推しに尽くしたい話 | ナノ


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 夜の筋トレ中に脇に置いていたスマホが着信を知らせた。
「もしもし?」
「僕だ」
 数日ぶりの声に心が安らぐのを感じながら、ヘッドセットを求めて立ち上がった。
「うん。どうしたん?」
「悠宇は犬好きだったよな」
「好きやけど」
 遂にきたな、と確信した。
「その……ほっとけなくて、野良犬を拾ってしまったんだ……」
 珍しい気まずそうな声に、少し笑いそうになった。
「飼うんや。ふふ、零さんを射止めた子かあ。会いたいなあ」
「いいのか」
「もう飼うつもりなってるんやろ? マンション的には大丈夫なん? あとワクチンとかも行かなあかんか。それと……あ、もし長期で家空けるならなんならワンちゃんの面倒みるし」
「大丈夫だ。ペット可の物件だし、ワクチンも明日一回目に行くつもりだ。そりゃ休日たまにこっちに来てくれると助かるが、無理はしなくていい」
「困らへん?」
「最悪風見に頼むさ」
「一旦私に言ってな」
 お願いやから仕事増やさないであげて。いや、案外風見さんなら頼られたと喜ぶかもしれへん。零さん信者多くないか、と思ったけどこんな素敵な人なんやから世の理やった。
「ヘッドセットに切り替えるから一瞬待って」
「ああ」
 右耳に付けてハンズフリーにして「おっけー」と声をかけ、床に敷いたマットの上に戻った。
「今一緒におるん?」
「ああ、隣で寝てるよ」
 言い方にドヤ顔を想像してひっそり笑いつつ、足をあげて軽いトレーニングを開始する。こうやって、何かをしながら少しの時間でも通話をするようになったんはいつからやっけ。零さんが運転中だったり、料理中だったり。そんなのが何度かあって、気遣われないようお互い様にしてみようか、と私も自分の作業をしながら話してみることが少しずつ増えた。たとえその時間が短くとも、高頻度で零さんの存在を確認する日常というものはとても幸せなことだ。もちろん、今でもしばらく連絡が取れない時はあるけど。
「名前決めたん?」
「いや、まだ」
「決めたら教えてな。零さんのセンスに期待してる」
「ハードル上げないでくれ」
 そう言いながらも、声は楽しそうだ。
「えー、本名も偽名も素敵やん、その流れでならいけるって」
「本名って……それは僕のセンスじゃないだろう」
「でもいいやん、零って名前。静かに降る雨って意味やろ? すごい綺麗やん。恵みの雨って感じもする。あとは漢字の印象からやと全ての始まりのゼロ、とか。無限の可能性を感じるやんな、ふふ、この辺りは名は体をあらわすってことなんかな」
 そこまで言って、ああでも、と話を区切って声をワントーン下げて「零さんって爽やかな見た目してるけど情に厚いからなあ」と続けた。ほんま、全部背負い込むタイプ。私は未だに、この人から過去を知らされていない。お互い過去も秘密もあって、でも今を生きてる。
「はは、照れるな」
 笑う零さんの声音からは微塵も照れが感じられなかった。
「ほんまにぃ?」
「本当に。名前ひとつでそこまで褒められることはなかなかないぞ。それに実際ゼロってあだ名で呼ばれてたんだ」
 表情は見えないけれど、声は明るい。
「かっこいい。私もゼロって呼んでみようかな」
 そう明るく返しながらも過去形やんなあ、と複雑な思いになった。電話で良かった。会ってたら、また零さんに気を使わせてしまう。
「今から変わると違和感しかないなあ」
「えー、ゼロくんのけち」
 僕のコードネームはバーボンです、より百倍ましやろ。ついでに言えば二十九歳あむぴもなかなかである。
「……。……いや、やっぱりなしだな」
「今悩んだやろ」
 カラリと笑いながらも眉を顰めた。ゼロの呼び名から即親友の死を浮かべるから少しでも上書きして紛れればいいのに、と思ったけど失敗したらしい。やはり差し出がましかったか。二度とやらぬと心に誓った。
「そうだ、梅しそつくねときんぴら食べたよ。うまかった」
「えっほんまに?」
「毎回なんでそこを疑うんだ。いつも美味しいよ。それに本宅に帰れる時は時間にゆとりがないことが多いからから、あって助かったんだ」
「よかったあ……」
 フォトウェディング以来、私の手作りでも食べられるのではと判断し、料理を遠慮しなくなって作り置きサイクルを東都まで延長して少し。やっと日の目を見たと知って嬉しくなった。ちなみに東都の分は本当にダメになる前に行って自分で食べて次なる常備菜を作るエコ政策であったが、その前に目的を達したらしい。二、三週間ごとの東都訪問などという計画は今まで通り月一程度でいいか、という結論になりそうやなと頭の片隅で考えた。
「また作ってくれるか?」
 喉を鳴らせて笑いながら零さんが言った。
「もちろんやでっ、と」
 弾みをつけて起き上がり、今度はうつ伏せになる。あかん、めちゃめちゃ嬉しい。にやけている自覚がある。
「筋トレ中か」
「うん。分かっちゃったかー。ストレッチ程度やけどな」
 何気無さを装いつつ返事をして、伸ばした足を上げる。
「そういう時間だなとは思っていたさ」
「やっぱ実はこの部屋に」
「監視カメラはついてないぞ。それともお望みならつけようか?」
「きゃー零さんのえっちぃ」
 全力の棒読みである。当然、零さんが必要と判断したならつけたらいいと思っている。ん、と息を吐いて足を下ろす。
「……」
「あれ、零さん?」
 ノーリアクションは悲しいんやけど。傷ついた。
「ああ、いや、犬が起きかけただけだ」
「ありゃ、話し声うるさかったかなあ」
「大丈夫だ。また眠ったよ」
「そかそか」
 ふとした沈黙を破ったのは、零さんによる意外な話題だった。
「少し話を戻すけど。僕をゼロって呼んでたのはヒロ……親友なんだ」
「……うん」
 ごろりと寝転がったまま静かに相槌を打った。
「もういなくなってしまったけど……幼馴染で、警察学校までずっと一緒だったんだ。所属に多少違いはあれど同じ公安で、他のやつらとは連絡を経つことになってしまったが、ヒロだけは違ったんだ」
 言葉を選ぶようにゆっくり話を始めたが、親友との出会いや学生時代のエピソードを話すうちにどんどん饒舌ないつものペースになっていった。警察学校の話もした。親しかった人を挙げつつも、その死に関しては触れなかった。私は驚いたり笑ったり、相槌に徹した。守秘義務からか公安での事、特に潜入捜査のことは当たり障りないことも全くと言っていい程話さなかったし、当然聞かなかった。話したくなるまで、 話せる状態になるまで尋ねるなんてことはできない。それでも死んでさえいなければ、もっと心置き無く笑える、そんな話ばかりだった。この人は言葉にして受け止めて立ち直ろうとしつつも、まだ立ち直りきってはいないのだろうなと感じた。
「……ああ、悪い。喋りすぎたかな」
「全然! 零さんの話聞けてめっちゃ嬉しいで。ギターも弾けるとはちらっと言っとったけど……あれ、でも家にないやんな」
「こっちの家に置いてるんだ」
「なるほど。聞きたかったけどしばらくお預けやな」
「はは、ガッカリされないようにそれまでにしっかり練習しておかないとな。最近そんなに触れてないんだ」
「絶対大丈夫やろ。保証する」
「聴いた事ないのに?」
「うん! だって零さんやもん」
「下手だったらどうするんだ?」
「想像できへんけど……仮にそうやとして、それはそれでにやけてまうなあ」
「え?」
「だってそういうところ見られるのって特権って感じせーへん?」
 ギャップ萌え最高、などと馬鹿正直に言えるはずもなくマイルドな表現を探した。
「零さん負けず嫌いやからなんでも頑張るし、できるようになっちゃうけど。できないことがあってもいいと思うんよなあ」
「負けず嫌いなのも努力家なのも君のことだろう」
「そんなことないんやけど……もしそうやったら」
 似た者夫婦やな、と言いかけたが基本スペックが違いすぎて言葉を飲み込んだ。あかんな、零さんの隣を許されたことで驕りが出てきてしまった自分に愕然とした。
「そうだったら?」
 半端に言葉を途切れさせた私に優しい声で続きを促す。
「あ、いや……お揃いって嬉しいなって」
 声を立てて零さんが笑った。



 その三週間後になる週末、ハロと名付けられた降谷家のペットに会うべく東都を訪れることとなった。この三週間、相変わらず沖矢さんとの特に意味を感じない、意図が分からないやり取りは続いていて、面倒になって沖矢さんからのメッセージだけ通知を切った。時々楽しい会話はあれど、圧倒的に気疲れの方が大きい。
 今回の目的はハロと三井くんに会うことだ。それから梓ちゃんとデートする。ハロちゃんを引き受ける一瞬だけ零さんに会えるはず、と少なからず浮かれてしまっていた。

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