推しに尽くしたい話 | ナノ


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 運命の五月一日を迎えた。屍の中にいる悪夢で目を覚ました時は、不吉やな、と思った。いや、今はまず職場に電話を入れなければ。昨晩親しい同期には雑談ついでに体調が悪いと連絡をしておいたし、事実とするべく起き抜けの掠れた声で仮病の欠席連絡を、と本当に胃が痛くなりながら、もそもそとスマホに手を伸ばした。
「もしもし、進藤です」
「ああ、進藤さんですか。おはようございます。何かありましたか? 今日からおやすみでしたよね」
「──は、え、?」
 事務員さんの言葉が理解できず、意味の無い音を出した。休むつもりではいたが、手続きなどできていないはずやのに。
「あれ、旦那に会えそうだから早めにゴールデンウィーク入りたいって前に……そっちでなんかトラブルでもありました?」
「──ああ、いや、そのー、何か忘れてそうで怖くなってしまって。手続きとか。しばらく連絡つかないかもしれないので、最終確認をと」
 心臓はバクバクとなりながらも、どうにかそれらしい言葉を紡ぎ出した。
「ああ、ちょっと待ってくださいね…………うん、大丈夫そうですよ」
「……良かった。ありがとうございます。朝からすみません」
「いえいえ、これも仕事ですから。旦那さんには無事会えそうですか?」
「ええ、お陰様でなんとか」
 通話の切れたスマホを呆然と見つめた。なんや、これ。三井くんに──いや、今は無理や。



 今やれることはない。沖矢昴には以前友達と行った時の、京都の喫茶店でのモーニングの写真を送り付けた。これなら画像検索で嘘がバレることもないはずやし、まさか私がそもそも関西の人間だなんて思ってないはずやから、旅行を信じてくれるのではないか、という推測の元決行した陳腐な偽装工作だった。あまりに今日だと主張する写真は、むしろ怪しさ満点なのでこの辺りが落とし所だろう。気が向いたら、夜にはバーの写真でも追加してもいいかもしれない。
 それからテレビなどの家電やスマホのネットワークを切断し、無力な自分を呪いつつ、ただその時を待った。情報を遮断したことでますます焦りは募り、救急箱の中身を確認したり、普段の業務ではあまりない怪我の手当もいざという時は問題なく行えるよう、手引書を復習したりした。空腹を想定してご飯を作ったり、一応バスルームをぴっかぴかにもしてみた。また、時折ベランダに出ては、俄に騒々しくなった外からテロの進行状況を確認した。

 夜になって外が落ち着きを取り戻し、そろそろ大丈夫かな、とスマホをネットワークに繋いだ。ニュースやみんなのつぶやきから、私は一切の影響を与えることなく、テロは発生して無人探査機はくちょうのカプセルは警視庁へと向かっているらしいことが分かった。その後の爆発で、コードを聞き出すことを早めることもできず、阿笠博士のドローンと爆弾による落下位置の変更が行われたと分かった。
 唯一行ったことは、風見さんへの連絡だ。爆走するあの車が目立たないわけが無い。野次馬による撮影で零さんとその助手席に座るコナンくんが写り込んでいるものをいくつかピックアップし、可能な限り削除はできないか、あるいはニュースに取り上げられないように、とお願いするメールを作成した。そんなん分かっとるよな、と少し迷いつつも返信不要の旨を添えて送った。

 花火の様な閃光の後、カジノタワーのワイヤーの数本が切れたものの倒れることなく、カプセルは無事に着水したらしい。
 やっぱり何も変えられないまま終わってしまったし、きっと怪我を負ってしまった。コナンくんとの関係も変わらず、時には協力者となるものの、基本的には探り合うヒリついた関係が続いているのだろう。道路で対峙することなくまずは警視庁ではなく、日下部さんがいるのだから多分そのすぐ近くにある東京地検に一緒に向かうことを優先していれば、カプセルの落下位置の変更が間に合うのでは、という淡い期待は潰えた。お願いをきいてくれることはなかったらしい。零さんにバレずに全く踏み込む機会はなかったし、仕方ない。見つかってしまい、私に構う時間を割かせる方が、或いはそこにいることや現状を理解している理由を説明できない方が信用に関わる。
 机に突っ伏して落ち込んでいると、情報提供を感謝する簡素なメールが風見さんから届いた。零さんの状態に関しては何も書かれていなかった。日付が変わっても、零さんからの連絡はなかった。当然、帰っても来なかった。



 ふと、目が覚めた。悪夢続きやし、眠りが浅いんかな、とぼんやり考える。あまり眠れた感覚はないのに、部屋には光が差し込んでいて──そして、ぱちりと目が冴えた。窓ちゃう、リビングの方や。
 零さんが、帰ってきた? がばりと起き上がりかけて、考え直した。いや、一応解決したとはいえ、まだ後片付けに忙しい劇場版時間軸でそんな時間、あるわけないやん。愛車も廃車寸前、多分怪我だって酷いはず。だったらまさか。犯人という二文字が頭に浮かんだ。時計を確認すると、時刻はまだ午前三時を少し過ぎたところだった。できるだけ音を立てないようにベッドを離れ、裸足のままフローリングを歩いてドアの前まできた。引き戸のすりガラス越しに自分の体が見えないよう細心の注意を払いつつ、リビングの様子を窺う。
 零さんなら逃げろって言うやろけど……、IoTテロに乗っかってどこかのセキュリティが作動していないと踏んだ泥棒なのか、それともまた他の何かか。状況次第では戦わなければ、と脳内ではキックボクシングの知識を呼び起こした。緊張のまま、相手の気配を近くに感じつつゆっくりと引手に手を伸ばす。
「っ、わ!」
 手をかけた途端、ドアが開いて慌てて手を離した。
「悠宇、何をやってるんだ」
「……零さん…………びっくりしたあ」
 急に明るくなったことで少し目がくらんで細めつつ、目の前にいるのが推しだと分かって力が抜けた。
「それはこっちの台詞だ」
 呆れ返る零さんに、泥棒かなんかかと思った、とつい小さく本音がこぼれた。
「それはさすがに傷つくんだが」
「ごめんなさい」
 今のは完全に私が悪い。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
 そう言って零さんが頬にキスをする。
「……怪我、してる。それに寝不足やろ」
 知っているだけにどことなく左肩を庇っていることはすぐ見て分かったし、ろくに休めてもいないのだろう、微かに疲れが滲んでいる。零さんに伸ばしかけた右手は手は器用に右手で絡め取られてそのまま腕を引かれ、バランスを崩して零さんの胸にダイブした。身長差の分見上げると、困ったような顔をしていた。
「君こそ、ひどい顔だ」
「もー、仮にも女性に向かってなんて言い草や」とポーズだけは怒った。
 自覚はしている。化粧で誤魔化して出かけるつもりやっただけに、このタイミングでのすっぴんは言い訳ができないものだと分かっている。
「ごめん。それで、僕の奥さんはなんでこんな所にいるんだ? 仕事はどうした?」
 肩を竦めて軽く謝ってから真面目な顔つきになり、零さんが尋ねた。
「それは、休みをもらって。……ごめんなさい。待ってるって約束したのに、居ても立っても居られなくて。その……エッジオブオーシャン爆発のニュースに、零さんがいた気がしたから」
「……」
 零さんは何も言わない。守秘義務から言えないことは分かっているのに、触れてしまった。そう思いながらも、まずは笑顔を送る。
「その後もニュースとかを追いかけてて何となく、状況は察した。零さんのおかげで、みんなが助かったんやんな。ありがとう。ほんまに、お疲れ様」
 それからお願いを。
「でもだからって、必要な時に無茶することがあっても……無理だけは、しないでほしい」
「……僕には命に代えても守らなくてはならないものがある」
 命に代えても。
 今回は、大丈夫やった。でも、こんな無茶を繰り返してたら、もしかしたら、いつか──いつか、あの夢みたいに。
「それでもっ! ──死、んだらっ、そっから先、何も守れんくなることくらい、分かるやろ!」
 緩い拘束を脱し、悔しさを滲ませて声を荒らげる私に零さんが瞠目する。
「ああ、だが──」
「生きろやこのバカ!」
「っ!」
 叫び声で否定の言葉を遮られた零さんは息を呑んだ。その整った顔立ちを、垂れ下がった目を、明るい髪を、褐色の肌を、キッと睨みつける。
「もし一瞬でも生きることを諦めたら、一生どころか来世もその先も、ずーっと恨み続けてやるからな。覚悟しときや!」
 零さんが呆然と立ち尽くす姿を認めて我に返り、ショックで打ちひしがれた。私はなんて口をきいてしまったんや、と縮こまる。
「ご、ごめん。疲れてるのにこんなこと言って」
「いや……詳しくは言えないが、正直言うと今回は本当に死を覚悟した瞬間もあったから。
 そうだな。守りたいものがあるからこそ、死ねないな。絶対に生きることを諦めないって約束する」
「ほんまに?」
 零さんのシャツの端を掴み、顔を覗き込む。
「ああ」
「絶対って言った?」
「言った」
「……そか」
 零さんの胸にぽふりと頭を置いた。とくとくと心臓の音がする。私はこの優しい人を、生き急いでいる人を繋ぎ止められるようになってるかな。
「ありがと」
「心配かけてごめん。それと、怒ってくれてありがとう」
 怪我をしていない右腕が背中にまわって力が篭る。怪我に障らないよう、できるだけ優しく抱き締め返した。

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