推しに尽くしたい話 | ナノ


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 零さんとの通話が終わった頃には日付を跨いでいた。当然眠気は家出真っ只中で、その上じわりと視界が霞んだ。私はいつからこんな弱虫泣き虫になったんや。くそ、と悪態をつく。頼むから、あの人が幸せになりますように。できることなら、私が幸せの手伝いができますように。
 鼻を啜って、当初の予定通り三井くんに連絡を入れるべく視線を画面に落とした。
『次は栗栖がかかったみたい。自覚症状はないっぽいけど』
 送ったのは病気の体裁を取った簡素な文章だ。これで手の空いた時にでも電話をくれるだろう。ちなみに、ポアロの作者のアガサ・クリスティが元ネタである。決してベルモットの方ではない。コナンくんは南ちゃんで、赤井さんは池田さんで、蘭ちゃんは角田だ。キッドは山口だし、眠りの小五郎は増井さん、それから零さんは奥野さんといった具合である。言わずもがな百億の男が由来である。
 案の定深夜なので返事が返ってくることもなく、明日は来るのだからと布団に潜り込んだ。

 翌日朝食を取っていると、また連絡する、とだけ返事が届いた。どうにも忙しい時期だったらしく少し申し訳ない。



 勤務後にキックボクシングのジムに行ってから帰った時はもうくたくただった。これならば容易に眠りにつけるだろう。軽くアルコール摂取でもすれば完璧だ。まともな夕食は取っていないが食べる元気もないし、ツマミくらいで今日くらいはいいだろうとシャワーで汗を流しながら考えた。
 スウェットに着替えて頭を拭いていると、珍しい人からのメッセージが来ていた。
「沖矢さん、か」
 少し悩んで、一旦頭をしっかり乾かしてから返事をすることにした。特に会話を続ける予定はないので、ドライフルーツを皿に出して予定通りバーボンでハイボールを作った。

 こんばんはの文字と、こちらを覗く黒い犬のスタンプ。最近この人の自由っぷりが目立つ。無職だからかメッセージの時間帯は様々だし、仕事の昼休みだからと一旦寝かせてそのままうっかり二日ほど放置してしまった時など、悲しみの犬のスタンプが送られてきた。これをあのクールな男が送っているのだと思うと笑いそうになる。誰だこんな可愛いスタンプ使わせたやつ。自分で買ったのか? プレゼントされたのか? とても気になるのだが尋ねるのは気が引けた。知りたいけど知りたくない。
『なんですか?』
 グラスを傾けつつ、雑な返事をしながらソファに腰を下ろした。
『以前勧めていただいた推理小説を読み終えまして』
 画面を閉じる前に既読がついて、暇人め、と内心毒づいた。
『孤島の館のやつですか?』
「おわっ!」
 途端に画面が変わって着信を知らせ、驚いて何故か反射的に取ってしまった。
「こんばんは」
「……こんばんは?」
 硬い声を返して、口元に寄せていたグラスをくるりと回す。カランと氷が音を鳴らした。赤井秀一との初の通話である。随分ましになってきたものの、苦手意識は拭いきれない。元々そっちの距離感が悪いのだと開き直って、彼の許容に甘えてふてぶてしい対応を続けていた。
「感想なら電話の方がいいかと思ったのですが……晩酌中でしたか」
「よくお分かりですね」
 今更驚かねえぞという心で棒読みしてみたが、普通に怖い。その機微を感じ取ったのか、推理を説明される。
「この季節柄、氷を入れた飲み物は限られますからね。金曜ですから明日仕事は休みでしょう。時間帯的にもそう考えるのが妥当です」
「そっすね」
 ほんまサラブレッドなハイスペックさんは困る。ハイスペックの中に紛れ込んでしまった凡人の身になって欲しい。絶対無理。
「お酒は時々一人でのむと以前おっしゃっていましたし」
「あなたにそんなこと言った記憶ないんですけど」
「かく言う私も一人でのんでいるところなんです」
「聞けや」
 記憶違いかと真面目に考えかけたところに噛み合わない返答で、思わず突っ込んだ。
「何を飲まれているんです?」
「……ハイボールですよ」
 マイペースさに諦め、一口飲んでから答えた。冷たいグラスをテーブルに置く。
「グラスということは、家で作られるんですね。ベースは何です?」
「バーボンやけど」
「奇遇ですね、私もバーボンをのんでいるんです。オンザロックですが」
 そう言って、上機嫌でくつりと笑う。何がおかしいのかさっぱり分からない。きっと凡人には一生分からない。とりあえずお前ほんとバーボン好きだな。知ってた。
「そうですかどうでもいいです切りますね」
「そうつれないことを言わないでください……のみながら話すのも悪くないでしょう」
「えー」
「あの本のシリーズ、読破したんです」
「まじか」
 適当にとはいえ勧めた本は事実好きな本で、興味を持ってくれたことは素直に嬉しく、その感情が声に乗った。
「どうでした?」
「面白かったですよ。やはり第一作が一番良かったですがね」
「そこは同意です」
 純粋な感想を交わす。これは長くなるなとドライフルーツをつまみながらヘッドセットに切り替え、ハイボールを飲んだ。

 実はと切り出して沖矢さんに勧められた工学系の書籍を読んだのだと告白すると、意外そうな声が返ってきた。
「お読みになられたんですか」
「まあ、分かり易い上に面白かったですし、一通りは。なんですか文句あるんですか」
「いいえ、まさか。喜ばしい限りですよ」
「ほんまに? 嘘くさいですけど」
「私の勧めに乗るのが意外でした」
 あっさりと告げられ、溜息をついた。
「発言者と内容を一緒くたにするのは阿呆のやることです」
「随分はっきり言いますね」
「あなたに言葉を飾る必要を感じてませんし。その気苦労が勿体ない」
「ホー」
「面白いものは面白い、つまらないものはつまらない。だからってその人が面白いかつまらないかは分からないでしょう。それはそれ、これはこれです。シンプルイズベスト」
「ふむ……しかし世の中そう単純なものではないぞ」
 この人のちょいちょい赤井感出してくるの本当になんなんやろう。私やからいいものを、と眉をひそめた。
「単純で済むものを複雑にしても疲れるだけです。凡人ですから。それとも本当に何か意図があったんですか?」
 私が興味のある分野に詳しかった、それでいいだろうに。
「いいえ、ありませんよ」
「なら話をややこしくしないことです。ややこしい代表さん」
「ホー……私のどこが複雑難解なのか、後学の為にもご教授いただけませんか?」
「知ってるくせに」
「なるほど。知っているものは知っている、と?」
「──ええ、そうです。お気に召しませんか?」
 不機嫌さを隠さず言い放つと、沖矢さんはまたくつくつと笑った。
「いいえ、全く」
 電話越しに沖矢さんが動く気配を感じ、これ幸いと終了を申し出た。
「はいもう切りますよ。おやすみなさーい」
「あと一杯分、付き合ってください。注いだところなんです。寂しいじゃないですか」
「えー……しゃーなしな」
「ありがとうございます」
 会話内容に困り、結局読んだ書籍で分からなかったことを尋ねると、丁寧に教えてくれた。意外にも分かり易かったという感想と感謝を率直に述べると、また笑われた。隠れFBIに勉強を教わるという稀有な体験をしてしまったのだから、むしろ不相応なくらいだ。

「……今、また注ぎ足しませんでした? そろそろ飲み切ってますよね」
「いえいえ。お酒を嗜みつつ人に教えるなどと器用なこと、私には到底」
「ダウト」
「Doubt」
「無駄に発音良すぎて腹立つな」
「I’m flattered」
「Annoying」
「おや、英語話せるんですか」
「ほんの少しだけですよ」
 イギリス出身アメリカ国籍で日本人の血を持つ赤井秀一とかいうスナイパーとは、当然比べるまでもない。ぐてりとソファに凭れ、欠伸を噛み殺す。時計を見ると日付を跨ぐ直前だった。小一時間話している計算になるのか。もういいだろう。
「私は寝るので、あとは独りで楽しんでください」
「そうですか、ではまた」
 貴様またかけてくる気か。
「暇か」
 おやすみなさい。
 体裁と心の声が逆になった自分に閉口する。いくら好き勝手言ってるにしても、本当に眠いらしい。これ以上は不味いなとシャットダウンする。布団に動かなければと思うがどうにも億劫で、気付けばソファで寝てしまっていた。



 また夢に魘され、はっと目が覚めると頬が濡れていた。くそ、と思わず毒づいた。今日は何月何日になったんだろう。

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