推しに尽くしたい話 | ナノ


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 零さんが私の頬に優しくキスをした。
「悠宇、綺麗だよ。……実は、見蕩れてしまって言いそびれてたんだ」
「ふふ、何それ。零さんも綺麗やで?」
「そこは格好良いって言ってほしかったな」
「もちろん格好良い。めちゃくちゃ素敵。いっつもそうやけど、今はいつも以上にキラキラしとるよ」
「──っとに、君は」
 空いた手で顔を覆って零さんが立ち止まった。照れてるらしい。貴重なものをみたなあ。今日は零さんのいろんな顔が見れる。
「ほら、行こ? 待たせてるんやろ」
「ああ」
 素知らぬ顔で繋いだままの手を引き、二人で教会の扉を開いた。
 カシャリ。横からシャッター音がして目を見開いた。
「まじかはっや」
「今か今かとお待ちしてました」
 黒いスーツ姿で一眼レフカメラを持ってにっこりと笑っているのは、予想通り、斎藤さんだった。
「……えーと、お久しぶりです?」
「こんにちは。本日のカメラマンを務めさせていただきます斎藤です」
 清々しいまでの全力の笑顔で会釈する姿は、初対面の時とも、定食屋で遭遇した時とも、居酒屋で会った時とも違う明るさで唖然とした。本当に、零さんのことが好きらしい。
「斎藤、予定と違うだろ」
「すみません、一番素の表情が撮れると思いまして」
 目を細める零さんに、笑顔を崩さず形だけの謝罪をする。それどころか「そして目論見は成功しました!」と付け加えて褒めてと言わんがばかりにドヤ顔をした。
 怒っていた訳でもないので、ならいい、とそっぽ向いて零さんがあっさりと許す。想定外のタイミングで、部下にしまらない顔を見られた気恥しさかなと思うと、微笑ましさでくすりと笑った。



 洋館の中で、それから海辺で写真を撮った。たくさんたくさん撮ってもらった。最初は他の人もいることで少し緊張していたら、斎藤さんがカメラを零さんに押し付けて、一旦退室したのには驚いた。けど、二人だけの空間で一度カメラに慣れてしまえば不思議と問題なくなった。斎藤さんにバトンタッチして、また二人で撮ってもらった。教会では撮らなかった。今は二人だけの誓いの場所だからな、と零さんは笑った。やっぱり、零さんはすごい。私は今、神様の隣にいる。

 ドレスを脱いで、最後に、宣言通りタブレットの前で頭を突き合わせて写真を選んだ。この間に斎藤さん達は片付けをしてくれているらしい。今日のために貸切にしたとか。本当に頭が上がらない。
「んー、難しい……」
 零さんが分からない程度に、私にだけは分かる程度に。なおかついい写真、となるとなかなか難しくて唸った。
「これ、かなあ」
 海をバックにしたテラスでの引きの写真をアップにした。零さんの後ろ姿と、零さんの方を向いて笑っている私。手を繋いでいて、私の腕時計が光に反射してその存在を示している。
 また唸って、一覧画面に戻す。
「こっちもいいけどな」
 零さんが私がさっき見ていた寄りの写真にする。こっちは海での一枚だ。零さんが私を持ち上げて、私はブーケを持ちながらも両手で零さんに抱きついている。真後ろではないものの零さんの背の方から撮影されていて、かつブーケで適度に零さんの姿は隠れているし、いいかなと思って候補に上げていたのだ。
「個人的にはこれが好きだけど」
「却下、顔緩みすぎて恥ずかしい」
 ブーケに顔を埋めてだらしなく笑う私の寄りの写真がディスプレイに広がった。確かに、この時は零さんの腕の中にいたから服映ってるけど。ちゃうやん。
「残念だ、いい表情なのに」
「私の部屋に飾るんやって分かってる?」
「もちろん」
 にこにこと笑う零さんに半目になった。
「ナシで」
 ざっくりと切り捨ててまた一覧画面に戻す。
 そうして相談した結果、テラスでの写真に落ち着いた。再度お礼を言って、零さんの運転で東都に向かった。現像も斎藤さんの伝手で行うらしく、後日受け取ることになっている。風見さんの大阪出張が来週あるからその時に、ということらしい。風見さんがただのパシリで本当に申し訳なくなった。そして零さんが意図的に出張を捩じ込んだのではないかとちょっと疑っている。兎にも角にも高級チョコを用意しておこうと決めた。帰りに必ず百貨店に寄るんや。
 道中、公安の方で招集がかかった。丸ごと一日休むのはやはり難しいらしい。零さんにも、休みを休養ではなく上司のプライベートのために使った斎藤さんも、本当にありがたくも申し訳ない。休日ですから、と斎藤さんは言っていたが、多忙な公安警察なのだから仕事調整に相当手を焼いたことは想像に易い。私は駅で降りて零さんを見送って、駅に入ってからサングラスを外してのびをする。このまま大阪に戻ろうかな。



 夢のような時間が過ぎて、どこかまだ浮ついた気分のまま労働の始まりたる月曜日が来て、そして火曜日になった。風見さんからメールが届いて、明日の九時に約束を取り付けた。忙しいのだからそちらに伺うと食い下がったのだが、場所は言えない、と丸め込まれてしまい、結果としてうちからほど近いチェーンのカフェになった。
 予定通りの水曜日となり、早めに店に入り、チョコレートの紙袋でどうにか隅の二人席を確保した。それからミックスジュースを注文して席に戻った。持ってきたハードカバーの小説を取り出して開き、風見さんを待つこと数分、気付けば混雑した店内にそのスーツ姿を認めた。一応気を張っていたつもりやったけど、全く気づかんかったなあ。ホットドリンクのカップを手にした風見さんはまっすぐこちらに向かってくる。
「こちら、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
 本を閉じて視線をあげ、にこりと笑って快諾すると、風見さんは向かいの席に腰を下ろし、コーヒーと共に自然な所作で封筒を机に置いた。
「……ありがとうございます」
 小さく言って、封筒に小説をするりと重ねて回収し、鞄に収めた。それから半分ほどになったミックスジュースに手を伸ばすついでに、テーブルの上の紙袋を風見さんの方に少し押した。それを見て、風見さんが片眉を上げた。
「見たままですよ」
「……ありがとうございます」
 そう言って眼鏡を押し上げた。言葉こそ素っ気ないが、ほんの僅かに口元が歪んでおり、喜んでくれているらしい。帰りの新幹線で調べて店に並んだ甲斐があったな、と安堵してミックスジュースをごくりと飲んだ。二度目の邂逅である風見さんとは、一体何を話したらいいのやら。あるいは無言の方が良かったかもと思ったものの、流れで小説は片付けてしまったし。
「……個人的なことに巻き込んですみません」
「いえ、ついでですから」
「カメラマンさんは何か言ってました?」
「いえ……ただ、撮影者に選ばれたことをとても喜んでいましたよ」
「そんな感じしました」
 嬉々としてカメラマンを務めていた姿を思い出してくすりと笑う。ほんまに、零さんのこと敬愛してるんやろうなあ。
「実は、彼にあの人の企ての話を流したのは自分なんです」
「へ」
 意外な事実に抜けた声が飛び出した。
「好かれてるんですねえ」
「彼は昔っからそうなんです。犬みたいに懐いています」
「それは柴犬の方ですよね、ドーベルマンじゃなくて」
 心なしか耳と尻尾が見えた瞬間があったのを思い出した。
「ええ」
「ギャップがすごい。一度居酒屋で出くわしたんですよ、彼の同期が私の高校の同級生で、その人に声をかけた時に。その時とは大違いです」
「……その話は、初めて聞きました」
「ちょうど同席者が外していて、二人だったから浮気かと疑ったみたいで」
「それはまた……普段は優秀な男なんですがね。全く、あの人のことになると突っ走りがちなのが玉に瑕です」
「でも、いい人です」
「そこは否定はしませんが」
 風見さんは小さく溜息をついてコーヒーを啜った。

 帰って糊付けされた封筒を開封し、中に手を差し入れた。
「ん?」
 どうにも一枚ではない気がする。ロックをかけたデータならまだしも、写真がそう何枚もあるのはマズいんじゃ、と顔を顰めつつ取り出した。一番上はお願いしていた例の写真だった。それを捲ると、別の写真が出てきた。窓辺の椅子に腰掛けて、カメラ目線で、蕩けた顔ではにかむウェディングドレス姿の私。上の写真と重なって最初は気づかなかったが、よく見れば端に付箋が貼ってある。
『勝手ながら、個人的に一番だと思った写真も現像しています。
 あなたのいい表情を引き出すのは、やっぱりあの方ですね』
 見慣れない筆跡のそれは、間違いなく斎藤さんからだろう。確かにこの写真は、零さんがカメラを持っていた時のものだ。
「あーもー、これやから優秀な部下は」
 むずむずする。でも自分の家に自分の写真飾るなんてナルシストやん、なんでそんなことを……と思ったところで、はたりと気付いた。そっか、一応、あっちもこっちも二人の家という認識なのかもしれない。それでも主に零さんのスペースであるあの家に私の写真を飾るのは気が引けて、代わりにこっちに押し付けたと言ったところかな。確かに、こっちよりあっちの方が「万が一」狙われる可能性があるんやから、飾ってたら狙ってくださいと言ってるようなもんか。
 二人の写真を写真立てに入れて神棚の横に並べた。ああどうしよう、にやける。それでも私の写真を飾るのは躊躇われて、少し迷って二人の写真の裏に重ねた。悩んだ時は、これを見よう。私は零さんのおかげで幸せやから、と忘れないように。笑顔を絶やさないように。



 その翌日、再び日付は飛んでまた現実に引き戻され、例のゴールデンウィークは先延ばしになった。その後また日付が飛んで、突然紅葉の季節を迎えた。きっと修学旅行編なんやろうな、と思った。
 私の知る原作知識が、もうすぐなくなる。

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