推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 53

 すぐにスマホの画面を落としてぎゅっと握り締め、不快感を顔に貼り付けた。一刻も早くこの場を去りたくて、必死に理由を考えながらゆっくりと返事をする。沖矢さんに話した東都に住む進藤という女性像と照らし合わせて頭をフル回転させた。
「……なんですか? まさか私ですか?」
「ええ、もちろん」
「失礼ですが、人違いではありませんか?」
 こんな所をコナンくんに見られようものなら、とゾッとして沖矢さんを拒否する。 一歩身を引くと、二歩距離を詰められていく。
「人違いではありませんよ、進藤さん」
 なんで分かった。
「やはり、あなたのようだ」
 顔に出てしまったらしく、忌々しさに舌打ちをする。このままガラの悪い女でいこう。私の中の藤峰有希子よ目を覚ませ。
「素顔でお会いできて嬉しいです」
 返事をせずとも淡々と話をするこの男は、やはり苦手だった。一歩、また一歩とじわじわ引き下がり、なのに距離は縮まっていくばかり。
「意味が分かりません。人違いですよ」
「ホォー、ではお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「不審者に名乗る名前は持ち合わせてませんので」
 すぐ傍まで近付かれた。
「おっと」
「──っ!」
 薄く開眼して腕をぐいと引かれ、バランスを崩して抱きとめられる形になった。何事かと思う間もなく背後で直進車が勢いよく通り過ぎ、守られたのだと分かってしまった。こんな所で怪我をしそうやったんか、と思うと背筋が凍った。
「そっちは車道だ」
「あ、りがとう、ござぃます……」
 片腕を掴まれたまま胸を押して慌てて距離をとりつつも、もしもを思うと情けなく声が震えた。僅かに出された赤井秀一感に突っ込む余裕もない。
「そんなに怯えないでくれませんか。傷つきます」
 零さんを想った恐怖を自分に向けられたものだと解釈したらしい沖矢さんに少し冷静さを取り戻し、冷たく返した。
「誰が、傷つくんですか。あなたそんなタイプじゃないでしょう」
「そうですね。ご存知の通り」
 掴まれた手の力が緩む気配はない。もう片方の手でスマホを握る手に力が入った。
「……どうして、私がその進藤さんとやらだと?」
「まずは背格好が似ています」
「そんな人は沢山いますよ」
「その人と以前会った時は変装されてましてね……それでもよくよく観察していればほんの僅かに地毛の黒髪が覗いていましたよ」
「そりゃまあ日本人ですから。珍しくもない」
「なので誤魔化せないところを観察して記憶しておいたんですよ。例えば、声」
「口ぶりからするとその進藤さんと会ったのはそう多くはなさそうですが、覚えられるもんですかね。そこまで特徴的ではないと自負していますが」
「この手とか」
 手が沖矢さんの胸元に引かれ、抵抗するが到底力では適わなかった。それもそのはず、相手はFBIなんやから。かと言って助けてと叫んで暴れるのは、例え零さんが近くにいないにしても、見知った顔が、特にコナンくんがうっかり居合わせるリスクを考えればできなかった。事件あるところに探偵あり、の世界だ。
「……そんなに特徴的ではないですよ。この手も」
「それから……そのあまり見かけないメーカーの、スマートフォンとか」
「はぁ?」
 意外な言葉に目を瞬かせ、それからやっと理解して青ざめた。いくらあちら側でもスマホが普及したとは言え、そこそこ長く使っているこのスマホは混ざる前のこちら側のものであることに相違はない。この人たちが意識して見てしまうと、珍しいのだろう。抵抗し続けていた手の力が抜ける。
「おや、降参ですか?」
「……離してください」
「名前を教えてくださったら」
「……分かりました。進藤でいいです」
「ホォー……」
「離してくれるんじゃないんですか、不審者さん」
「そんなことは一言も言っていませんよ」
「揚げ足取りがお好きですね。叫びますよ」
「それは困りますね」
 やっと離された腕をさする。腕時計の方じゃなくて本当に良かったと心から思った。これを他人に触られるのは嫌だ。ましてや赤井秀一である。論外も論外。
 ちらりと赤信号を見て、無言で踵を返した。
「どちらに行かれるのですか? 道を渡ろうとしていたのでしょう」
「用事を思い出したので帰ります」
 早足にも関わらず沖矢さんが着いてくる。ストーカーか。ストーカーだったわ、哀ちゃんの。工藤邸にさっさと帰れ。ハウス!
「用事、ですか」
「ええ、ペットの世話を任されていたので。散歩の時間でした」
「そうですか。良ければお茶でもと思っていたのですが。残念です」
「先程はありがとうございました。失礼します」
 沖矢さんが足を止めたことに安心し、駅に向かった。尾行のの可能性も考慮して遠回りし、トイレでうん掴まれた腕や鞄に発信機がないか確認してからやっと帰路についた。
 前と言い今日と言い、欲張ってしまうと出てくんのかあの野郎は、と心の中で悪態をついた。



 ぐったりと家に辿り着き、まずは玄関で出迎えてくれたハロに癒された。あーまじ可愛い。朝の散歩の時もわふわふしてて可愛かったし、ごはんの待てで食べたいけど必死に我慢をしている様には頬が緩む。一人じゃない家って、こんなに気分が明るくなるか。ちなみに目下の悩みの種である相変わらず執拗い沖矢さんからのペットを知りたがるメッセージは無視している。ハロの写真送るわけないやん阿呆。
 少し元気を取り戻して靴を脱ぎ、リビングに向かう。

「……まじか。やられた」
 絶望して思わずがくりと膝をついた。ハロ、と低い声が出そうになったのを堪える。全ては私が管理を怠ったのが原因なのだ。
 ソファに座らせていたはずなのに、床に転がって無残に汚れ、お腹に大きな噛み傷がついたペンギンちゃんをそっと拾い上げる。何度か発信機を取り出して洗いつつ、少し重くも大切にしていたペンギンちゃんの寿命は唐突に訪れた。
「なんて言おう……」
「アン!」
 絶望する私に、もっと構ってとばかりにハロが太股に体当たりをかましてきた。その頭をガシガシと一度撫でてスマホを取り出す。メールは返ってきていない。溜息をついてトーク画面に切り替えた。
『ハロによってペンギンちゃんが非業の死を遂げました』
 ちゃうな、いつものテンションで入力してしまった。文字を消してカメラに切り替え、しっぽを振るハロを苦々しい思いで見ながら、その姿とペンギンちゃんを撮影する。
『本当にごめんなさい。やられました』
 送信、削除、削除。気軽なアプリでの連絡がほとんどを占めるようになってはいるが、零さんに送る個人情報や食べ物以外の写真は専ら未だにメールを使っている。



 一時間後に電話がかかってきた。
「ごめんなさい!」
 零さんが言葉を発する前にまずは謝罪をした。
「ぷっ、はは、やられたなあ」
 途端に吹き出して、愉快そうな声が返ってきたのは意外だった。
「僕も最初に似たようなことをやられたんだ。骨型のおもちゃを与えてから大人しくなっていたから、すっかり忘れていたよ。向こうに置きっぱなしだったな」
「そうなんや……」
「ついこの前もセロリの苗を食べられたよ」
「やんちゃやな」
 零さんの時も家庭菜園を荒らすとはなんて怖いもの知らずなんや、ハロ。
「ああ。それでてっきりセロリが好きなんだと思ってあげたんだが、苦手だったらしくて吹き出してた」
 くすくすと零さんが笑っている。
「食べる前に匂いで気付かへんのか。野生の血はどこいったんや」
「家出だな」
「いやむしろ出家」
 零さんが吹き出して、怒られるのを覚悟してたのに今日は随分と機嫌がいいなあ、と首を傾げた。
「毛刈りされたハロを想像したじゃないか」
 そう言ってから咳払いをして、話を戻す。
「ストラップも随分長く大切にしてくれたし、そういう時期だったんだろう。悪いがペットショップでおもちゃを買ってきてくれないか。被害が増えるとさすがに困る」
「おっけー任せて」
「帰ったらハロには調教が必要だな……。あまり叱ってないんじゃないか?」
「今回は私の管理不足でもあるし。だけって言うとアレやけど被害それだけやからな。ペンギンちゃん……というか、中身どうしたらいい? 新しいの持っといた方がええよな」
「全く、本当にそういう所は理解が早くて助かるよ。風見に用意をさせるから連絡を待っていてくれ。……ダメだな、発信機を持ちたがっているみたいで調子が狂う」
 あはは、と今度は私が笑った。
「実際そうなんやけど、普通は仕掛けるもんやもんなあ」
 言ってしまった直後に、普通は身近にないことに気付いた。「ついでに盗聴器もつけとく?」とおどけて付け加える。サイレントでオプションつけられるより知っていた方がよっぽどいい。
「君にプライバシーの概念はないのか。僕が言うのも何だが、こういうのに慣れないでくれ」
「大丈夫、零さん意外に仕掛けられるのはぜーったい、嫌やから!」
 呆れ声に慌て、コナンくん思い浮かべて力説する。心配だな、と零さんが苦笑いした。解せぬ。
「あくまで非常事態用の発信機だ。それ以上の機能を付けて、君が誰かのプライバシーを気遣って置いてどこかにいかれるよりずっといい」
 実はペンギンちゃんを置いて出かけた二回を知ってるんじゃないかと疑った。それとも、そんなに行動パターンが読まれているのか。こういうことは初めてではないけれど、後ろめたいだけに引っかかってしまってうまく返事ができなかった。
「悠宇?」
「んや、よく分かってるなあと。りょーかい、発信機オンリーやな」
「形態は何か希望があるか?」
「んー、今ならスマホにつけなくてもアプリでいけへん? となると、スマホない時に持ってるもんか。仕事中ならボールペンとかやけど……難しいな」
「いや、それで手配しよう。明日の夜には戻れそうだから、スマホの設定はその時にさせてもらうよ」
「分かった。言ったと思うけど月曜半休取っとるから遅くなっても大丈夫やし、無理せんといてな」
「ああ」

 通話を終えてから、散歩ついでにおもちゃを買いに行った。家に帰ると風見さんからメールが届いていて、個人的な要件のはずの仕事の早さに申し訳なくなった。
 明日の梓ちゃんとのデートの前に新しいものを受け取ることで話がまとまり、エネルギーの消耗の激しい一日を終えた。

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