推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 62

「……何、かな?」
 早鐘を打つ心臓とは裏腹に、無事に柔らかな声を絞り出すことに成功する。掴まれた右腕から動揺が伝わらないことを祈るばかりだ。
「あー、なんや、その……」
 もごもごと具体的な言葉を話す気配の見られないうちに、本を探して、あるいは宛もなく辺りを行き来する人々の冷めた視線をいただくことになった。自由な左手で首をかき、こちらから話かけることにした。
「私に用があるん? ないん?」
「……ある」
 口をへの字に曲げたまま、ぼそりと吐き出す。
「逃げへんから、手、離してくれる?」
「あ」
 やっと掴みっぱなしだったことに気付いたらしく、慌てて解放される。
「ここやと邪魔やし、移動しよか」
 全く気の進まない提案をすると、彼の表情が僅かに和らいだ。

 腰を据えて話すつもりは毛頭ないが、どうしたもんか。元より休日の梅田の人混みでは並ばず店に入るのは難しい。かと言って話を切り上げるのにはいいかもしれないが、外は寒い。妥協点として地下街で飲み物を買い求め、立ち話することとした。逃げないと宣言したので証拠とばかりに財布だけ抜き取って鞄を押し付けて店外で待たせ、コーヒーと紅茶を注文した。
「コーヒー飲める?」
 聞いたものの、ポアロであった時に飲んでいたから、飲めるはずだ。拒否されたらミルクとシロップを大量にぶち込んで私が飲むことになる。未だに、零さん以外が淹れたホットコーヒーは好まないのだ。
 太い眉を寄せて顔を顰める彼に、それとも二杯も飲ませる気かと追い打ちをかけて紙のカップを押し付けた。その手で鞄を回収する。
「……どうも」
「それで、何?」
「──あんた、危機管理能力どないなっとるんや」
「財布とスマホは持ってるから、鞄漁っても何も見つからんで」
 不服そうにやっとまともに話したかと思えばそんな内容で、溜息混じりに軽く返した。並びつつも一応警戒はしていたが、探った気配はなかった。
「そうやのーて……」
 あ゛ー、と唸りながらガシガシと乱暴に頭を掻く。
「ホンマ、なんでこないな女警戒しとったんやろ……」
 嘆息する高校生に頬が引き攣る。こちとら凡人一般人であるが、それでも一回り歳上であることに気付いてくれ。
「すっごい舐めた発言してる自覚はあるのかな」
「すまんかった」
 素直な謝罪だった。
「ずっと疑って探って悪かった。今度はホンマに反省しとる。くど──コナン君にも、何となく、聞いた」
「うん」
 どういう心境の変化かと思えば、案の定発端は工藤くんだ。まじで大好きだな。知らない所でさらに探られているなどという展開ではなかったらしい──いや、探った結果報告でもして窘められたという線もあるか。少なくとも不都合な真実を探り当てたのではない様子に安堵してそんなことかと相槌で流すと、平次くんはまた口をへの字に曲げて黙りこくった。
「……話って、そんだけ?」
 ぽかんとして渋面を見つめる。追及を危惧していたが肩透かしを食らってそのまま顔に出てしまったものだから、平次くんの眉間の皺が深くなった。すまん。
「せや、悪いか」
「全ぜ──」
 そっぽ向いて不貞腐れる高校生が可愛らしく思えた直後、背筋が凍る恐怖で言葉が途切れた。もし、彼もまた、時の流れに気付いてしまったら。以前何度かに分けて私を調べていたことは知っている。今もこうやって私と接したせいで、異常事態を感知してしまったら。
 逃げなきゃ。
 ガンガンと脳内で警鐘が鳴り響く。一刻も早く、逃げなければならない。かつ、不審感を煽らないように、大衆に紛れるように。
「そもそも自分が怪しすぎるんが悪いんや」
 途切れた言葉には気付かなかったようで、こちらを睨めつける。
「──ああうん、知ってる」
 にこりと笑う。この「半年」で随分と愛想笑いが上手くなったと思う。ぺたりと貼り付けたそれをあちら側の存在に向ける。帰りてえ。暖かい紅茶を一口、冷えた体に投入する。
「飲まんの? なんも入れてへんよ」
「分かっとるわ──あっつ!」
「大丈夫かー」
 指摘されて慌てて飲んだコーヒーはまだ温度が高かったらしい。苦笑いで気のない声をかけた。少し緊張が解れる。
「入れるなんて妙な選択肢出しよって」
 火傷しかけた瞬間は無かったかの様に、平次くんが恐い顔で言う。
「言ってみただけなのに」
 肩を竦め、カップを持つ手の袖を捲って腕時計を確認する。一時五十三分か。二時には別れようと目標を定めた。このままでは気不味い珍妙な関係性は続いてしまうので、もう少しマイルドにさよならしたいところだ。
「そう言えば本、良かったん? 目的あったんちゃうん?」
 余談だが京都弁で訳すと早く帰れになる。
「別に今日やなくてええ。ただの暇つぶしや」
「そか。……連れてきちゃったけど、時間まずかった?」
「大丈夫や」
「なんや、デートかと思ったのに」
「ずっと和葉とおるわけちゃうわ」
「私は誰とは言ってないんやけどなー」
 率先して掘り進めた墓穴をつついて笑ってみせる。
「いいねえ青春やねえ」
「ババくさいで、姉ちゃん」
「精神年齢五十歳やからな」
「完全にババアやんけ」
 言ってみたものの自虐ネタがひどい。実年齢と連載年数足すんじゃなかった。ごめんそんなに老成してない。
「ああ緑茶が美味しい」
「それコーヒーや」
 カップを両手で持って真顔で言うと、間髪入れず突っ込まれた。
「残念紅茶なんやなーこれが」
「じゃかしいわ!」
「あはははは」
 笑い声をあげると、平次くんが脱力する。少し大袈裟だったかと思ったが、元より特段親しいわけでもないので作り笑いはバレていないらしい。
「……進藤さんこそ、なんか目的あったんとちゃうんか」
「いや、目当てのものはなかったから」
「さよか」
 痛い沈黙が降りる。
「他になんか、聞きたいことある?」
「……って、急に言われても」
「今後も関わらなさそうな他人にならフラットな意見聞けるとかでもいいやん」
「あんた工藤と親しいやろ。共通の知り合いがおる時点でアウトや」
「じゃあ美味しいお好み焼きの店教えて」
「じゃあの意味が分からんわ」
「せやかて美味しいご飯は万国共通の話題やんけ。ほら、雰囲気のいいお店教えるから」
「いらんわ!」

 お好み焼きの具で意見が一致した。やはり大量のキャベツ、出汁と山芋を入れた豚玉にたっぷりのソースとマヨネーズが至高である。その基準で美味しい店を聞いた。女子が好みそうなカフェを教えておいた。
 その店には絶対に行くものかと決意し、二時は多少過ぎたが妥協できる範囲内で別離した。
 ただあの人の平穏を祈って帰路につく。玄関をしめて、その場にへたりこんだ。今更手が震えている。なんとか落ち着いてから、三井くんに、せやかて会ってもてん、と送ってみた。想定外だったので隠語がなかったが、伝わる自信しかない。



 また悪夢に魘される。
 ──愛してるよ。
 夢の中で零さんが囁く。存在が愛しくて、隣にいることは嬉しくて、住む世界が違うことが哀しくて、あの人の妻であることが痛くて、未来が果てしなく恐ろしい。

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