推しに尽くしたい話 | ナノ


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 翌日の午前中は家事をしながらハロと戯れた。昨日電話直後に買いに出て閉店滑り込みで購入したおもちゃをハロに与えたので、今日はもう大丈夫だろうと思いたい。その後、デートなのでボーダーのカットソーにイエローのタイトスカートという明るいカラーを身につけた。小ぶりなショルダーもホワイトで、足元は歩きやすいぺたんこのパンプスを合わせた。
 本日のポアロは出張中の安室透不在のため、梓ちゃんはランチタイムを終えてから店をマスターに任せて落ち合うということになっている。こちらの住所が少しでも悟られるわけにはいかないので、米花駅付近のホテルという体で駅を待ち合わせ場所としている。そういう流れがあったこともあり、少し気が進まなかったが、風見さんとの接触も米花町となっていた。

 梓ちゃんの待つという顔を心がけながら指定されたベンチに座った。隣は見知らぬおばさんだ。スマホをつつきながら待つこと五分、おばさんと入れ替わりで風見さんが現れた。隣に腰掛け、持っていた黒い細長い箱を私との間に置いて、その手をポケットに突っ込んでスマホを取り出す。視界の端で注視していたが、その自然さに内心感嘆した。さすが、蘭姉ちゃんの射程圏内でコナンくんからスマホを抜き取り戻した男。務まってる。
『お忙しい中すみません。ありがとうございます』
 用意しておいたSMSメッセージを送る。すぐにスマホが震えて、隣にいる風見さんからの返信を知らせた。
『問題ありません』
『仕事が早すぎて驚きました』
『前よりは時間がありましたので』
 自分から始めたとは言うものの、隣にいるのにスマホ越しに会話をしているのは少しむず痒い気持ちになった。
『ペンギンちゃんも風見さんだったんですか。ご迷惑おかけしてます』
「……嫌だったら、言ってもいいんですよ」
 風見さんは雑踏に紛れそうなくらい小さく呟いた。落ち着いた声音だが、画面を見つめる私はその表情を確認することはできない。妻に発信機を常に持たせるのは正常な思考とは言い難い。しかし相手は上司のだから下手に記録に残る会話もできない、といったことだろうと予想した。板挟みになった常識人の反応である。悩んで、薄く唇を開いた。
「……私が望んだことですから」
 できる口元がだけ動かさないよう細心の注意を払いながら小声で返した。少し間があって、震えてもないスマホを耳にあてながら風見さんが立ち上がった。
「──はい、わかりました。他にトラブルは?」
 ちょっと迷って、左手をはっと見た。つけてきてもいない指輪を探すフリをしながら「ない」と囁き声で呻いてみた。態とらしすぎただろうか。
「……そうですか。ではそのように手筈を整えておきます。はい、また何かあればいつでも連絡してください。……ええ、どんなに小さなことでも構いませんよ」
 風見さんは話しながら腕時計をちらりと見て、はい、などと相槌を打ちながら手ぶらで歩き去った。こうなったらこのままいっちゃえ、と鞄をベンチに置いて中を漁るようにしてポーチを出し、戻す時に一緒に推定ボールペンの箱を回収した。これで任務完了である。しかし気分は証拠品を隠す犯人である。
 ……なかなかにひっどい茶番やな。誰かに見られてたら死ねる。スマートさが足りない。風見さんも零さんもこんなんしょっちゅうやってんの? まじか。怖い。
 顔を覆いたいのを我慢して腕時計を確認すると、梓ちゃんとの待ち合わせにはまだしばらく時間があった。

 駅ビルの綺麗なトイレに向かい、個室に入るなり深々と息を吐いた。
「つっかれたあ……」
 めちゃめちゃ神経を使ったし、風見さんの優しさがめちゃめちゃ申し訳ないし、とにかく消耗がえげつない。
 便座に腰掛けて鞄から先程回収した黒い箱を取り出し、かぱりと開けた。案の定、中身は白いボールペンだった。アルファベットの筆記体で私の名前が刻印されており、ペンギンちゃんよりずっとコンパクトになったGPS発信機付きのボールペン。技術の発展が著しすぎて時々ついていけなくなる。
 受取完了しました、と零さんに連絡を入れた。



「あ、梓ちゃん!」
 待ち合わせの三分前に梓ちゃんの姿を見つけ、声をかけた。にぱりと明るい笑顔を向けてくれて、先程のダメージが回復した。本当に笑顔が可愛い。
「お待たせしましたー」
「私も今来たとこやし。仕事お疲れさん」
「今日は落ち着いていたのですんなり抜けられました!」
「そうなんや。行こっか」
「はいっ!」

 向かったのはかの有名な始まりの地、トロピカルランドである。
 お城の前で写真を撮ったり(ペンギンちゃんの不在をソッコー指摘された)、縁起が悪いことこの上ないミステリーコースターに乗ったり、タイミングを見計らって食べ物片手に噴水広場に行ったり、溶岩下りをして、観覧車にも乗った。あれこれただの聖地巡りでは? アラサーという年齢を忘れてめちゃめちゃはしゃいだ。隣接するトロピカルマリンランドにも行きたいなという話にもなった。
 ジェットコースターで黒い不審者と乗り合わせることはなかったし、怪しげな取引を目撃せずに済みそうや。

 土日で長いはずの待ち時間も、梓ちゃんがいるから楽しくって仕方がなかった。今や情報収集も何もあったものではなくただ梓ちゃんと遊ぶだけになっているので、今も働いている零さんには申し訳ないとは思っている。コナンくんの近況などそれこそあの人の方が詳しいだろうし、沖矢さんがポアロに来るとも思えない。哀ちゃんもポアロ……というかバーボンから遠ざけられているっぽかったしなあ。あなたのお母さんのヘルエンジェル、エレーナ先生が初恋なんですよなどとは色々な意味で言えやしない。
 以前零さんが働いているのに、と友人と遊びに出かけるのを躊躇ったことがあるのだが、そんな必要はないと一蹴されてしまった。その上で、でも僕がいる時は優先してくれたら嬉しいけどな、なんて言われてしまえばもちろんですとしか言えなかった。推しが優しすぎてしんどい。
 しばらくしてから、零さん視点では今までの情報収集と遊びのボーダーラインは分からないのだったと気付いた。そもそも情報収集のための交友関係という思考がないはずだし、仮にあったとしたらそれは私の動き方が下手というだけなのだ。
 とはいえ、梓ちゃんの口から零さんの近況が聞けるのは大いに収穫であることに変わりはない。推しが楽しく生きているのならそれはこの上ない幸せなんやから。
「このあいだ安室さんが白身魚のグラタン作ってくれたんですけど、それがすっごく美味しくって」
「え、魚の? マカロニとかじゃなくって?」
「うん。ポアロに魚使ったメニューないなってお客さんと話してたから、それで」
「魚が基準ならフライとかムニエルとかやないんやなあ」
「仕入れとか保存期間とかの兼ね合いで結局定番メニューには程遠くって。だからあの日限りだったんですよねえ」
「話聞いとると時々あの人の限定メニューあるやんな。半熟ケーキとか……ああ、誰かに食べてもらうためやったとかなん?」
 零さんが定番メニューになる余地のない料理を作るとしたら、それが期間限定どころかその日限りだとしたら、当然そういった理由以外に考えられない。
「そう! そうなんですよ! 生臭さが苦手だって方に、色々対策はあるけど新鮮ならそもそも生臭くないとかで、すっごい新鮮な魚を用意して作ってくれたんです」
「へえ、さすがやな……」
「ほんっと、これがイケメンの余裕かと」
「行き着くとこそこなんや。有能な同僚でええやん」
「シフトすっぽかすのと炎上さえなければ、ですけどね」
「ちょっと前もまた炎上したって言ってたっけ?」
「安室さんってば自覚が足りないんですよ」
「わかるそれな」
 ぷりぷりする梓ちゃんに反射的に全力で同意してしまった。
 時々あむぴで検索して妙な写真がアップされていないか巡回しており、実は二、三度風見さんにこっそり連絡入れている。そんなことは本人には言い出せておらず、風見さんにもしっかり口止めしている。降谷零とかバーボンの時にあむぴファンのJKに盗撮されるの本当に良くない。ガラケー時代と比べてスマホは高画質な上に見た目が特徴的過ぎて誤魔化せないのだと、もっと自覚してほしい。キラメキオーラ自粛しろ、まじで。
「悠宇さんから見てもそうですよね!」
 やっべ火に油注いだ。

「あーあ、月曜嫌やなあ。ずっと休みがいい……」
 パレードの情報をチェックする梓ちゃんを見ながら、何気なく言った。ずっと天使達、目の前の天使と帰ったらいるもふもふの天使と戯れていたい。今回こちらに来るのに金夜からと調整した分の帳尻合わせが待っている。
「悠宇さんはあと一日休めるじゃないですか。私は明日も出勤ですよう」
「へ?」
「え、だって今日土曜日で……だからあの時間に待ち合わせ、でしたよね?」
「……ああ、うん。そうやったな」
 反応が遅れる。しまった、ペンギンちゃんショックとハロにかまけて曜日チェックを怠ってたわ、と思い至った。
「悠宇さん? あ、今回は金夜からこっちって言ってたんだっけ」
「あー、うん。そう」
 そうだけど、それは昨日じゃなくて一昨日の話だ。じゃあ一体、今日はどこでどんな事件が起こってるんだろう。それとも、事件の前触れの方だろうか。
 ハロを返すのって、この場合今日なの? 明日なの?
 増えた頭痛案件は、今やれることはないからと先送りにした。



 パレードを楽しみ、トロピカルランドをあとにした。ハロのことがあって元々遅くまでは居られないことは伝えてあったので、そのまま別れる方に誘導する。帰宅先を知られるわけにはいかないため、方向が違うからと梓ちゃんを一旦見送って、見えなくなって少ししてから駅に向かうことにしてゆっくり歩き始めた。しかしどこかで会うと不味いし、公園ででも少し時間を潰した方が無難だろうか。
 スマホをチェックしたが、零さんからの返事はない。ゆっくり帰ってもそこまで大きな問題はないだろう。今日かどうかすら分からなくなったし。遊園地で遊ぶ間に溜まったメッセージをチェックし、のんびり返信をしていく。時間が飛んだのなら一応ニュースもチェックしたが、特に奇妙なものは見当たらない。
 私にしては珍しく、歩きスマホをしたのが良くなかったのだろうか。それもここ米花市では、油断大敵だと分かっているはずだったのに。
「あれれ、悠宇さん? こっち来てたんだ!」
 驚いて顔をあげると、公園の入口付近に声の主であるコナンくんがいた。この公園呪われてんちゃうか、と本気で思った。
 その態とらしい言い方にはとても嫌な予感しかしない。

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