推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 39

 エステのフルコースでぴっかぴかのつやつやになり、ほくほくと家へ向かった。何あれすごい、語彙力が奪われる気持ちよさ。顔や腕、背中はもちろん普段は怠るデコルテなんかも念入りだった。なんならシェービングサービスまでついててびびった。最初は緊張したものの、私としたことがいつの間にか夢見心地になっていた。そして当然のようにお支払いは事前に済んでいた。つらい。プランすら謎で、ただお姉さま方の誘導に従うのみの最高のお時間。全く、わけがわからないよ。とりあえず高いエステすごい。学んだ。
 うきうきで家事をしようとしたがまたもや仕事はなく、零さんからの今日は帰れないというメッセージが日付を跨ぐ頃に来て、ですよね、と苦笑いして布団に潜り込んだ。二人用のベッドは相変わらず大きくて持て余す。また悪夢を、守れなかった人達の死体に囲まれた夢で、必死に逃げ惑った。その先で、目の前で零さんは撃たれて命を落とし、そのショックで目が覚めた。紅茶を飲んで腕時計に縋って気分を落ち着け、なんとかまた眠ることができた。

 朝目が覚めても零さんの姿があるはずもなく、そのくせどこか期待してしまったのだろう、起床早々重い溜息をついた。
 活動を開始し、ラフな服装とベースメイクだけで近所にあるお気に入りのベーカリーでパンを買ってきて、紅茶と共にニュースを見ながらゆっくりモーニングをした。何をするとは決めてなかったが、昨日のメッセージからも一人勝手に出かけるのは気が引けた。何時のつもりなんやろうな。ご飯か、お酒か。大っぴらに外では会えない以上、やれることは限られてくる。それでも外出の可能性を考えて、クローゼットの前で頭を悩ませた。最高気温は四月にしては高い二十七度で、降水確率は一〇%と天気予報で言っていたな。結局無難に、と黒のワイドパンツに白いブラウスを合わせた。それから昨日のおかげで調子のいい肌にポイントメイクを施し、零さんに会っても構わないスタイルの出来上がりだ。
「さて。どうしよう」
 張り切ってみたが、時間を決めているわけでもないし。色々ゆっくり活動したにも関わらず、現在時刻は十時少し前。……これ三十分後には浮かれっぷりに恥ずかしくなるやつや。言葉にしていないが、一応の約束に舞い上がってしまっている。ピンク思考の自分を脳内で蹴飛ばしておいた。春だからか。春だからかなのか。もう四月下旬に差し掛かり、もしこのままだと来週にはあのゴールデンウィークだ。あの人の、映画の時間軸が迫っている。……本当に、忙しいのに帰ってくるんかな。逆に考えてみれば、忙しさがましだとしたら、また時間が戻るのかもしれない。ポジティブに考えよう。
 落ち着かないまま英字新聞を読むこと十五分、スマホが着信を知らせた。わざわざ電話というのは、どういう要件やろう。
「──僕だ」
「どうしたの?」
「十分後に迎えに行く」
「……う、うん。どこか行くの?」
 連絡がギリギリすぎやしませんか、と思ってこの近辺でまたなんかあったのではと少し疑ってしまった。
「ああ。出かける準備をしておけ。君のことだから、もうしている気がするがな」
「なぜバレたし」
「分かるよ、悠宇のことなら」
 そう言って零さんがくすりと笑う声がした。
「慌ただしくて今日の予定は正確な時間が分からなかったからな……。昨日連絡を入れたのが十二時前で、君の休日の平均睡眠時間は八時間。今の部屋の状態ではやることも浮かばず、二時間あればゆっくりしていても準備ができて暇を持て余している頃だ。小説を読んでいたか、あるいはニュースか、といったところだろう」
「やっぱ監視カメラついてる?」
「はは、つけないよ。他人に見られたくないからな」
「じゃあエスパーか」
「そうだとして、君限定の、かな」と言ってまたくすくす笑った。それから、じゃああとで、と付け加えられてプツリと通話が切れた。キザったらしい言葉も、イケメンイケボ無罪。普通の言葉でさえキラめくというのに。



 ショルダーバッグに荷物を詰め込み、そわそわとダイニングで待機する。玄関で待ちたいくらいやけど、それは浮かれてますと全面に出てしまうので却下した。ドン引きされたらどうしよう。
 服装、荷物、腕時計、ネックレス。忘れ物なし、服装よし。いけてるはず、と何度も確認しつつ忙しなく腕時計で時間をみる。前に二人で出かけたのって、これを買いに行った時以来やっけ、と思い至った。感覚的にはもう数年前な気がしてくるけど。
 本当に、油断するとすぐ零さんに恋してる私が顔を出してしまう。
 玄関の方から鍵の音がして、家主の帰宅を告げて立ち上がる。浮かれっぷりを披露しお出迎えするか迷う短い時間のうちに、零さんがリビングまで来てしまった。ブルーのシャツに黒のテーパードパンツというシンプルな姿だが、イケメンなので何を着ても似合う。
「ただいま、悠宇」
「おかえりなさい、零さん」
 緩く微笑む零さんに抱き締められ、慎重にその背中に手を回した。胸に頭を押し付けると、とくとく、と心臓の音がした。大丈夫、生きてる。確認後間もなく、あっさりと体が離れた。
「悠宇、ガルボハットとサングラス持ってたよな」
「え、あ、女優帽か。うん」
 突然告げられた質問の答えについて考える。確かに、いつだったからかぶってきて、そのままこちらに置きっぱなしや。そもそもはいつぞやの変装の関係で買った。サングラスも、同じ理由だ。つまりは普段から使うものでもないので、東都に置いてみたんやっけ。こっちの方が使うかもしれないと。あの普段と傾向の違う服こそ捨てたものの、ウィッグや小物類は未だに、自宅の箪笥の奥に隠してある。
「それ持って、出かけるぞ」
「り、了解!」
「急ぐ必要はないからな」
「……なんで分かるかな」
 走り出す前に止められてしまってむくれた。
「エスパーだからかな」
「脳内覗き魔」
「酷い言い草だ」と明るく笑って、零さんはキッチンに水を飲みに向かった。

「これでいい? ドライブでもするの?」
 つば広の帽子とサングラスで顔がほとんど隠れた。外に出るための姿だろう。サングラスというほど真夏ではないが、仕方ない。マスクすると隠してます感あるもんな。芸能人かよ、みたいな。車も運転手も目立つだけにセットで認識してる人も少なくないやろし、となるとどこかで目撃されかねない。それで零さんじゃなくて私が顔隠してるんやろけど。この人はそういうのどこまで考えてるんかなあ疑わしく思う。時々、本当に無自覚すぎて心臓に悪い。忍べよ潜入捜査官。逆にバレないって? 程度ってもんがあるやろ。JKで炎上させてるからアウト。ネット、危険。情報ダダ漏れや。公安ってそういうのに敏感なんちゃうんか。風見さんの胃に攻撃しかけるのやめよう?
「そんなところかな」
「遠出なの?」
 サングラスを外して手に持ったまま、零さんに尋ねた。
「ああ、ちょっとな」
 行先は教えてくれないらしい。軽い気持ちで質問を続ける。私的なものか、それとも何かあるのかくらいは心積りが変わるのでできれば知っておきたい。
「……デート?」
「うん、デート」
 にこりと笑う零さんにどきりと胸が高鳴って言葉に詰まった。何度見ても慣れない。慣れたらいけない、とは思ってるのだがそれ以上の破壊力を兼ね備えている。この笑顔は守るべきものであって、尊いものやから。忘れてはならない。
「行こうか」
「う、ん」
 部屋を出てから車までは無言で、RX-7に乗ってサングラスをかけてから再び口を開いた。
「昨日の予約、ありがとう。至福の初体験だったよ……お姉さま方綺麗だし、わけわかんないいい匂いするし、マッサージ気持ちよすぎるし、お肌つるぴかになるし」
「それは良かった」
 降谷さんが愉快そうに笑う。
「ほんとに、良かったの?」
「もちろん」
「優しすぎて怖い……なにこの幸せ……この後何が待ってるの……」
「っく、はは! 本当に相変わらず妙なところで疑り深いな」
「だって、人生山あり谷ありって言うし。幸福量保存の法則?」
「心配しなくとも悪いようにはしないよ」
「そこは心配してない。でも幸せがあれば不幸があるやん……どこでどうバランス取られるのかなって」
「プラスマイナスゼロになると本当に信じてるのか?」
「いや、全く」
「だよな。そういう不確かな話を信じるタイプじゃない。雑学として記憶してるだけだろ」
「零さんほどは知らないけど」
「そうでもないさ。知らなくて驚くこともあるよ」
「ほんとにぃ?」
「ああ」
「例えば?」
「……そうだな」
「おい」
 出てこないやん。ダウト。
「……例えば、君の好きな作家のことは知らなかったし」
「それ雑学じゃない」
「知らなかったという点では同じだよ」
「なんという詭弁」
「この前レンタルしたと言っていた映画もそうだな。賞を取っていたのに監督の名前も知らなかったよ」
「……宇宙で一人ぼっちになるやつ?」
 どちらも、こちら側のものなのだから全くもって当然である。言い換えれば、ボーダーラインは健在ということなんやろうな。
「それ。あとさすがというか……医療の知識は豊富だな。本職でない領域まで網羅してないか? カツオノエボシに刺されたら真水ではなく海水で洗うとか、マムシの毒が遅効性なこととか、クサノオウの薬効と毒性の話もした」
「そういうの、私が知ってて零さんが知らなかったことってあった?」
「…………ないな」
「ほらー!」
 私が必死にかき集めた知識が標準装備の零さんと、おそらくコナンくん。勝ち負けではないけど、こちらのアドバンテージなんて世界線の違いに伴うことくらい。うっ目から汗が。
「けどバイタルサインや薬、病気なんかは門外漢だよ。警察官としての最低限だ」
「そこまで網羅されてたら本当に泣く。私の大学生活を返せ」
 憎々しげに言うと、はは、とまた零さんが笑い声をあげた。
「あと、絶対最低限ではない。私には分かる」
 愛しい横顔に見蕩れたのを誤魔化すように付け加えた。
「そうでもないよ。僕を過大評価している」
 昨日のコナンくんと同じ言葉に少しおかしくなって笑った。

 そうして雑談をしながら、東都を離れて海沿いを走った。
「うわ、綺麗……!」
 窓からの絶景を眺める。
「ああ。晴れてくれて本当に良かった」
「……いつになったら今日の予定教えてくれるの」
「もうすぐ、分かるよ。その前に昼を食べようか。軽い方がいいな」
「サンドイッチとか、蕎麦とかお稲荷さん……あとは点心?」
 和洋中と適当に挙げてはみたものの、零さんの行けるお店ってあるんかな。なければ私が毒味するからいいけど、と思案した。本当にないのならハムサンド持ってくるとか何かしてるはずやし、という信頼感もあった。
「いなり寿司、このあたりだと関東風になるがいいのか?」
「そっか……こっちは俵型になるっけ」
「ああ、関西では三角の五目稲荷が主流だろう」
「うん。これは戦争が起きるやつだ」
「なら平和的に蕎麦といこうじゃないか」
「了解しました!」
 海沿いから離れて、古民家で十割蕎麦を食べ、少し街を歩いた。食べる時以外ずっと身につけている帽子とサングラスのせいで、妙に目立つ。そろそろ時間だ、と声をかけられて再び車での移動を開始した。そろそろ教えてくれてもいいのに。秘密にしなければいけないこと、と想像力を逞しくしてこの穏やかな時間とのギャップに怯えた。

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