推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 64

 あの場所で待っていたかったと後ろ髪を引かれながらも真っ直ぐ前だけ見てマンションから出て、それでも建物が見えなくなってから振り向いてしまった。全部終わった時に、もし戻れたら──いや、今はやめておこう。足が止まってしまう。両手で頬をぺしりと叩く。さあ、マンションの監視カメラからは離れたんや、まずは外見から変えよう。
 ああもう、寒いなあ。十二月の風は冷たいから、とマフラーで口元を覆った。

 イメチェンの前にネットワーク関係やったな、とまずは大阪は梅田に降り立った。スマホを新しくしたいところだが、連絡を完全に絶ってしまうとそれこそ探されて見つかってしまう。苦渋の決断として、今使っているスマホは基本的に電源はオフ。スペードマークのスマホを新たに契約し、引き落とし口座は零さんの知らない地銀の口座にしておいた。口座が見つからないことだけを祈りつつ、念の為無闇にその口座にも触れないと決めている。身分証明が必要なのはこれくらいだろうか。
 契約を終えて飛び込みOKのヘアサロンで適当な名前とデタラメの住所を記入し、ばっさり切ってショートヘアにした。ウィッグなんてやってられないから、こっちの方がよっぽど楽になるだろう。支払いはもちろん足のつかない現金。札束の詰め込まれた鞄はなかなかに重量があるし、一瞬一緒が緊張だ。慣れられるか心配だし、慣れてしまうのもそれはそれで不安な話だ。
 閑話休題、大阪と同じく人混みということで、京都は河原町に移動してファストファッション中心に、体格を隠すオーバーサイズを意識しながらカジュアルなものをいくつかピックアップして購入する。大きめのトートバッグも買った。靴はさすがに嵩張るから、また今度少しサイズの大きいハイカットのスニーカーを買うつもりだ。その為に流行りのデザインで大衆に紛れるショートブーツを履いてきたのだ。それからフィッティングボードのあるトイレに移動してパーカーに着替えた。着ていた服は新しい大きなトートバッグにボストンバッグ諸共詰め込んでおく。あとでキャリー買わなきゃなあ。
「──ふぅ」
 最初のスマホ契約で予定より時間を取られてしまったが、概ね順調だ。京都駅方面に移動して別のヘアサロンに飛び込んで髪をほとんど金髪に近いアッシュベージュに染めて完了だ。ここまでいろんな場所で姿を変えれば足取りを掴むのに苦戦するはずだし、出張死神と愉快な仲間たちがすれ違ったって気付かれないと思いたい。その為にはひとつひとつを手抜かりなく遂行しなければならない。髪も、顔も、体格も、名前も、住所だって。凡人は思い浮かぶ全てを変えてやっと立ち向かえるかどうか、というところだ。国家権力も、大人などというレベルを優に超えた頭脳も、勝てる気はしないが、戦わずして負けることも許されない。自分が許せない。バキバキに折れた心でも、何かせずには居られなかっただけかもしれない。言い訳の余地が欲しかっただけなのかもしれない。それでもやらないよりはマシや、と確信めいた思いがあった。

 合間時間では新しいスマホにインストールしたメッセージアプリのアカウントを作成して連絡を入れている。アイコンは設定せずに名前はCORE。「東都に会いに行こうと思ってる」と送った。一時間ばかり経つが、既読はついていない。三井くんがここ暫く何かと忙しそうにしているのは、もしかしたら原作の佳境や映画案件なんかで仕事が増えたんじゃないか、と邪推している。すぐでも飛び出してきてくれそうな勢いがあったのにその実東都に釘付けなんは、そう考える方が自然だろう。空を見上げると月が見えるようになっていた。まだ今日中に東都には行けるだろうけれど、どうしようかな。

 いつでも新幹線に乗れるようにとため、京都駅に向かうことにした。三井くんの最寄りは覚えているから、近くまでは行ける。怒るだろうなあ、と思うと少し歩みが鈍くなった。駅の雑踏の中、改札に向かうか決められない。候補こそあるものの、今夜のホテルも確定させないといけないし。壁際に寄って新しいスマホをまた眺める。今日はこのまま、京都で終わろうかなあ。
 ホテルをチェックしていたら、ふと駅構内の喧騒の毛色が変わったことに気付いた。視界を横切るのはスーツ集団。顔こそ見えなかったが、その先頭を歩く男の肩にはシマリスが鎮座していた。ここは京都──京都府警、綾小路警部の行動範囲だ。
「目立ちすぎや」
 ぼそりと毒づく。おかげで気付いちゃったやんか。逃げなければ。しかしその為には、動向を探らねばならない。吐き気を催しながらも重い足を引き摺ってゆっくりと尾行し、レストラン街に消えたのを確認して踵を返した。電車関係ではないらしいので、新幹線に飛び乗って勢いで東都向かうことにした。
 まじでごめん三井くん、私のために今日だけ睡眠時間削ってくれ。



 気が進まないながらに途中で購入した弁当を腹に詰め込み、以降キャラクターに一切会うことなく東都に辿り着いてしまった。緊張をできるだけ出さないように無表情で電車を乗り継ぎ、相変わらず返事のない三井くんの最寄まで来てみた。すごくストーカーの気分だが、一応緊急事態なので許してほしい。駅を出てすぐの柱に凭れて一瞬元のスマホに電源を入れて確認したが、三井くんはおろかキャラクターからのメッセージは届いていなかった。いくつかのグループラインが動いていたが、読まずにまた電源を落とした。
 冬の夜は暗く寒い。手を擦り合わせて鼻先までマフラーに埋め、初めて降りる駅からの景色をきょろきょろと見回した。ここなら駅から出る人も、辺りもある程度把握できる。監視カメラの範囲内かまでは分からないが、映っても問題がないようにと姿形を誤魔化しているのだ。堂々としていた方がいい。時刻は十時を過ぎ、飲み会帰りらしい顔を紅潮させた中年や、社畜に分類されるだろう疲労感を背負った妙齢の女性を何人も見送った。三十分もすると心が折れてきて、この辺りでホテルに入って明日出直す方が良いか、と思い始めた。明日以降こっちに来たことにして話せばいいや。連絡がつくまで外出は最低限にしてホテルに引き篭ろう。事前に見当をつけていたホテルに向かう決意をして、早速行き当たりばったりな旅に先行きが不安しかなくなった。……まあ、慣れるまでの我慢や。今更止められへんしな。
 既読がついていないことをもう一度確認して、鞄にスマホを突っ込んだ。トートを肩に掛け直して、最後にもう一度あたりを見回す。
 暗がりを歩く一人の男になんとなく視線が止まった。雨でも雪でもないのにフードを被って歩くマスクの男は、どこか只人とは異なる雰囲気を纏っている気がした。街頭に照らされ、二重が特徴的な吊り上がった目元が見えた。
 彼の写真は見せてもらったことはないし、見たことがない。唯一、彼の兄の写真は探したことがあった。それだって、随分昔の話だ。
「──あ、」
 気付いたら駆け出していた。十歩せいぜいの距離を疾走して男に近付き、横からその袖口を震える両手で掴んだ。心臓が痛い。
「あ、あのっ!」
 出した声は震えて、泣きそうな顔をしてしまっている自覚もあった。
「……ええ、と? なんでしょうか」
 ──違う。目を丸くしながらも柔らかな、けれど想像した特徴的な色気を含むものとは異なる声音だった。
「す、みません。間違えました」
 自分の行動に呆れて尻すぼみになった。スコッチは、諸伏景光はもうこの世にいない。そんなこと十二分に承知のはずやろ。
「いや、君は……おい大丈夫か? 顔色が悪い」
 つい目を泳がせると、こんな訳の分からない女を気遣う優しいトーンの声が返ってきた。ひええ本当に申し訳ない。東都クオリティの優しさが今だけは突き刺さる。
「大丈夫、です」
 居た堪れなさで顔を見られなかった。数時間前に綾小路警部を見かけたから、まだどこか気が動転しているのだろう。掴みっぱしになっていた袖にやっと気付いて慌てて離し、距離を取った。
「本当にすみません」
 改めて謝罪を述べて頭を勢い良く下げる。ほんまに何やってるんや、私は。見知らぬ他人様にご心配とご迷惑をかけるなど、零さんとは真逆過ぎてまじで胃が痛い。
「……そうか、ならいいんだが」
「すみませんありがとうございます失礼します」
 一息に言って顔を上げる。ばちりと目が合ったが構わず踵を返し、当てもなく見知らぬ土地を足早に歩いた。

 少し頭が冷えると、頭に叩きこんでおいたビジネスホテルに飛び込んだ。夕方の時点でネットで空室があったから、泊まれるはずだという想像は的中し、最後一室というところでなんとか寝床を確保することに成功した。
 エレベーターで上がって与えられた部屋に入るなりドアに体重を預け、漸く深々と息を吐き出した。
「ん?」
 あの人って、どっちの人やったんかな。あれだけの接触ならどうということはないだろうけれど、勘違いしてしまっただけにぞわりと肌が粟立つ。私が関わったせいで何かあったら、と。分かっていたはずやけど、こんな恐怖と戦い続けなければならないのか。いやに重く感じる鞄を椅子に置いてスマホを取り出す。
「やっべ」
 メッセージ五件、着信二件。最初のメッセージの時間は、スマホを鞄にしまってすぐくらいだ。本当にタイミングが悪いな。
『不在着信』
『何があった』
『今どこにいる?』
 その二十分後に再び着信が来ている。微塵も気付かなかった。いつもの癖でマナーモードにしていたのが敗因だろう。
『俺の後継者だよな?』
『まさかもう来てたりしないか』
『見たらすぐ返事してくれ』
 うん、まあ、そのまさかですよね。

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