推しに尽くしたい話 | ナノ


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 明日からの勤務に備えてあとは眠るだけという中、片耳だけのヘッドセットをつけてソファに転がっている。通話の相手は梓ちゃんだ。
「ほんまにごめんって」
 何度目か分からない謝罪をしながら「神棚」の方へ視線を送った。あの写真は絶対に見せられへんな。もし人が来る時があれば、恥を忍んで写真を自分のピン写に変えようと決意した。ありがとう斎藤さん。できる部下やな。
 一年前に以前から付き合っていた人と籍を入れたこと、遠いところにいて数ヶ月に一度程度しか会えない人なだけに言い出しにくかったこと、実際結婚後半年会えなかったこと、関係性をはっきりさせるために籍だけ入れたことをなんとか説明した。両親の勘違いのように政略結婚だなんだと理由づけをしたり、はたまた全く別人の話をすることもできたのだが、大好きな梓ちゃんにたくさんの嘘で塗り固めた話をすることはできなかった。でも話さなかったことを悲しんで、よく分からない相手で心配してくれているのに何も話さないこともできない。そのくらいには私の中で大きな存在になっていた。
「結婚式には呼んでくださいね」
「もちろん! いつになるか、挙げられるかも分からんけど、その時は絶対呼ぶ」
「だって迎えに来てくれるんですよね? そしたは挙式するんですよね?」
「そう言ってくれとるよ」
「なら期待してます」
 強くて、優しくて、なんでもできて、でもどこか淋しくて、支えたい人なのだと話をした。腕時計が贈り物であることは見抜かれていたし、指輪はちゃんと二人で暮らせるようになってからだとも言った。本人にも言っていないが人命救助の時に助けてもらった時に好意を抱いたこと、その時落としたスマホを拾ってもらったことがきっかけで連絡先を交換したという馴れ初め、付き合うことになるなどとは微塵も思っていなかった裏事情、果ては必ず迎えに来るから籍を入れたいというプロポーズの言葉まで洗いざらい吐かされた。そこまで話をして、やっといい人だと納得してくれたのだ。誰にも言っていないことを話して、絶対誰にも言わないでという口止めもしている。きゃーきゃーとテンション高く話を聞く梓ちゃんだが、口の堅さという点は信頼している。もちろんそれでも、歳上だからさん付けで呼んでいるのだとだけ説明して名前は恥じらいという体で最後まで言わなかった。
 一方で、高身長のマッチョで日本人気質だと話をしたところ、ゴリゴリの武士のような人物像を描いてくれたのでミスリードには成功した。これで零さんには、同僚の安室透には辿り着くことはないだろう。おまけに、遠いところにいるということから海外だと思ってくれており、前会ったのは東都だと吐かされたことも帰国の関係なのだと解釈してくれたし、私も否定しなかった。こうして梓ちゃんの中で私の夫の実際とは異なる人物像が無事構築された。これで仮に、事件など不慮の事態やコナンくんの巧みな話術で何かを漏らすことがあっても零さんには辿り着かないだろう、と安堵した。まあ、梓ちゃんのことだからそんな事態になる時は私に何かあった時だけやろうけど。
「あーあ、私結構敏感な方だと思ってたんだけどなあ」
「何が?」
「安室さんですよ! てっきりいい感じなんだと思ってました」
 はは、と乾いた笑い声になった。
「悠宇さんを託すようなことまで言ったのに……見当違いでした」
「えー、なにそれ?」
 ああもう恥ずかしい、と笑いながら梓ちゃんは話を始めた。
「あの時ですよ、ポアロで事件があった時。安室さんも妙にいい顔で任せてくださいなんて頷くから、ああこれはいつか完全にもっていかれちゃうなあと確信してたんですよね」
「──っ!?」
 声が出ず、ぴしりと固まる。
「安室さん暇ができるとすぐ悠宇さん構いに行くし、時々ふと話題に上がると絶対食いつくし、お二人の会話のテンポいいし楽しそうだし。私の方が先なのに! みたいな? だから警戒もしてたんですけど。ほら、イケメンだし優しいし器用だし物知りだし、でもすぐシフトすっぽかすし飛び出すし探偵だし経歴謎だしちょっと得体の知れないところあるから、もしも騙されちゃったらどうしようかと。それに炎上も怖いじゃないですか。いえ、安室さんを信じてないわけじゃないですよ。うまくやってくれるんだろうとは想像できるし……って、聞いてます?」
「……ああ、うん、聞いてる」
 どうしよう、めちゃめちゃ恥ずかしい。項垂れてソファに沈んで話を聞いた。いや恥ずかしいなんてもんちゃう。まじか、もしかしてあれ、あの日のあれ、勘違いなのでは? そうやとしたら完全に独り相撲やん。穴があったら入りたい。ごめん零さん。ごめんコナンくん。ごめん梓ちゃん。
「……あの人のことよく見てるんやなあ」
「そりゃあ同僚ですから」
 やっぱり侮れへんな、この子は。
「あ、これ旦那さんに失礼ですよね。内緒にしてください」
「任せろ」
 むくりと体を起こして答えた。
「ちなみに私の事旦那さんに話してたりします?」
「お気に入りの店の可愛い看板娘って言ってる。ポアロ通いは公認」
「きゃ、ありがとうございます」
「即ちデートも公認なのです」
「旦那さん話の分かる人ですね! 次のデートいつにします? どこ行きます?」
「そうやな、ショッピングしたい。最近あんま服買ってないわ」
「仕方ないですねえ、私がコーディネートしてあげます!」
「よっしゃ! ああでも、ピクニックもいいなあ」
「日によってはアリですね。そろそろ暑くなっちゃうかなあ。あとは遊園地とか?」
「トロピカルランド? ネズミの方?」
「大阪でもいいですよ」
「ユニバね」
「です」
 やっと話が零さんから移り変わり、ほっと息をついた。
「その時は安室さんにシフト変わってもらわないと。今度こそすっぽかすなんて許さないんだから」
「あはは、あの人も大変やなあ」
「あれ? あーそっかあ」
「なになに、どしたの」
 一人で納得した梓ちゃんに何事かと尋ねた。そんな妙なことを言ったつもりは無いから、今までの会話のどこに引っかかたのやら。
「悠宇さん、安室さんのこと名前で呼んだことないですよね」
 ひゅ、と喉が鳴る。ほんまにこの子は恐ろしい。
「なーんか違和感あると思ってたんですよ。すっきりしました! んん、てことは実は安室さんのこと苦手だったりします? 他の人と対応違う気がしたのそういうこと? やだ、私しょっちゅう安室さんの話しちゃってた」
「……いや、全然そんなことないで。最初ちょっと距離感測りかねてただけ。同年代の人に最初っから名前で呼ばれたら迷わへん?」
 さらっと一般論に話をすり替えて会話を続ける。
「確かにそうかも」
「やろ?」
「だからってもしも悠宇さんが透さんって呼んでたら……違和感ありますね」
「違和感しかない」
 くすくすと笑い合いつつ、危なかった、と梓ちゃんには見えない冷や汗を拭った。
「ところでアイコンどうしたんです? 青空、綺麗だったのに……」
「ああ、あれ? 撮った人が罪を犯しちゃったから、なんかね」
 もちろん撮影者は私であるがそこは口を慎んだ。これで深くは突っ込まれないだろう。
「それは気分的に……」
「それで初心に返ってみた」
「初心すぎます」
「いい写真ないんやもん」
「次のデートで私がカメラマンになります! 映えを狙いますよ! お客さんの勧めで最近の加工アプリ入れたんですよね」
「ふふ、それは頼もしいなあ」
 私の友達可愛すぎへん?

 梓ちゃんとの長電話を終えてスマホを見ると、三井くんからメッセージが来ていることに気付いた。ほんまに今日は盛りだくさんやな、と気疲れで倒れたままトーク画面を開いた。
『お疲れ。しばらく忙しそうやから大阪帰るんは厳しそうやわ。悪いけど、来月もこっち来るならそん時声掛けてもらっていい?』
 月一ペースの東都訪問が完全に伝わってしまっていて撃沈した。それでも、誰に見られるか分からない文面や、盗聴祭りで誰に聞かれるか分かったもんじゃない空間ではおいそれとその話をしない、というスタンスはやはり継続しているらしい。同時に、東都で介入しうることへの牽制だろう。ポアロ通いが、サミット期間の東都滞在が露見した今、メッセージで何もしないと言ったところで信用など得られないだろう。でも三井くんがコナンくんと親しげだったことを思い出しすと、言ってないことがあるという点ではお相子だ。しかしそれはお互い悪気があってではないし、それどころか誰かを気遣ってなのだろうということは推測がついただけに、困り果てた。
 どうやったらうまくいくんやろう。そもそもうまくって何。了解、と軽く返事をして画面を落とした。
「あー」
 あかん、疲れた。明日から仕事やし、考えるのは今ちゃうな。次まで悩む時間はあるんやから。
 沖矢さんは未読スルーしておいた。どんどん無駄な会話内容になっている。暇なんか。あっ隣の幼女監視するのに忙しいって?



 翌日の出勤はいつも通りだった。東京土産を配り、梓ちゃんのアイデアをお借りして帰国した夫と東京で会ってきたという振る舞いを心掛けた。申請していない休暇も、問題なく通っているらしいと確認が取れた。終わらない一年の兼ね合いで時々事務員さんに残りの有給休暇を尋ねるのだが、今回もまた足りているらしい。もしも足りなかったらそれはそれで給料が減るだけで必要に応じて休むけど。あかん、ただでさえ家賃で頼ってるのにうちの家計にダメージが、と申し訳なく思った。RX−7の修理費用考えれば誤差やと私の中の悪魔が囁くが、二人してそんなんでどうする。そもそもあれは経費かもしれへんやろ。知らんけど。
 事務員さんにいつも助かってます、とちょっといいお土産を渡して尋ねたのだが、その際にちゃっかりしてるんかうっかりしてるんか分からへんな、と笑われてしまったが苦笑いするしかない。この事務員さんは職務上降谷という名前を最も目にする人なので、地味に職場で一番警戒している対象だ。愛想を振りまくに限る。狡いとか言うな、あむぴだってすぐ毛利先生に差し入れするやろ、と自分に弁明した。
 業務自体も前の出勤から変わった所もなく、連休明けで患者が多くて慌ただしかったくらいのことだった。
 昼休みに沖矢さんからのメッセージをチラ見し、そのまま既読スルーにしておいた。
『よく煮物を作るのですが、そろそろ暑くなってきました』
 知るか。

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