推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 52

 私は未だに安室透の家がどこにあるのか知らされていない。知ることを好まれていないのだろう、とこちらから聞くこともしていない。なので公園での受け渡しを予定していた。
 しかし金曜の夜に東都に向かう新幹線の中でメッセージを受信し、予定変更となった。予定より早く出ることになったからハロを本宅に置いていくからあとは頼む、ということらしい。落胆しなかったと言えば嘘になるが、そんなもんやろうなと納得している。

 駅から歩いてこっちの家に辿り着いた。玄関をあけるなりハロのお出迎えで驚く。初めての場所と初対面の人間とで警戒している様子だ。
「ハロ、初めまして」
 靴を脱いで屈んで近付くと、リビングに逃げられてしまった。あの零さんを何度も付け回してペットの座を手に入れたというんやから、もっと人懐こいのかと思ったけど。

 距離を取るハロを意識しながらも注視はせずソファに鞄を置いて、鞄入れたペットボトルの水を冷蔵庫に入れた。今日の餌はもう与えてあるらしいし、どうしようかなあ。部屋の隅で立ち、少し怯えた様子でこちらを見ている。
 テーブルの上には、ハロを頼むというメモにいつも通り数字のゼロのサイン。
 頭をかいて、ソファに座って鞄からスマホを取り出した。揺れるペンギンちゃんにピクリと反応するが、それ以外の反応は変わらない。マーキングする動物やし他の動物の匂いでもすれば嫌がるやろうけど、唸って警戒といった様子ではない。単にこの部屋に慣れていないだけか、それにしてはこちらを見ているし。
「えーと、犬が嫌うものは……と」
 調べてみると、煙草、お酢、柑橘、アルコールや薬品の匂いなんかが嫌いらしい。特に何もしていないから、行動ではないはず。新幹線では隣のおじさんが何杯もビールを飲んでいたけれど、その程度だ。香水も付けていないし、柑橘類も今日は食べていない。
「病院の匂いでも残ってんのかなあ」
 自分の匂いを嗅いでみたがさっぱり分からん。
「ハロー」
 ピクリと反応するが、やはり変わらない。
「ハロちゃーん」
 よし、一旦シャワー浴びよう。



 ふと思い立って、零さんのシャンプーとコンディショナーを借りてみた。石鹸は大阪のものと違うが、それはいつもの事だし。これで少しは警戒心が薄れてくれるといいんやけどなあ。
 
 髪を乾かしてリビングに戻るとハロから少し怯えが薄れていたことに気付いたが無理に構うことなく、紅茶ではなく緑茶を入れた。
 ソファで緑茶を飲みつつハロを視界の端で捉えながらもスマホを触っていると、ハロが少しずつ近寄ってきた。寝そべって肘掛けから手をぶらりと投げ出してやると、指先の匂いをふんふんと嗅ぎ始めたので視線を合わせる。
「ハロ」
 優しく呼んでみたが、逃げる気配はない。やっぱり匂いやったかあ、と揺れる尻尾を見ながら独りごちた。
 肘掛を軸にソファからカーペットに移動してハロと視線を合わせる。
「おいでー」
 てこてこと近付いてきたハロの顎の下を擽ってやる。
「アン!」
 元気な鳴き声に何とかなりそうやな、と明るい気持ちになれた。

 懐いてくれた証拠としてハロを抱いて自撮りを零さんに送り付け、明日三井くんに会うことを少し気がかりに思いながら眠りについた。



「ハロ、夕方には戻るからいい子に待っててな」
 玄関先まで着いてきてくれたハロの首元をわしゃわしゃと撫で、昼過ぎに家を出た。待ち合わせは新宿のレンタルスペース現地集合である。申し訳なく思いながらも万が一の盗聴器の可能性を考慮してペンギンちゃんを置き去りにして、ジーパンに白いブラウス、ボディバッグという身軽な服装で汗ばむ陽気の中歩いて駅に向かった。

 建物の前に着いたが、三井くんの姿はまだない。スマホを見ると、沖矢さんからのメッセージ以外に通知はなかった。既読をつけないため長押しして見てみると、今読んでいる本と今週末の予定を尋ねる謎な組み合わせの内容で、冷たい目で画面を見た。
「早いな」
「あ」
 声をかけられたことで既読をつけてしまったが、既読スルーも大して珍しいことでもないのでそのままスマホをポケットに突っ込んだ。
「三井くん」
「よお」
「あー、この前はごめん」
「それも含めて中でじっくり話そか」
「はあい」

 前回よりも手狭で二つだけの椅子と机が並ぶ部屋だった。新宿という立地だからだろうか、と私が考えるが傍ら三井くんが前回同様部屋のチェックをした。
「問題なさそうや」
「ありがと」
 向かい合って椅子に座る。零さんのことを話すべきか決められない以上、私の苦手な探り合いが始まるのだ。
「で、だ」
 真顔で三井くんが腕組をして、部屋も相まって取調べを受けているような気分になってまずは謝罪をする。
「ポアロ通い黙っててごめんなさい!」
「……あの流れて言い出しにくかったのは分かった。大方いてもたってもいられなくて米花町に行ったはいいけど、原作前でなんもなかったからとりあえず事務所の下に行ったとかやろ」
「ハイ」
「で、梓さんが可愛くて仲良くなってしまって通いつつ原作の進行具合をチェックしてる、と」
「大体あってる。よく分かるな」
「分かりやすいからな。ほんま相変わらずああいう笑顔の可愛い女子好きやな」
 女好き扱いされた。
「サミットのあの爆発、あれやっぱ映画やろ? 観てなくて細部は分からんけど、タイミング的に安室の女量産したやつかな」
「大正解」
 三井くんの頭の回転の早さには感心する。
「ずっとこっちにおったんやろ。無事みたいやけど確認や。何もしてへんよな?」
「やれることがそもそもないわ」
 足掻いたことは言うまい。
「そうか。ならいい」
 表情を少し緩めて腕組を解いた。
「聞いてもいい?」
「おう、答えられかは知らんけどな」
「三井くんだった時の期間って、どんくらいなん? そん時も原作前やんな。季節が飛ぶのを、知ってた理由は?」
「質問で返して悪いけど……工藤新一は俺の時既に存在していた。じゃあ、進藤さんが誰かとコナンの話を最後にしたのって、いつ?」
 言われてみれば、その期間は私が知っているはずがない。
「……東都に気付く、一ヶ月前かそのくらい?」
「そう。それが俺の期間」
「……たったそれだけ?」
「うん。ただし俺の中では、俺の世界では一年くらいかな」
「なんでまたそんなことに」
「あの時点でまじ快とコナン混ざりかけてたんじゃないかと思っとる。だから時間もおかしくなってた、ってのは推測の域はから出えへんけどな」
「……『核』が揺らいでおかしくなっとる?」
「ああ、可能性はある。もっとファンタジーのそういう世界を通ってきてるからな。多分最初はなんからの高エネルギー体で、それがどっかで形になった。で、今回のは世界を跨ぐ特殊空間だったからその構築なんかに時間がかかったんじゃねえかってな」
「……なるほど」
「だからこそ進藤さんの今は作りかけたコナンの世界になった、ってのは完全に俺の予想やな」
「うーん……『核』完全な存在じゃないなら、もしかして、この世界をこのままにしておける?」
 抜け穴が、ある。見出された希望にどくどくと胸が鳴る。
 その突っ込んだ問いに少し悩んで、三井くんが首を縦に振った。
「……完全に元に戻すのは無理でも、維持するのは、正直原作が終われば可能だと思っとる」
「そっか。……干渉って、どっからなん」
「直球やな。関わるなって、言ったやろ」
 途端に目を細めて低い声になった三井くんに、負けじとそれらしい理由をぶつける。私を心配してなのだろうと分かってはいても、引くことはできへん。
「既に梓ちゃんと親しくなったんは知っとるやろ。コナンくんに、主人公にまでばっちり認識それとるし」
「……」
「今後を思えばボーダーラインは知っておきたい」
 深く息を吸って、言葉を続ける。
「三井くんは小泉紅子と親しかった。だから弾かれた?」
「ノー、だな」
 少し個人的な話にまで踏み込んだ質問にも三井くんは淡々と答えた。
「主人公や主要人物に接触することは問題ない」
「そう」
 その後の少しの沈黙から、説明してはくれないらしいと分かり、質問を重ねた。
「原作中の人の生死に関わればアウト?」
「アウト」
「そのまま物語から退場させたとしても?」
 探る目付きで三井くんが答える。
「アウト」
「メインストーリーに関わる人間でなくても?」
「所謂モブってことか。人がバタバタ死ぬタイプは知る限り初やから、そこまではなんとも」
「黒よりのグレーってとこか」
「そうなるかな」
「例えば私が病院で診たのが登場人物だったら、とか」
「物語に影響しないなら問題ないだろ。治療するのが進藤さんかモブかの違い。大丈夫だ」
「まだ知り得ない情報を教えるのもアウト?」
「アウト」
「それってどこから? 例えば蘭ちゃんにコナンくんの正体教えるんはアウト、とかそらそうやろと思う。ミステリー要素の方に関わるんは危険や。なら、例えば平次くんと和葉ちゃんのキューピットしたとするやん? いつかはくっつくけど早まった、これもアウト?」
「ああ。それによる他への影響も考えられるし。そんなことがあればやけど、逆にタイミングを遅らせるのもアウトだろうな。……まさか、そっちとも関わったんか」
「そやねん、実はな。大阪やからか、一回目は図書館でばったりと。その後もポアロで一回事件に出くわしたけど身の危険なし。ってことは原作の場面にいるのは問題ないってことでいいんやんな」
「ああ、話を捻じ曲げなきゃな」
 諦めた様子で溜息をつき、三井くんが言った。
「正しい世界からすれば、俺らはモブみたいなもんや。存在するけど、例えば警察官、例えば常連、そういう記号の域を出ない人間」
「生きてりゃ関わることもあるし、けど、知らないはずのことを知ってるとバレたり、死ぬ人間を救って物語ってやつを変えちまえば弾かれる。そんで『核』は次の宿主を探す」
「なんか生きてるみたいな言い方やな」
「意識があるんじゃないかとは思っとる。防衛本能程度かもやけどな」
 軽い気持ちで言ったにも関わらず、想定外の肯定ににきょとりとした。
「紗知と紅子と話をしてたんだが……寄生されてる感覚なんだよ。だから宿主、つまり俺らが瀕死になったら慌てて、生き返ったらエネルギーが回復して、次に行く」
「……なるほど、辻褄は合うな」
「合わせただけって可能性もあるけどな、魔女の力まで借りてる分この仮説を信じたいとは思ってるんだ」
「正直、そんなことまで教えてくれるとは思わんかったわ」
「進藤さんが特にキャラクターに関わってないなら、全てを話す必要はないと考えとったからな」
「ふうん?」
「大阪におって危ない目に合わんのならそれで事足りるし、気負う必要もなくなるからな」
「……まあ、そうっちゃそうなんやろうけど」
「この世界なら、『核』のサイクルから脱することができると思ってるんだ」
「できるん!?」
 つい声が大きくなり、三井くんは重々しく頷いた。
「寄生だとしたら、『核』が最後に変遷するエネルギーやきっかけを与えなきゃいい。消滅させればいい。──宿主が死ぬ、それが魔女の言う条件やからな」
「……死ぬ」
「死ぬって言っても、老衰が理想やな。物語が終われば弾かれることもないんやし、可能な範囲やろ」
「た、確かに……」
「幸いにして、比較的早く物語が終わる世界線やしな。そもそも論としてストーリー性があるから終わりはあるし、かと言って世代交代を挟むような話でもないからな」
「言われてみれば……」
 三井くんが予想以上に情報をまとめて理を推測していたことに唖然とした。
「関わらんのなら無駄に気揉みせんと、家庭に入ったんやし、そのまま旦那と幸せに暮らしてくれたらいい。せやけど、思ったより関わっとったからな」
「心配かけてごめん」
「こっちこそ、巻き込んでごめん」
 そう言って、眉根を寄せた三井くんが気まずそうに私から視線を逸らした。
「んーん、おかげで梓ちゃんと友達になれたり、幸せに生きとるから」
 それに零さんに会えた。こんなに尽くせる人に、出会えたんやから。
「それでも」
 三井くんがつらそうにこっちを見るので、静かに言葉を返す。
「いいの。そやから……私の幸せまで、否定せんといてな」
 そこまで言ってしまうと、三井くんはっとした。
「ありがとう。巻き込んでくれて」
 黒い双眸が揺らぐ。何かを言いかけるように口を薄く開いて、またきゅっと閉じた。妙に長く感じたがきっと沈黙はほんの十秒程度で、さんきゅ、と小さく三井くんが微笑んだ。

 話し合って、三井くんはキッド担当なのを継続して、私のポアロ通いも公認になった。代わりと言っては何だけど、東都に来る時には、あるいは三井くんが大阪に戻ってくる時には三十分でもこうやって時間を取って、近況報告をすることを約束した。
 そこからは、三井くんに尋ねられて私が関わった梓ちゃんとコナンくんと平次くんのことを簡単に話した。沖矢さんのことは怒られそうで言い出せなくて、次は言おう、と心に決めた。三井くんも、コナンくんとどの事件でどの程度関わったのか話をしてくれた。どうにもやはりキッド関係では度々顔を合わせるらしい。細部を説明する前に、結局今回もまた三井くんが呼び出しを食らってしまった。さすがは東都、メインはキッド担当と言えど手が足りず掛け持ち状態らしい。

 またな、と言って別れてから駅に向かいながら話を反芻するうちに、結局三井くんが弾かれた理由を聞いていないことを思い出したがもう手遅れだった。まあ、次があるしいいか。聡明な三井くんが言わなかったのはおそらく意図的で、結局私だって零さんのことを言い出せなかったんやからその点はお相子や、と考え直した。



 予定より早く出たことで時間に余裕ができたので、ハロを返す時を想定して米花町にいくつかある公園とその周囲の下見をすることにした。横断歩道で渡る直前に赤になってしまったので大人しく立ち止まる。目の前を横切るのは優先道路なのでしばらくかかるだろう、と零さんからの返事は来ていないかなとスマホを取り出した。
「おや、お久しぶりですね」
「──!?」
 別方向の横断歩道を渡ってきた男の声に固まる。しまった、油断してた。
「どうして返事をしてくれないんですか?」

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