推しに尽くしたい話 | ナノ


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 ソファで梅昆布茶を飲んでいると、シャワーを浴びたスウェット姿の零さんがリビングに戻ってきた。髪は濡れたままで、首にタオルをかけている。寝る時は裸とか言っていたのにな、と思ってから傷を見せないためか。
「明日はポアロにおいで」
「え、出勤すんの!?」
「ああ、ランチタイムからだけどな。ついでに毛利先生に差し入れしようかな」
「……まじか」
 元々のテロを想定していない時点でのシフトなのか、解決の目処が立っていない時のコナンくんの周りにいるためのシフトなのか、巻き込んだお詫びとしての……ちゃうな、毛利先生を心配する弟子としての行動をアピールするためか。肩の怪我は見えないところやからって、なかったことにする気か。
「……一番弟子やっけ? 梓ちゃんが言ってたなあ」
「そう、それ」
「そっかー。ね、零さん、髪乾かしていい? やってみたい!」
「……ああ、ドライヤー取ってくる」

 私はソファに座ったまま、零さんの少し癖のある明るい髪を丁寧に乾かしていく。首を晒して私に全てを預けてくれていると分かる瞬間は無性に嬉しくて、零さんの視界に入らないのをいいことにニヤけた。

「零さ──」
 終わったで、と声をかけようとして止まった。すやすやと静かに寝息をたてて眠っている。
「……お疲れさん」
 髪にそっとキスして、起こさないよう細心の注意を払い、ドライヤーなどを返しに行った。
 リビングに戻ってきて、カーペットの上に座り込んで零さんのあどけない寝顔を覗き込んだ。こうして見ると、全く二十九歳には見えない。寝顔をしばらく堪能してから、起こすか迷った。ベットでちゃんと寝て欲しいけど、起こすのも忍びない。一旦湯呑みを片付けてから起こそうか、と立ち上がった。

「零さん」
 再び覗き込んで小さく声をかけたが、反応はない。ガン見したりもしたのに気付かないあたりは本当に疲れているらしい。
「零さーん」
 今度は普通の声量で声をかけると、ピクリと反応した。ぼんやりを顔をあげ、へにゃりと笑う。
「……悠宇、」
 ああもう、推しの時点で存在が卑怯やっていうのに。
「……ベッド行こ?」
「ん……」
 緩慢な動作で立ち上がる零さんを寝室に歩かせてベッドに押し込んだ。続いて自分も布団に潜り込むと腰に零さんの手が回り、直後に再び眠りに落ちる。ほんまに、珍しい。
 待って、これ何時に起きればいいんやろう。ポアロの前に登庁とかすんのかな。



 悪夢は見なかった。それでも眠りは浅かったのか、六時前に目を覚ましてしまった。起きたら推しの顔という珍しい事態に一瞬声をあげそうになったのを堪えた。時間をかけて慎重に慎重に零さんの腕を逃れ、寝室を出た。着替えて顔を洗って顔色を誤魔化す化粧をして、朝食作りを開始する。米を研いで炊飯器のスイッチを入れ、悪くなるといけないしと作り置きのおかずもいくつかアレンジしながら取り入れつつ、だし巻き玉子や味噌汁なども追加して和朝食を作り上げた。焼き鮭をメインにだし巻き玉子、ほうれん草の煮浸し、切り干し大根のきんぴら、豆腐とわかめの味噌汁に白ご飯。ある中で頑張った、よっしゃ最強や、と自画自賛して一人頷いた。緑茶用のお湯も沸かしておいたし、漏れはないはず。確認しながらお皿に盛り付けていると、零さんが寝室から出てきた。
「おはよう、零さん」
「おはよう……美味そうだな」
「零さんには適わへんけどな」
「そんなことない」
「顔洗ってきて。時間ある? 一緒に食べよ」
「ああ、大丈夫だ」
 洗面所に向かう零さんを見送り、残りを盛り付けてテーブルに運んだ。戻ってきた零さんがご飯をついで、二人向かい合って座った。
「いただきます」
「いただきます」
 二人手を合わせ、幸せな一時を始めた。ガツガツと食べる零さんをにやにやと眺めた。
「……そんなに見るなよ」
 零さんが口を尖らせる。
「この前のお返し。あの時の私の気持ち分かった?」
「ああ、分かった」
 くすりと笑って、味噌汁を飲みきった。私の時よりダメージは少なそうやなあ、とちょっぴり不服だ。
「昨日、寝落ちして悪い」
「全然気にしてへんよ。むしろ寝てくれて嬉しいくらい」
「なんだそれ」
「起きてきてるけど、しっかり眠れたん?」
「ああ。悠宇はいつまでこっちにいるんだ?」
「このままゴールデンウィークまで休みやからなあ。迷惑でなければあと数日おるつもりやけど」
「迷惑なわけないだろ」
「もちろん、私がおるからって無理にこっち帰ってこようとせんでええからな」
「……ああ、分かってるさ」
「微妙に間があったな」
「今が幸せ過ぎて出勤したくないくらいだからな」
「なにそれ」
 らしくないことを言うやん、と思いながら笑った。



 零さんを見送り、食器を洗って仮眠を取った。少しはましな顔になったかな、と考えつつランチタイムのポアロに向かった。いつもならピークを過ぎた頃なのだが、平日と言うことで少し時間を早めてみた。
「あ、こんにちは」
 毛利探偵事務所から降りてくる零さんとちょうど出くわした。
「こんにちは。寄っていかれますか?」
「はい。そのつもりで来ました」
 白々しい会話をすると、零さんが営業スマイルでドアを開けてくれた。
「安室さん──と、悠宇さん!?」
「はろー、梓ちゃん!」
「いらっしゃいませ! もう、この前と言い今日と言い、教えてくださいよー」
「ごめんごめん」
 いつもの席に促されつつ、膨れっ面の梓ちゃんに軽く謝った。店内を見回すとスーツの警察官と思われる客が多く、これが土日との違いらしい。
「しばらくこっちにいるんですか?」
「うん。休み取って長いゴールデンウィークにしてるんよ」
「うわ、すごくホワイトですね」
「意外となんとかなったなあ」
「今回は何しに来てるんですか?」
「もちろん、梓ちゃんに会いに」
「デートしましょうか」
「する!」
 きゃっきゃと会話する私達を零さんがにこにこと見守っているという不思議な構図だ。
「いつものですか?」
「いや、朝食べ過ぎちゃったからなあ……」
「でしたら、ハムサンドはどうですか?」
 途端に会話に参入してきた零さんにちょっと笑いそうになりつつ、それでお願いします、と言った。ここだと梓ちゃんとばっかり話してるから疎外感でも感じたんかなあ、と思うと本当ににやにやできる。ポアロ組は良いぞ。
「安室さんに負けた……飲み物はアイスですよね!?」
「うん」
 ころころと表情を変える梓ちゃんを見つつ、にっこり答えた。やっぱ天使や。
「負けってなんですか」と零さんが苦笑いしている。
「負けは負けです。でも次は負けませんからね! 悠宇さんの胃袋は私が掴むんですから!」
「安心してもう掴まれてるから」
 二人ともにな、という言葉は飲み込んだ。ガッツポーズする梓ちゃんを零さんと二人で微笑ましく見守っておいた。

「……おいしい」
 家で食べたのと同じ、絶品ハムサンド。
「それは良かった」
 でもにこにこと笑うその笑顔はちょっと違った。それを加味しても朝から幸せ続きで顔が緩みきっている自覚もあったし、ついには指摘されてしまった。
「悠宇さん、何かいいことありました?」
「そうかも?」
「なんですか、教えてくださいよー」
「大好きな人達に会って、美味しいもの食べて、最高やん?」
「それはそうだとしても、それだけじゃないですよね」
「知り合いに会って回る予定なんやけど、楽しみで」
「前言ってた方ですか? 高校の同級生の」
「──うん、そんな感じにいろいろ。で、長期滞在やと暇があるからポアロに寄ってるわけ」
「なるほど……ここから近いってことですか? 悠宇さんどこに泊まってます?」
「知り合いの家におるんよ」
「そっちですか。どの辺りですか?」
「梓さん、カラスミパスタお願いします」
「あっ、はーい!」
 返答に困る質問になった途端、零さんがフォローしてくれたのは、なんというかさすがである。
 コナンくんに会うこともなく、蘭ちゃんも眠りの小五郎も、妃英理さんを見ることもなく、つまりは二人以外の登場人物の影もなく幸せな時間が経過した。



 帰れない、とその日の夜に連絡が来た。ちょっと淋しくて、でも頑張っている零さんが好きだからどこか安心した。会う時間を捻出させる方が嫌やからきっといい距離感かな、と思うと満足だった。

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