推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 45

 昨日もやっぱり零さんは帰って来なかった。連絡も来ないので、東都にいることには気付かれていないらしい。スマホでバレるので、コナンくんには迂闊に近付けない。
 昨日は家電チェックと大掃除と料理の作り置きでなんだかんだと時間が過ぎた。三井くんにメッセージを送ったが、劇場版案件が終わったらゆっくり話そう、と言われてしまった。当然といえば当然なのだが、仕事が慌ただしいらしい。
 一方の零さんは、梓ちゃんによると、出勤が多いらしい。こんな時に、と思ったがこんな時だからこそ、安室透としての動きをきちんとしなければならないのだろうなと思うと分かっていてもその多忙さにもやもやした。

 とはいえ進行状況は気になるので、初めてペンギンちゃんを外しての外出を決めた。言い訳としては充電していたら忘れたという体裁にして置いてきた。それからライトブラウンのウィッグとカラコンを買って化粧をバッチバチにキメて変装し、妃法律事務所の入ったビルの見える喫茶店の窓際の席を確保して居座ってみた。小説を開いているものの、さっぱり頭に入らず視界の端に映る事務所にばかり意識は向かっていた。
 時間だけが無情に経過する。唯一この映画のキーパーソンである境子先生が入っていくのを見かけたが、それだけだった。片手では小説を開いたまま、もう片方の手で頬杖をついた。ねえ、零さん。今頃は神経を尖らせてテロに対処しているだろう愛しい人の笑顔を思い浮かべて、目を閉じる。小さな溜息が漏れた。
「あー」
 無理、全く集中力がない。呻いて、小説を閉じてスマホを取り出してみたが、登場人物からのメッセージはなかった。

 何をやってるんや、私は。運命を変える方法を検索してしまったあたり、本当に疲れているらしい。眉唾物ばかりのページを読むなんて、本当にらしくない。そのままスマホをテーブルに放り、目を閉じる。阿呆、と微かな声で口にする。
「相席をお願いしてもよろしいですか?」
「……ああ、はい」
 相手の顔も見ず、降ってきた男性の声に軽く返事をした。あかんな、余裕がない。嫌になりながら、何を見るでもなく伏し目がちに窓の外を見やった。ドリンクを追加注文しつつ粘ること数時間、そろそろ諦めた方がいいかもしれない。このアイスティーはまだ飲みかけたばかりだから、これが空になったら、諦めよう。ふわりとコーヒーの香りがして、相席の男が頼んだのはコーヒーなのだと分かった。無性に零さんのコーヒーが飲みたくなった。
 相席と言えば、いつだったか、斎藤さんと相席をしたのもこんな風に変装をした時やったなあ。懐かしさを覚えながら、ふと視線を上げてそのままぴしりと石のように固まった。
「……」
「……どうかされましたか?」
 何故いる、糸目。
「…………いえ」
 たっぷり間を開けて沖矢昴、もとい赤井秀一に返事し、内心頭を抱えた。偶然か? いや、そんなわけないやろ。多分、いや絶対、見過ぎた。事務所から視線を察したコナンくんから連絡を受け、様子を見に来たのだろうと検討をつける。人間観察すらまともにできないとは、これだからポンコツは。心の底から、一応変装しておいて良かったと思った。そうよ私は高山めぐみ!
「何かお悩みでも?」
「はあ……?」
「失礼、憂えた表情をされていたものですから」
「……ああ、まあ、誰にだって悩みくらいあるでしょう」
 標準語を意識し、いつもより少し高い声で当たり障りのない返事をした。
「ここで会ったのも何かのご縁……話してみてはどうですか?」
「赤の他人に、ですか?」
「だからこそ、話せることもあるでしょう」
 すました顔で言う男に、頭痛がした。
 ペンギンちゃん、置いてきて本当に良かった。うっかりこの現場に零さんが来ようものなら、それこそ原作崩壊である。まさに薮蛇、余計なことはするもんやない。三井くん、君が正しかった。
 とりあえずあんたら、そのグイグイ突っ込んでくるところ、ほんまにやめろ。
 冷めきった表情をしているはずの私に、目の前の男は一切動じることなく質問を重ねる。
「友人関係か、家族関係か……あるいは、叶わぬ恋でも?」
 そう対人関係ばかりを列挙していった。
「……悩みなんて、大概は人間関係ですよ。仕事の悩みと言いながら、その実上司や同僚との人間関係だった、なんてことも珍しくないでしょう。ありきたりな、陳腐なもんです」
「それは一般論でしょう。それで、あなたのお悩みは?」
 溜息をついた。
「……あなた、暇なんですか」
「暇と言えば暇ですね。そうでもなければ一人でカフェに来たりしませんし」
「ええ、そうですね」と雑に言った。
「それとも、あなたは何か目的があってこちらにいらしたのですか?」
「……いえ、暇だからですよ」
 もちろん本当のことを言えるはずもなく、相手が期待しただろう言葉を返した。
「では暇人同士、せっかくですから交流しようじゃないですか」
「はあ……」
 まあ、そうなるやんなあ。うん、めちゃめちゃ帰りたい!

「……分かりました、負けましたよ。あなたは随分と執拗そうです」
 一切姿勢と表情を崩さない相手に、白旗をあげた。
「おや、いい判断ですね」
「自分で言いますか……」
「叶わぬ恋のお相手はどんな方ですか?」
「……どうしてそこが確定なんでしょうねえ」
「そういう顔をしていらしたので。違いましたか?」
 零さんのことを想う私はどうにもだだ漏れらしい。その事実に気付いて羞恥で頬に朱が差し、誤魔化すようにアイスティーを飲む。しかし、方向性としては悪くない勘違いだ。本当の悩みなどファンタジーもいいところなのだが、嘘をつくにはあまりに相手が悪い。ここはある程度正直に話しつつ、嘘を交えつつ、コナンくんのセンサーの誤作動を主張していかなければ。変装といい、立場といい、探られると非常に面倒臭いことこの上ない。
「違いませんが。優しくて、知的で、目的のために邁進するキラキラした人ですよ。……住む世界が違う」
「ホー……それはまた、随分と高く評価しているのですね」
「ええ、私などには遠く及ばない人です」
「その方には決まったお相手が?」
「どうしてそう思うんです?」
「運命を変える方法を調べていらした様ですから」
 げ、見られてた。よりによって、なにも血迷った検索結果を見なくてもいいやろうに。
「盗み見とは、趣味が悪いですね」
「すみません、テーブルに置かれていて見えてしまったもので」
「……そうですね、次から気をつけます。無遠慮な方に付け入られないように」
「つれない人ですね」
「赤の他人なんてそんなもんです」
「では、まずは顔見知り程度にはランクアップしましょうか」
「結構です」
「私は沖矢昴と言います」
「聞いてますか、マイペースな人ですね。私は名乗りませんよ。たった今あなたの名前も脳内から抹消しました」
「残念です」
「だったらもっと残念そうにしたらどうですか」
 表情が変わらなさすぎて怖い。不審者感が凄まじい。疑われるわけやわ。愛想笑いを装備した方いいのでは。……いや、キャラが被るな。
「話を戻しましょう」
 聞けよ、と思わず毒づいた。
「口が悪いですね」
「あはは、あなたの性格ほどではありませんよ、見ず知らずの方」
「沖矢昴です」
「忘れました」
「沖矢──」
「執拗いですね」と言葉を遮る。
「ええ、ご存知の通り」
「……分かりました、沖矢さん」
 いい判断です、と彼は再び頷いた。
「そういうあなたには悩み事はないんですか。それこそ、こいびとのこととか」
「そうですね。ずっと、追いかけている相手がいますよ……」
 黒ずくめの組織ですね分かります。分かりたくなかった。
「しかし、たまには他を見るのも悪くないかもしれない」
「……と、言いますと?」
「あなたに興味が湧きました」
 それは一体、どういう興味なんでしょうねえ、と遠い目になった。まさか、本当に惚れた腫れたのはずもない。
「素顔を見せてはくれませんか」
「……ストレートですね」
 変装が上手の相手に、ちゃちな手は通じないらしい。あの黒羽盗一仕込みの藤峰有希子直々の手解きを受けているのだから、当然と言ってしまえばそれまでだ。
「その方がお好みかと」
「……他の誰かになりたい時って、ありませんか。ちょっとした気分転換ですよ」
「運命を変えるために?」
「あの、それ忘れてもらってもいいでしょうか。普通に恥ずかしいんですけれど」
「では、お名前を教えてください」
「……高山めぐみです」
「……」
「……」
「……!」
「…………進藤です」
 無言の戦いの末に、僅かに開眼した沖矢昴に負けてしまい、せめてもの抵抗として囁き声で呟いた。無理、圧がすごい。迂闊にグリーンの瞳を晒すな、阿呆かお前は。
「進藤さん、私と運命を変えてみませんか」
「忘れてくれるんじゃなかったんですか」
「そんなことは一言も言ってませんよ」
「詐欺師」
「名前を偽る人に言われたくはありませんね」
「それは──」
 お相子じゃないですか、と続けかけて飲み込む。
「それは?」
「いえ、なんでもありません。ああもう、話題を変えましょう」
 咄嗟に浮かんだ矛先は、手にしていた小説だ。
「本はお好きですか」
「人並みには」
 普通に意気投合してしまった。

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