推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 61

 三井くんの返信があったのは曜日はそのままに日付だけが冬に飛んだ先の土曜日の朝だった。曰く、次の週末見舞いに行くから予定空けとけ、と。了解のスタンプで返事をしておいたが、熱を朝の気分は沈んだままだった。

 今日は何をしようか。今日のスケジュール帳が白紙だったので、約束や予約は何も無いらしい。まとまった時間があった。時間がないとできないことはなんだろうと紅茶を飲みながら思案する。
「あ、処分しよう」
 どうして今まで浮かばなかったんだろうと思うほど自然に浮かんだ案は、日記帳の処分だ。未来の知識が無くなった以上、増して原作に関わるまいと決めた以上、存在価値はない。それどころか、いくら私にしか読めないはずとは言っても、情報の塊だ。危険なものでしかない。最後に開いたのは一旦何日前だったのか検討もつかないくらいで、もう不必要なのだ。
 思い立ったら即行動、日記帳を手にして最後にゆっくりと時間をかけて一読した。私が切り捨てたものを心に刻んで、零さんの為にと干渉を模索した過去と決別するいい機会だと思った。
 最後の歌詞を書き付けたページだけは破りとって四つ折りにし、正式な置き場は今度考えることとして、神棚の範疇、写真立ての中に一時的に隠した。

 それから処分方法に頭を悩ませた。数年前の事件のようにインク濡れにする手もあるのだが、より確実により手っ取り早くと燃やすことにした。
 たくさんのページをメモ書きだったルーズリーフのようにバラバラに刻んだ。ベランダでの作業は風のリスクを鑑みて、キッチンで換気扇を回しつつに燃やすことにした。一番古い鍋で少しずつ少しずつライターで燃やした。一気に燃やして飛び火したり火災報知器に引っかかったら全くもって洒落にならない。悪いことをしている気分になりながら、淡々とひどく地道な作業を行う。
 赦さないでほしい。零さんだけは、進藤悠宇という人間を決して赦さないでほしい。実態を知る三井くんは、関わらないことが正しいのだと私を正当化して赦した。ならば救わなかったことを責められるのはあの人しかいない。僕を理由に誰かを見捨てるな、ただの意気地無しで逃げたことの言い訳に使うな、と。当然、例え原作が過ぎ去っても零さんに事実を告げることはできない。過去の傷を抉る必要性もなければ、そもそも信じてなんかもらえない。
 日記帳と一緒に、罪も罰も全部燃えて無くなってしまえばいいのに。
 次の切れ端に火をつける。

 最後に燃え滓と表紙、それから鍵を黒い袋に入れた。ついでにウィッグなどの高山めぐみを連想するものも詰め込んで固く縛り、鍋と共に不燃ごみの袋に放り込んだ。万が一親など誰かが部屋を訪れることになっても認識されないよう、その上から他に何かと不要な瓶や錆びてきた傘などを探し出してまとめ、ベランダに置いた。これでゴミの日まで問題ないだろう。
 一仕事終えた頃には日が傾いていて、伸びをすると空腹を覚えた。そういえば朝から固形物を摂取していない。部屋に戻って零さん用のストックである南蛮漬けを少しとビタミン剤などのサプリメントを胃に押し込んだ。次は何を作っとこうかな。いや、そろそろこの不毛な習慣も止めてもいいのかもしれない。
「──作る、かあ」
 頭を振って、空の皿とコップをキッチンに運ぶ。理由が無いと料理は億劫で、一度止めたらもうやれない気がした。
 色々な食材を購入して一人分作るより、外食や惣菜を買ってサプリメントで補うのが一番コスパがいい。時間も労力もかからず合理的だ。それでも止められないのは、ほんの少しでいいから、迂闊に外食できない零さんの助けになりたいからだ。私も何かできるという希望を失いたくないからだ。

 なんとか料理を完成させた頃に、三井くんから電話がかかってきた。洗い物を放り出し、スマホを耳に当てる。盗聴されやすいからと電話は忌避していたはずやから、どういう内容だろう。キャラクターのコードネームを復習しつつ、電話を受けた。
「もしもし?」
「今大丈夫か?」
「うん。ええと、お見舞い、来週やんな?」
「ああ。そやけどその前に確認したくて」
「何?」
「進藤さん、今までそこ二人以外に連絡取ってた?」
 二人というのは、零さんと梓ちゃんだろう。
「いや、この件があったし最近かな」
「普段から連絡取るのって、今回罹った二人のうちどっちだ?」
「奥野、さん」
 梓ちゃんともよく連絡をするが、なんだかんだ多忙と言えど、およそ週に一度は少しでも声を確かめているのは零さんの方だ。
「やっぱ、そうか」
「……え」
「南ちゃんと池田さんとのコンタクト、控えた方がいいかもしれない」
 情報収集も兼ねてコナンくんと赤井さんとは細々と連絡を取り合うことで話が落ち着いていたはずだ。静かな三井くんの声に戸惑う。
「山口は問題なかった。……進藤さんが中心の可能性が高い」
 ひゅ、と喉が鳴る。呼吸がうまくできずに蹲った。
「詳しいことは今度説明する。不自然の無い範囲で構わないから、一週間。頑張れるか?」
 優しい声に、返事ができない。進藤さん、進藤さんと私を何度も呼んでくれるが、大丈夫という一言が発せない。言わなければと思うほどパニックが加速し、頭が真っ白になっていく。
「進藤さん──、悠宇っ!」
「あ……み、ついくん、」
「ゆっくり深呼吸して……吸って、吐いて……そう」
 なんとか指示に従い、数分かけてやっと呼吸を落ち着ける。まだ心臓はどこか煩い。
「進藤さん」
 ひどく慮る声をしていて、申し訳ない。大丈夫か、と三井くんは聞かなかった。大丈夫じゃないことはとうに伝わってしまっている。
「やっぱ今から──」
「大丈夫」
 いつもの言葉を強く発して、三井くんを遮った。
「……ほんまに?」
「仕事、あるんやろ? 私もそうやし、仕事中はなんもないし。それにたったの一週間やん。大丈夫、うまくやるって」
 三井くんではなくは自分に言い聞かせた。あれこれと理由をあげ連ね、無理無茶を止める。このままではまたしても三井くんの負担になってしまう。こういう時だからこそ、外面は保たねばならない。そう説明する。
「……分かった。何かあればすぐ連絡、おっけー?」
 不承不承といった体だがなんとか頷かせることに成功し、一息ついた。
「うん。ありがとう」
 その夜は内容こそ記憶がぼんやりしたもののまた悪夢に魘され、深夜に飛び起きた時は汗と涙でぐっしょりと濡れていた。多分また、死と血に塗れた夢だったんやろう。



 翌日は予定通りの日曜日だ。化粧で顔色を誤魔化して季節相応に着込み、大阪駅の方まで出掛けた。久しぶりに会う高校時代の同級生とのランチの約束を取り付けていた。当時は親しかったが、大学に通い始めると共になんとなく疎遠になっていた。三井くんと再会したあの同窓会は臨月で行けず、最近になって朝倉から私の話を聞いて連絡をくれたらしい。
「悠宇、なんか雰囲気変わったな! とりあえず結婚おめでと!」
「ありがと。でもあんたに変わったって言われたないわ。結婚と出産おめでと」
 会うなり底抜けに明るい顔で茶髪の彼女が笑う。行こうか、と二人並んで目的の店へと向かった。
「子供ちゃんは?」
「今はお義母さんがベッタリ。ええやろ?」
「なるほど平和的やな」
「やろ? 悠宇の方はどうなん?」
「──ぼちぼち、やなあ」
 うまく笑えていなかったらしく、彼女は顔を曇らせた。
「あれ、うまくいってへんかったりする?」
「あー……別居婚の話、聞いてる?」
「それやっぱガチなんや」
「うん。でも私はそれでいいから」
「ほんま変わったなあ。前会った時……やから六年前か。結婚にリミットはないけど出産にはリミットがあるだとか、子供おらんのなら結婚はとりあえずいいとか、好き勝手言ってたやん。デキ婚する気かこいつって真面目に心配してたんやけどなあ」
 態とらしく心配する演技をして、またケラケラと笑う。そんなことも、あったかもしれない。
「時効時効。しかも酒の席の話やん?」
「とか言って、あん時は本気やったやろ」
 零さんのことをはぐらかしていると、行き着く会話内容は子供のことだった。悪いけれど次に連絡するのは来年にしようと心に決めた。この時空で赤子がどう育つのか、恐ろしかった。現実から目を背けた。

 ランチの後すぐに別れたので、折角ここまで出てきたのだからと駅にある大型書店に立ち寄った。実用雑誌コーナーを物色し、新刊を確認し、関東の旅行雑誌コーナーで立ち止まる。東都から少し離れた『植物園』にはどんなものがあるだろうか、と少し気になっただけだ。冬という季節柄かこれといってめぼしいものはなく、すぐに閉じて他の棚に視線を走らせた。温泉を表紙に取り上げた和歌山の雑誌に手を伸ばす。
「あ」
「え?」
 低い声に驚いて、伸ばした手を引っ込めた。
「あー、進藤、サン」
 視線を彷徨わせつつ、途切れ途切れに私を呼ぶ。
「……平次くんか。こんにちは」
「どーも」
 にこりと挨拶すると、気まずいと前面に出して会釈された。私が気まずいわ。
「じゃ」
「あ、待ちいや」
 するりとその場を離れようとしたところで、腕を掴まれた。聞いた事のある言葉なのに、以前のような棘は含まれていなかった。

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