推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 56

 無言のまま近くに停められていたRX-7の助手席に押し込まれ、零さんが運転席に乗り込む。シートベルトをしたのを見て、慌ててそれに倣った。エンジンがかけられ、白い車が発進する。どのタイミングから口を開いてもいいのか迷ってしまい、痛い沈黙が横たわった。

 米花市を離れて、赤信号で停止する。零さんがやっと重たい口を開く。
「……心配した」
「ごめんなさい!」
 静かな声に間髪入れずに謝罪する。
「ボールペンを受け取ったって言うから確認したらあんなところにいるし、コナン君はまだしもあの不審な糸目野郎といるし、その上何故か問い詰められているし、本当に心臓に悪過ぎる」
「面目次第もございません!」
 果たしてどこから謝罪しどこからどこまで説明すればいいのやら。ぴしりと背筋が伸びた。土下座も辞さない構えだが生憎と車内である。
「どこからお聞きでございましたか」
「怒ってないから、そう固くなるなよ」
 呆れを隠さずに零さんが言う。
「──っ、」
 ひゅ、と喉が鳴った。あんな単独行動は怒られる要素しかないはずなのに。怒るまでもなくついに見限られたのだろうか、などと不穏な想像をしてしまった。迎えに来てくれた零さんを信じているのに、それでも最悪を想像してしまう自分が嫌になる。
「おい、何か勘違いしてないか?」
「──ぁ、」
 整った顔が不機嫌そうにこちらを覗き込む。上手く声が出なかった。
「知ってたぞ、僕は」
「え……?」
 パニックに陥りかけたところで背後からクラクションを鳴らされ、ビクリと大袈裟に身を跳ねさせてしまった。零さんが舌打ちし、車のギアを入れる。動き始めた車の中で前を見たまま、零さんが続きを話し始めた。
「悠宇がこっちで何かコソコソやってるのは知ってたよ。それを指摘しなかったのは、どういう理由であれ、悠宇の顔を見れる時間があるのが嬉しかったからだな。こっちに来れくれないとそう会えないのに、その口実を減らす理由はないってな……それにかこつけて会えれば、なんて願っていた。言わば甘えだ」
「そんな、え、まじか、嘘やん」
 衝撃の事実に唖然とする。
「ポアロなんかその絶好の場だろう? けどそれで付け入る隙を与えてしまったんだから、楽観視してたんだなと反省してるところだ」
「いや待って? そもそもは私が悪いんやんか」
「でもそれは僕のためなんだろう?」
 うぐ、と言葉を詰まらせた。それはもちろんそうやけど、認めてしまっていいものだろうか。例え無理に正当化したところで私の落ち度は変わらへんのやし、説明出来ない以上不信感を煽るだけになるのに、となんと説明するか迷って顔を顰める。
「話せないことはお互いにあるだろうが、そんなことくらい極普通のことだ。誰にだって秘密にしたいことの一つや二つはある。しかも今回に限って言えば、その動機の根本は僕だ。そこまで分かってて怒るはずがないだろう」
「でも、っ」
「無理に聞き出そうとは思わない。話したくなった時に話してくれたらいい。君は僕の秘密に対してそういうスタンスだろう。僕もお互いがそれでいいと思っている」
「……うん」
「でも、泣く前に僕をもっと頼れとか、無理するなと言ったのは君だろうとか、それくらいの小言は許してくれよ」
「……うん。ごめん」
「分かったならいい」
「ありがとう」
「うん」
「……ダメって分かってるのに、来てくれて、救われた」
「そうか」
 満足気に零さんは微かに口角を上げた。話はあっさりと完結し、沈黙が訪れる。さっきまでの痛い沈黙ではなく、穏やかな静けさだった。
 零さんに落ちた瞬間みたいやったな、と思い出す。この人は私にとってヒーローなのだ。耐えきれずにしまらない顔になってしまったのを隠すためにふいと外に顔を向け、しかし見ているのは窓ガラスに映る零さんの横顔だ。文字通り交わるはずのない向こう側の世界はずの人が、何故か同じ世界に、その上私の隣に居てくれる。なんて果報者なんやろう。何の因果か、何の奇跡か、零さんに逢えたのだ。愛してるのが零さんでほんま良かったなあ、とエンジン音に紛れるほんの微かな音を発する。届かなくていいけど、言葉にしたかった。
「──っとに、君は……」
 呆れ声にちらりと視線を送ると、ぐしゃりと金髪を掻き上げる姿があった。ぴょこりと癖毛が跳ねる。耳がいいな、聞こえてしまったらしい。ちょっと恥ずかしくなって、やたら明るく声をかける。
「なあなあ、お返ししたいんやけどなんかある? なんでもお願い聞く!」
 その変わり様にか、くすりと零さんが笑った。言ってから、あれ言葉にしただけでいつも通りでは、と気付いた。零さんのお願い聞くのが趣味みたいなところあるし、お互いに得するだけやん。
「え、何」
「いや?」
 愉快そうに言って、目を細めて考え込む。
「そうだな……帰ったら、奥さんの手料理が食べたいな」
「把握した! 食べたいものは?」
「……鯖の味噌煮?」
「まかせろ」
「あー……このまま直帰したい……」
 しみじみと絞り出された声に驚嘆する。
「家に向かってなかったん!?」
「なんだ気付いてなかったのか」
「尾行を警戒して遠回りでもしてるんかと思ってたけど、登庁ルートかこれ! 遠回りしたにしても、この流れで一緒に帰宅はないかとも思ってたけど!」
「そういう意図もあったが……どこかの駅で降ろすから、先に帰っててくれるか」
「あいさー!」



 最寄りと違う線の駅で降ろしてもらい、スーパーで食材を吟味する。晩御飯と言うよりは夜食の時間になるだろうから、ハイカロリーなメニューなどは避けたいところだ。多めに作っておいて帰宅時間次第で翌朝に回せばいいか、と購入して帰って少しだけハロを構い、急いで調理を始めた。鯖の味噌煮とすまし汁、お浸しと焼き茄子。直接でなければならない報告書をあげるだけだからそんなに時間はかからないはずだ、と零さんは言っていた。なんやかんやでそれだけで終わるとは思えないが、一応というやつだ。しっかり朝ごはんになるかもな、とは予想している。

 零さんが帰ってきたのは日付を跨ぐ前だった。予定のすぐではないものの、連絡が入った時にはどれほど驚いたか。
 出迎えてキスをして、ご飯の準備をする。控えめに盛り付けている間に零さんがお風呂のスイッチを入れてきて、ハロと少し戯れて餌を与える。食事中は先程の緊急事態などなかったかのように零さんが話題にしたのはいつも通り、最近のニュースやハロのこと、いつか私が行ったラーメン屋を訪れた話だった。

「ごちそうさま」
「お粗末さまでした!」
 立ち上がり、片付けを開始する。
「……なあ、お願いってどこまで有効なんだ?」
「他にもあるん?」
 甘えてもらえてるみたいで嬉しくて、食器を重ねてキッチンに運びつつにやにやと笑ってしまう。あかんまたなんか言われてまうなと思ったが、その程度では表情筋は言うことを聞かなかった。
「んー……。なら今回こっちにおる間はいつでも何度でもなんだって、とか?」
 それくらいしたところで、お返しとして足りるかと言われれば答えられない。
「そうか」
 夫婦らしいお願いなら膝枕とかドライヤーとかだろうか。ご飯の流れだし、お弁当とかかもしれない。それとも長らくできてない晩酌かな、零さんお酒好きやし。疲れた体に指圧やマッサージとかかもしれない。少しでも一緒にいたいと思ってくれているみたいやし朝のトレーニングのお手伝いとか。こういう機会であれば零さんがして欲しい小さなことを沢山聞き出すことができるのではないかと、それは今後役に立つのではないかという計画的な発言である。あれれ私天才ではなかろうか。
 妄想を逞しくしている間に、零さんはアンと鳴いて擦り寄ったハロをわしゃわしゃと撫でてやり、離れて私が持ちきれなかった分を持ってきた。それを流しに置いてそれぞれを水につけていると、零さんの手が背後からするりと腰に回った。零さんが耳元に口を寄せる。
「悠宇」
 ミスったかもしれない。嫌な予感がする、夜の営み的な意味で。明日は死んでそうやな。
「お風呂、一緒に入りたいな」
 低く甘い声にピタリと手が止まった。シンクの中で零さんのお茶碗から水がどばどばと溢れる。
「……」
「何でも聞いてくれるんだろ? 安心しろ、風呂では襲わないから」
「……ん」
 では、の意味はその後はいただかれるということか。それくらいはお願いなどと言うまでもなく、いつもの流れになると思ってたけど。
「多分」
 受け入れた後にぽそりと付け加えられた単語に、せやろな、と諦観の念と共に心の中で呟いた。零さんも男なのである。

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