推しに尽くしたい話 | ナノ


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「え、ここ!?」
「ああ、そうだ。降りて」
「うん……」
 零さんが車を停めたのは、海沿いにある小さいが綺麗な白い洋館の前だった。事件が起こるな、とメタ発言したくなったが黙っておいた。それにしても、や。
「これが噂のフォトジェニックってやつ?」
「気にいらない?」
「まさか、すっごい綺麗! 好き」
 青い空に浮かび上がる白い建物、砂浜の淡い色と海色。全部、私がこよなく愛する色で構成されている。両手の親指と人差し指でフレームを模した四角を作って片目で覗き込み、近くを周ってその中に色んなものを入れた。空も、海も、洋館も、木々も、砂浜も、車も、零さんも。やっぱり世界は美しい。
「ふふ」
「へ」
 聞きなれない笑い声がして、青ざめて頬を引き攣らせながら振り返った。洋館の入口付近で、パンツスーツ姿のすらりとした見知らぬ女性がくすくすと笑っている。やっべえやらかした。零さん止めてくれてよかったんやで。
「笑ってしまってすみません」
「こちらこそ、はしゃいですみません。忘れてください」
「いえいえ……私、今回降谷様のプランを担当しております花本と申します」
 絶望から一転、唖然とした。降谷様、と言ったということはやっぱりそちら側の方か。想像していたけど、誰かに面会するんやろうな。プランとは、と背後から近付いてくる零さんに視線を移すがなぜかとてもいい笑顔をしていた。意図が読めない。
「じゃあ、予定通り彼女を頼む」
 とん、と頭に手が乗ってくしゃりと撫でられた。
「はい、お任せ下さい。ご案内しますね」
「れっ……、待って、どういうこと?」
 思わず外で呼びかけた名前を飲み込み、パニックのまま尋ねた。
「名前、呼んでいいよ。ほら、着いていくぞ」
 手が絡み、返ってきた言葉はなんの答えにもなっていない。不服感を出して名前を呼びつつ、足を動かした。
「……零さん」
「ん?」
「この先、誰がいるんですか?」
 零さんはいたずらっぽく「ナイショ」とはにかんだ。
 だから、その顔、その笑顔、やめて。滅多刺しにして縛り上げて蓋をしたつもりの恋心が、まだ暴れている。
「とは言ってみたけど……見れば、すぐ分かるんだ。どうしてここまで連れてきたか」
 洋館に入り、促されるままに廊下を歩いた。そして間もなく、花本さんがある両開き扉の前で立ち止まった。
「こちらです」
 そう言いながら手で示し、一歩下がって廊下の端に寄って一礼した。
「悠宇、開けてごらん」
「わ、私が?」
「ああ」
 絡めていた手が離れて、途端に不安になった。一度深呼吸して、大丈夫、女は度胸と自分に言い聞かせてその扉に手をかけた。
「──え」
 真正面にあったのは、トルソーだ。それも、真っ白なドレスを、──ウェディングドレスを着た。上半身はすっきりとしたベアトップでスカートがボリューミーなプリンセスラインのそれは、私が着ることなど考えもしなかったものだ。
「なん、で……?」
 衝撃で声が掠れる。嬉しさよりも、なぜ用意したのか、なぜこのタイミングなのか、忙しいんじゃないの、写真撮れないんじゃないの、となぜなぜ疑問ばかりが浮かんで、軽いパニックに陥って泣きそうになりながら振り返った。零さんが、穏やかに微笑んでいた。本当に、いいの。私で、いいの。
「驚いた?」
「……うん」
「はは、サプライズ成功だ」
「……うん」
「二人だけの、フォトウェディング。こういうのも悪くないだろう?」
 零さんがまた、私の頭をくしゃりと撫でた。
「……うん」
 小さな声で頷くことしかできなかった。気の利いた返事なんかできるはずもなかった。この日のために、何を犠牲にしたんやろう。忙しい最中伝手をフルに使って、人と物と場所を、手間を、そして時間を、ただの降谷零のためにかき集めたのだと思うと、色んな感情が綯い交ぜになって涙が溢れそうだった。
「零さん……私、零さんを幸せにします!」
 ぐす、と鼻をすすって零さんの手を取り、高らかに宣言した。
「普通は逆だよ、奥さん」
「よそはよそ、うちはうち」
「あはは、そうだな」
「私は本気ですからね」
「分かってるよ。臨むところだ」
 零さんが私の手を握り返して手を胸元まであげ、手の甲にキスした。
「まずは着替えておいで。ウェディングドレス姿を見たいな」
「──っ!」
 上目遣いの推しから吐き出される言葉に顔が熱を持つ。
「幸せに、してくれるんだろう?」
 そう言って、零さんがにやりと笑う。あっ無理、勝てへん。推しがしんどい。



「謎の見栄を切ってしまった……」
 ドレスを着せてもらいつつ、項垂れた。
「あはは、かっこよかったですよ」
 花本さんが笑った。
「私も見たかったです」
 手を動かしつつ器用に肩を竦めたのは、鈴木さんというお姉さまだ。ちなみに例の鈴木財閥とは無関係である。多いよね、鈴木。いちいち警戒してたらしんどいけど、しちゃうよね、鈴木。何を隠そう、昨日のエステの受付をしていたのが彼女だ。既に計画は動き出していたのだ。知識が無さすぎてブライダルエステだとは微塵も気づかなかった。ちょっとだけ反省はしている。
「素敵な旦那様ですよね」
「ほんとに。正直サプライズなんてどうなるかと思いましたけど……ほら、ドレスのサイズまで完璧ですし」
「なかなかやるわね、あのイケメン」
 うんうんと頷きあう二人に再び複雑な思いが生まれた。この二人は本日のカメラマンの伝手らしい。
 そう、カメラマン。零さんは本当にフォトウェディングをやる気でいるらしい。聞けば、カメラマンさんは零さんの仕事関係の人らしいい。協力者なのか公安警察なのか真面目に分からない。どうにも、この二人は私とあの人が何なのかを知らない様子だ。しかし、けれどプロだ。顧客の情報は決して漏らさない口の堅さがある。そういう人が選ばれている。緊張を解すためかテンポよく雑談をしながらも、不用意に情報を漏らさせない会話運びは素直に尊敬した。
 ドレスを身に纏い、ヘアセットとメイクもしてもらった。ドレスに少し不釣り合いな腕時計はそのままで、気合いも充分だ。洋館の裏手、海側には教会があるという。そこで、零さんが待っているらしい。
 教会の扉の前で、立ち止まる。気持ちの準備ができたらおっしゃってください、という言葉に甘えて三回、胸に手を当ててゆっくりと深呼吸をした。腕時計を握る。
「花本さん、鈴木さん。……ありがとう、ございました。お願いします」
「いえいえ、幸せのお手伝いができてこちらも嬉しいです」
「では、開けますね。どうか末永くお幸せに」
「はい」
 二人の手によって、ギイと重い扉が開く。
 教会の中にはたった一人、白いタキシード姿の零さんが微笑みながらこちらを向いて立っていた。ゆっくりと中に足を踏み入れると、背後で扉が閉まって立ち止まる。二人きりになった。
「悠宇」
 ひどく穏やかな表情のまま、愛しい声が私を呼ぶ。
「おいで」
「……は、い」
 促されるまま足を再び動かして、零さんの隣に立ち、向かい合った。
「結婚式は改めてと約束したから、フライングになってしまったが……悠宇。今、君一人にだけ、誓う」
「……うん」
「私、降谷零は、悠宇さんを生涯の妻とし、一生愛し続けることを誓います」
 ただ真っ直ぐに見つめて発したのは簡素な言葉だが、それだけになんの誤魔化しもない。暖かい家庭も、一緒にいることも、感情を分かち合うことも、苦難を共に乗り越えることも、今この瞬間に誓えることではない。できない約束を無闇にしないのは、きっと私に合わせてくれた正直な言葉なんやろうな。零さんらしい、と思うと、自然と微笑みが浮かんだ。
 神父も斎主いなければ指輪だってない、今はただ、愛しい目の前の人に誓う。自分に誓う。
「──私、悠宇は、零さんを生涯の夫とし、一生愛し続けます。例え何があっても、感謝を忘れず、夫を信じ、敬い、一生支え抜くことを誓います」
 零さんが破顔した。泣きそうに、幸せそうに、笑う。そうして、誓いのキスを交わした。
 私で、いいのかあ。じわじわと込み上げてきた暖かい幸福感から、ほとんど声にならない言葉が浮かんだ。
「バカだな。君がいいんだよ」
「──え」
「だだ漏れだぞ」
 口角を吊り上げて愉快そうに言い放った零さんに、焦った。
「まじか、え、嘘やん。ほんまに?」
「あはは!」
 疑い三拍子を口にした途端、零さんが哄笑した。厳かな雰囲気もなにもあったもんじゃない世紀の大爆笑である。三十秒前を振り返れ。先に空気を壊しにいったのは私という非難は受け止めるが、それにしても笑いすぎや。
「ええ……ほんまなんなん?」
「あー、笑った。ごめん。……おかえり」
「はぃ?」
 何を言ってるんや、この人は。とうとう頭バグったのかと思いっきり胡乱気な声を出してしまった。花嫁のお淑やかさなどなかった。
「……ただいま?」
 首を傾げながら言うと、またくしゃりと破顔する。
「悠宇、何よりも君を愛してるよ」
「──っ、!」
 脈絡はさっぱり分からないが、分かったこともある。どうにも、この人は本当に、私のことを愛してくれているらしい。……私は、この人の隣に立っても、いい、らしい。自覚したことで込み上がってきた熱いものを、せっかく施してもらった化粧が崩れる、と必死で飲み込んだ。
「う、わ!」
 切り替える間もなくひょいと横抱きにされ、慌てて零さんにしがみついた。
「れ、零さん! まじかこのまま行くん?」
 教会をゆったり歩く零さんに思わず確認した。
「ダメか?」
「いやいやいや大丈夫やから。カメラマンさんびっくりするから」
「……仕方ないな」
 ちょっと悩んで下ろしてもらえたが悩まず下ろしてほしかった。顔面至近距離は今でも心臓に悪い。
「カメラマンさんって、零さんの知り合いですか?」
 再び手を絡めて並んで歩きつつ、疑問をぶつけた。
「……ああ、実は部下なんだ」
 少し決まりが悪そうに首をかきながら言って、歩調を緩めた。
「その、こういうプライベートに巻き込むつもりはなかったんだが……雑談ついでに率先名乗り出てくれたものだからつい、頼んでしまってな」
 なるほど風見さんかな。のみに行ったのかな。
「実際短期間とは言え、潜入でカメラマンをしていたくらいだから、腕は保証する。実は君も一度顔を合わせたことがあるんだか……」
 風見さんやな。そんなことしてたことあったんや、さっすが右腕やるぅ、と脳内で雑に褒めちぎった。
「多分君は顔を覚えていないと思う」
 おい誰や。風見さんじゃない、だと……!?
「犯人を一瞬とはいえ取り逃したのは本来大減点ものだが……おかげで悠宇と会えたんだから、仕事ぶりとしては悪くないのかもな」
「ん?」
 軽口を叩く姿に首を傾げた。
「僕の顔は写さないことは把握しているが……それ以外、後ろ姿なんかは今日だけ多めにみるよ。だから、最後に一枚選ぶぞ。そのつもりでいろよ」
「選ぶ? なんのために?」
 話題が移り変わり、私の両親のためだろうか、と浮かんだが、だったらここまでやるとは思えない。
「部屋に飾っておけ」
「……気付いてたんや」
 ぱちくりと瞬きして、囁き声を出した。一度持って帰り忘れた、あの写真立てに気付いていた。それからこの計画を企てたのだと分かって、自然と頬が緩んだ。
「まあな」
「ありがと。……ね、零さん」
「なんだ?」
「大好き!」
 私の一世一代の叫びを受け、零さんはきょとんとしたのも束の間、また美しい笑みを浮かべた。笑っちゃうほど陳腐な言葉やけど、世界はこんなにも輝いている、と心底思った。

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