控えてくれればいいんやけど、どうかな。ボールペンは大阪だからチェックされても問題はないし、指摘されれば忘れちゃって、で一度目は済む。今後スマホの位置情報を探られると問題だが、起動はホテルではなく駅などの人の多い公共スペースのみを予定し、この辺りが落とし所だろうと思っている。いや、一度三井くんに相談してもいいかもしれへんな、と思いつつまたスマホの電源を切った。

 軽い昼食後、雑貨屋でシンプルな日記帳を買ってみた。今度こそ、本当の日記だ。
 ホテルに戻って一枚目を開く。固有名詞を排除した記録を数行程度書くだけだ。日付は無駄だから、書かない。代わりに、寒いだとか雨だとか、そういった情報だけは書いておいた。
 髪を切ったこと。新幹線で隣に人がいなくて快適だったこと。筋トレの内容。ひどく陳腐な記録だ。
 コーヒー飲みたいなあ。ポアロは近いけど、行けるはずもない。



 待ちに待った夜になり、六時を回ったところでスマホが震えた。このスマホに電話をかけられるのは三井くんだけだから、すぐに応答した。
「もしもし、三井くん?」
「ああ、今抜けられたところだ。そっちは?」
「お疲れさん。今三井くんとこの最寄り駅まで来とるわ」
「はあ!? え、えっ?」
 珍しく素頓狂な声をあげていやに狼狽した三井くんに「だって職場近く行くわけにいかんやろ?」と苦笑いで返す。私だって可能ならこんなストーカーじみたことせんわ。もっとスマートにいくわ。
「待て待て具体的にどこだ」
 ホテル名を告げると、安堵したように深々と息を吐き出した。
「安心しろ私メリーさん今あなたの家の前にいるの、とかちゃうから。家は知らんから」
「分かったからそこにいろ連絡するまで動くな出るなじっとしてろ」
 一息に告げられて、そのままぶつりと通話が切れた。遺憾の意。

 ファッションチェックしつつ待つことしばらく、三井くんの連絡を受けて駅集合になった。メイク完璧、と財布とスマホをコートのポケットに突っ込んで部屋を出た。
 駅に直行すると、昨日の私と同じ場所で三井くんが立っているのを見つけた。あたりを見回しているが、その視線は私を一度通過する。擬態は成功しているらしい。さらに近寄った二度目、ひらりと手を挙げてアピールをすると、ぎょっとした顔で二度見された。にやりと笑って駆け寄り、お勤めご苦労さまでーす、と緩い声をかける。
「は、ちょおま……どうした悠宇ちゃん」
「イメチェンだよ彩仁くん」
 冗談めかして名前を呼び、肩を竦める。
「変わりすぎだろ」
「ありがとう」
「頼むから予告してくれ」
「びっくりした?」
「心臓止まるかと思ったわ」
「あはは、だいせいこーう!」
 カラリと笑うと、三井くんが脱力した。
「どこいく? レンタルスペース探したけど都合よく空いてるいいとこなかったんだよね」
「だな」
「やっぱ三井くんも調べてたかー。となるとさ、三井くんの家か」
「無理」
 食い気味に却下される。
「もっと自覚をもって──」
 まっすぐ見上げて、今度は私が三井くんの言葉を遮る。
「自覚した上で言ってる。三井くん家か私の泊まってるホテルしかないでしょ、この近くなら。あとは移動のリスクを取るか世間体を取るか……もう今更、そんな外聞気にしてる場合じゃない、って私は思ってる」
 三井くんは渋い顔のままだ。
「見た目もこんなだしー、ホテルは斎藤で泊まってるしー、住所は三重だしー」
「…………悪い、見くびってたわ」
「分かってくれた?」
「転んでもただでは起きねえなほんと。分かった、そっち行く」
 呆れを滲ませ、やっと表情が和らぐ。
「倒れっぱなしだと今度は別の人に轢かれちゃうからね」
 踵を返して歩き始めると、隣に三井くんが並ぶ。
「助け起こしてもらおうって選択肢はないのか」
「いるかも分からない人に頼るような他力本願な人生は御免被る」
「だよな……けどちゃんと周りは見ろよ」
「うん!」
「……あかんな、見た目が若いから違和感がある」
「お、年齢も誤魔化せたらだいぶ優秀じゃない?」
「分かった。あ、話の前にメシ調達していいか? 昼逃したんだよ、腹減ったもう無理」
「えっそれ先に言ってよ」
 昼休み返上で仕事を片付けてくれたのではなかろうか。
「どっかで食べてからにする?」
「ああ、その方が心の準備ができる……唐揚げが売りの定食屋か、焼飯のうまい中華ならどっちがいい?」
「定食屋かな」
「おっけー、こっちだ」

 大盛りの唐揚げ定食を食べきり、今度こそ私の泊まる部屋に来た。三井くんを一つしかない椅子に促して自分はベッドに腰掛けた。
「はー、つっかれたあ」
「よくそんだけ関西弁封印できるよなあ。定食屋でも一切出さんからびびった」
「日本語発音アナウンス辞典様々」
「そこまで手を出してたんか」
「やるからには本気でやらんと、凡人には太刀打ちできへんからな」
「本気出しすぎ」
 大真面目に言うと、三井くんの頬が引き攣った。
「博多弁とかまでマスターできたらよかってんけどそれは諦めた」
「演技派すぎる。どこ目指してんだ」
「黒羽盗一?」
「工藤有希子超えてた。無茶言いやがる」
「まあ冗談として、本題な」
「──ああ」
 ガシガシと頭をかいて、言葉を迷っている。
「月日の異常認識、私に近い人からって話。教えてほしい」
「──そもそも、その可能性が低くないとは思ってたよ。
 俺から『核』が移った時、終わらない一年を繰り返して、終わったと思えば一ヶ月で。その後はループを認識できなくなってたんだ。単に世界が正常なんだろうと思ってた」
 ぽつぽつと三井くんが話し出す。
「進藤さんがそうだって確信してから……帰省の度に、会う機会がないかと考えるようになった。あ、引くなよ? 何度かそんなことをやって、機会がないなら作るかって勤務先に行ってみたんだ。その時、あれ、俺今年帰省するん何回目だっけ、って。そもそも昨日って何日だっけ、って。それで気付いた。そんなんだから会うどころじゃなくなって帰ったんやけどな。それ以来、じっくり考えればやけど、曜日も日付も時々スキップしてることに気付けるようになった」
「……きっかけは私だった、と」
「そう。で、安室さん、梓さんときたけど快斗は自覚なしやろ。そうとしか思えなくなった」
 不安を隠すように指を組んで、探るような視線はこちらに向けられている。
「もしそうやとして、同期とか、友達とか、もっと私に近い人おるやん」
「……理由は推測しかできへん。混ざったこの世界、思うよりこっちとあっちの溝は深いらしいな。でもとにかく向こう側の人間限定、らしい。俺は元の土壌があるから気付けたけど……いや本当はもっと前に気付いてやれたら、良かったのかもしれん」
「……いいよ、そんなに考えんくて。しんどいだけやで」
「阿呆。俺以外おらんやろ、考えられるヤツが」
 どうしてそんなに哀しい顔で言うの。
「……で、ここしばらくで何があった。仕事辞めて全部捨てるくらいのことって──」
「捨ててへん!」
 つい声が大きくなって、気付いて押し黙る。
「ああ、うん、言葉が悪かったな」
「こっちこそごめん。でも私は、零さんだけは絶対に捨てへんから。結婚以来初だったにしても、会いに来るっていう想定があまりにも無さすぎた」
「うん待って初なのか」
「本拠地東都やし多忙やからなしゃーないよな。今となっては好都合やけど。単に連絡取ってるだけでも微妙なラインなのに、会いに来てくれちゃったから焦っちゃって。ついでに大阪には服部平次がいて、その前会っちゃったってのもあるし。
 そもそも、なんで零さんが先かって話なんよね。梓ちゃんの方が普段連絡取ってる回数は多いから。じゃあその違いとしてぱっと考えつくのは二つ」
 言いながら、指を二本立てる。
「対面すること、もしくは心理的な距離。後者だとすると、コナンくんが危ない。私は主人公を心底信頼しちゃってる節がある」
 その立場を。能力を。精神を。それから、零さんの隣を走れる人として。
「でも、コナンくんは気付いてないみたいやから。怜悧で主人公補正があるから、多分、そういう心当たりがあったら記憶してそうやろ? もちろんそのふたつのコンビネーションって可能性はあるけど。とにかく、会うのが一番不味いと思ってる。最悪、完結まで会いさえしなければそこから先は時間は正常に戻るはずやろ?」
 せやから、と現在の逃亡劇の内容を説明する。頷いていたのが次第に表情が険しくなり、ついに三井くんは眉間を押さえた。

「……なるほど、分かった。仕事辞めて外見住所氏名年齢全部偽ってしばらく生きていくわけか」
「うん。万一を考慮して、これを機にあちこち行こうかなと思ってる」
「……あー、下世話な話金銭的に問題ないのか?」
「零さんが挙げた候補からマンション選んで、家賃払ってくれてるから。そこそこに貯蓄あるから、現金結構下ろしてあるよ。病院行くとバレるか十割負担の二択になるから気をつけないとあかんけど、そんくらいかな」
「距離を置くこと自体には賛成だが……確かに、突然音信不通になる方が会わざるを得なくなるか。まずは本気出されないように、ってか」
「そうそう」
「進藤さんだけが中心なら、俺は大丈夫のはずや。ポアロにちょくちょく顔出して、様子を見ておく」
「ありがとう。多分そろそろ終盤やと思うから、諸々、気をつけて」
 三井くんからの有難い提案を一二もなく受け入れる。私は三井くんに何もできてないんやけど、と後ろめたいけど、どうにも巻き込んだと思ってるらしい三井くんには、何かお願いする方がきっと納得してくれるんやろう。
「ああ、大丈夫。困った時は名前も俺──は性別的に無理か。そうやな……紗知名乗っていい。本物は気兼ねするから架空にしとるやろ?」
「えっまじかさっちゃん名乗っていいの!?」
 シスコンどこいった、と呆気にとられた。
「実在する方がまだ怯えなくて済むやろ。身内なら、なんかあったら俺がなんとかできるしな。住所……は、最悪、俺の使え。あとで送っとく」
「至れり尽くせりやん。えっ私どうしたらいいんや」
「こまめに連絡しろ」
「いえっさ!」
 反射的な返事と共に、敬礼してみる。
「飯はちゃんと食え」
「──は」
 ぴしりと伸ばした指から力が抜けた。
「痩せたやろ」
 指摘されるとは思ってなかった。行き場を失った手で頬をかく。
「写真でもいい、たまには顔を見せろ。あ、加工はすんなよ」
「いや普通逆の加工するもんやけど」
「東都だからあまりないとは思うが……来る時はちゃんと事前連絡しろ」
「聞いて」
「どこにおるか分からん。少し前だってキッドがシンガポールに出現とかで海外出張寸前やったんやぞ」
「無視か。あとそれニュースで見た。絶対劇場版のやつ」
「やろうな。爆発してたし」
「やっぱ基準そこなんやな」
「握りつぶせる規模じゃないから分かりやすい」
「せやな」
 本当に勘弁してほしい。はあ、と溜息が重なって、おかしくなって笑った。
 一人じゃない。

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