推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 43

 三井くんが私のペットボトルを開封して手に押し付け、飲んで、と言った。震える手で受け取り、ゆっくり、一口だけ飲んでキャップを閉めた。
「……続けて、ください」
 負けんな、阿呆。
「現れるやつがいれば、消えるやつがいる。世界の変遷はそういうもんや」
「……変遷?」
「ああ。始まりは分からんけど、混ざる世界が変わって、場所が変わって、物が変わるから、変遷。それを認識できる中心的な人間を俺らは『核』って呼んでる」
「そんで、『核』もまた変わる。知る限りの最初は妹の親友で、その次が妹、その次が俺、今は──進藤さん、やな」
「……ごめん、こんがらがってきた。魔女といい、『核』といい、随分ファンタジーやな」
 体の前で手の平を三井くんに向け、静止のポーズをした。
「俺の世界まではそういうもんやったからな」
「三井くんの世界?」
 肩を竦める三井くんの言葉を、眉をひそめて繰り返した。
「そ、俺の時はまじっく快斗。進藤さんは名探偵コナンやろ? だから、魔女の紅子の存在は消えたってわけ」
「……なるほど?」
「分かってんのか?」
「全然」
 さっぱり理解が追い付かない。
「……やんなあ」
 三井くんが薄く笑って、水を飲んだ。息をついて、再び口を開く。
「妹が『核』の時は結構長くて、だからこそ危機感持ってた。親友、自分とフィクションの世界が続いてたから、ある時思い立ってありとあらゆるフィクションに手を出すようになって、知識を詰め込みつつ次に備えていた。だから俺の時は情報があったんや。それこそ、魔女という特性上、紅子はコナンの世界には存在しないって情報までな」
 シスコンの原因を垣間見た気がした。
「その変遷ってやつの条件は分かっとるん?」
「おう、ほんとその辺は魔女様々って感じやな。
 生死の境界を彷徨って生還すること、らしい」
「──つまり、三井くんは死にかけた、と。妹さんもか」
「ああ。物語に干渉すると弾かれる、時に死にかける、そしたら危機感を覚えた『核』が他者に乗り移って、世界が変わる。そういうサイクルやな」
「なるほどさっぱり分からん」
「ま、気持ちは分かる。その上『核』やった記憶は、次の変遷でなくなるからな」
「──なくなる?」
 思いっきり顔を顰めた。
「ああ。俺に『核』が移った時、妹の親友は残ったその世界の関係性ごと『核』の記憶を失った。進藤さんに『核』が移った時は、今度は妹が」
「……私が死にかけると、今度は三井くんの記憶がなくなる、と」
「だな。そういうワケやから、知識の宝庫やった妹も、今じゃなーんも覚えてへん。俺だけ渦中に取り残されたってこと」
「よくもまあ、その状態で東京就職踏み切ったなあ」
「紗知のお願い断れるわけないやろ」と間髪入れずに三井くんが真顔で言い切った。どんな時でもシスコンは健在らしい。
 紗知で、さっちゃん。そういやそんな名前やったな、とようやく思い出した。
「何かと舞台になりやすい東京で、何かと権力のある警察に繋がりがあると助かるからってな」
「それ頷いたん?」
「最初は渋ったけど、その時は記憶のある親友が傍におったからな。『核』も紗知やし、危ないなんて情報もまだなかったし。その後変遷して、今じゃキッド担当やから、紗知は本当に先見の明があったってことやな」
「変遷対象の条件は?」
「魔女からの情報と今まで経験則からすると、死にかけた時に浮かんだ相手、ってところやな」
「……ちょっと待って、それやったら三井くんは私を思い浮かべたってことになるんやけど」
 告白を思い出して頬が紅潮するのを感じた。
「そういうことや。……ごめん、俺が巻き込んだ」
「まじか」
 否定の言葉はなく、方向性の異なる情報でさらに混乱に陥った。
「もちろん一番に浮かんだんは妹やったんやけど、二度目はないってことなんやろうな。……そんで、まあ、ふと、進藤さんのことが浮かんでしまって、そのまま」
「あー、うん。……うん。抜け道はないん?」
「さあな。妹の親友より前には辿れなかったからな、情報が足りない。サンプル不足や。死んだら終わるんじゃないかってのは魔女の話で、あとは浮かんだのが以前の『核』保有者だけだったらとか。ああ、対象が向こう側の人間の場合にどうなるかも未知数やな」
「……なるほど」
「理解した?」
「……多分、一応は。さっちゃんとその親友ちゃんはなんの世界やったん?」
「知らん方がいい。消えた人間の話まで背負う必要はない」
「そ、か」
「ああ。……顔色が悪い。一旦この辺にしとくか? 重要なことは一通り話したし、物語に関わらへんかったらそれでいいから」
 どきりとした。ストーリーに干渉はしていなくても、キャラクターにはかなり深入りしてしまっている。
「確認だが、今までに誰か助けたのか?」
 三井くんに低い声で尋ねられ、自分の罪と何度も見た悪夢がフラッシュバックして視線を落とし、声は掠れた。助けられなかったことを断罪できる人は今までいなかったけど、今は、目の前にいるのだと気付かされた。
「助け、ら、なかったぁ……!」
「……それでいい。それが正しい」
 途端に声が優しくなり、慰められているのだと分かった。またじわりと涙が視界を霞ませ、ぐっと下唇を噛んで俯いた。涙がこぼれないよう瞬きもせず、じっと下を、そして腕時計を見つめた。ただただ無力な自分が悔しかった。
「このまま、大阪で生きててくれ」
 返事もできない私が落ち着くまで、三井くんはじっと待ってくれた。

「……スマホ、鳴っとるよ」
「…………うん」
 至極嫌そうに、三井くんはそれを持って部屋を出ていった。一人になった空間ではああ、と深々と息を吐き出した。
「壮大な話になってきたなあ」
 どう責任取りゃいいのよ。ガシガシと頭をかいて、机に突っ伏した。消えた人は一体どこに行くんやろう。現れた人は一体どこから来たんやろう。私が怪我をしたら、もしかしたら、コナンくんは、梓ちゃんは、零さんは──消える。小泉紅子のように。誰からも忘れられて。私のせいで消える。そんなん、耐えられへん。
 目を閉じると、幸せそうに笑う零さんの姿が浮かんだ。──絶対、守らなきゃ。

「今日はこのまま休め。続きは急がへんから、頭の整理がついたらまた連絡してくれ」
 三井くんはそう言って、慌ただしく仕事に戻っていった。さすがは東都、事件に引っ張りだこということらしい。私には一人の時間が与えられ、かと言ってこの状態でセーフハウスたる降谷邸に帰ることも憚られた。
 私はどうすればいいのか、また分からなくなった。誰か、教えて。
「……かみさま」
 ひたすら腕時計に縋った。帰ることもできず、吸い込まれるように家の近くの公園に足を踏み入れ、何度目かのブランコで呆然とした。誰かから連絡が入ってもいつものようには返事ができないだろう、とスマホの電源を落とした。笑顔を作れるか分からなくて、零さんの家に帰ることが恐ろしかった。零さんに心配をかけることが怖かった。子供のように怯えてばかりの自分がひどく醜かった。
 ただ、あの人にずっと笑っていてほしいだけなのに。こんなにも難しい。
 なんとか情報を整理しきって、それなりの笑顔を作れるようになった頃には空が白んでいて、重い足取りで家に帰った。零さんはいなかった。安心した。



 その翌日、曜日はそのままに突然四月二十八日になっていた。昨日の流れから飛んだ日付と睡眠不足で処理落ちしそうな頭で、どこかで職場に休むという電話を入れるべきか迷った。あーあ、今度こそ動けるようゴールデンウィーク前は有給申請する予定やったんやけどな。いくらなんでも急すぎた。油断した、と思う反面、関わらない方がいいのかも、と三井くんの言葉を思い出した。

 そしてサミット会場であるエッジ・オブ・オーシャンの国際会議場が爆破されたニュースを見て、その爆煙の中に零さんの姿を認めた。
「始まっちゃったな……」
 差し当たり、家電をネットワークから遮断しておこう。

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