推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 32

 やっぱり零さんの寝顔は見られなかった。穏やかに眠っているのならいいんやけど、なあ。夜のお相手としては精一杯応えたつもりだが、如何せん体力差がありすぎる。数時間絡み合った末に意識を手放すこととなった。日々のトレーニングを増やすか、と真面目に考えたけれど人間離れはできないので生活のバランスが崩れるだけかと断念した。
 いまいち回らない頭をゆるりと起こすと、広いベッドを占領している自分を認めて孤独感が募る。
「……しずか」
 淋しいと思ってしまった。声に出してますます後悔の念に襲われる。肩書きだけは妻。待ってることが一番の仕事やっていうのに。ほんま、失格やな。



 そして私は日常に戻る。受け入れ態勢万全の快適なお部屋を保ち、病院であくせく働いて、英語を勉強し、ジムに通う。友達とランチして、部屋で一人映画鑑賞をして、紅茶を飲み、時々梓ちゃんと電話をする。そんな代わり映えのない生活を過ごした。
 変わったことと言えば、前よりも零さんのことを考える時間が増えたことくらいか。無意識で腕時計を触ってしまう時が増え、コーヒーでポアロを思い出す。ホットコーヒーは今まで以上に飲まなくなった。どこが美味しい店は分からへんし、好みでない味であの味の記憶が霞みそうで嫌やった。念願の、あの二人の働く空間は美しかった。安室透は仮初の存在やけど、平和な日常がきらきら輝いてた。
 共通の知人となったからか、梓ちゃんから安室さんが、安室さんが、と度々報告を受けるようになった。生活の多くを占める職場でのことなのだから、当然と言えば当然の流れやな、と複雑な思いを抱えた。買い出し中の出来事や、新作ケーキ、勤務をすっぽかした愚痴などがどんどん耳に入る。嬉しくて、尊くて、それでいて少し切なかった。私が愛する推しは安室透ちゃう、降谷零やから。こんな身勝手なことを言えるはずもなく、増してやトリプルフェイスの実態がある以上は明るく笑って話を聞くばかり。梓ちゃんがいちいち面白おかしく話をしてくれるのは、救いと言えた。情報収集の一環ではなく、可愛い友人とのコミュニケーションの一環と扱える。
 一方で、良くも悪くも主人公への取っ掛かりはなかった。個人情報を弁えている梓ちゃんは、お二階さんが、と周知の事実である眠りの小五郎ついて触れることこそあるが、そう多くない。主人公やヒロインの名前を無闇矢鱈に呼ぶことはない。振り返れば、安室透の名前も随分出てこんかったな、と思い出す。江戸川コナンと珍しい名前故に、話題にあがった時の対応を決めかねている。自己紹介し合ってしまったのが、今後どう影響するんか分かったもんじゃない。ここまで来てしまえば関わるまいと決めたストーリーも、何らかのパイプを持つことへの未練はあった。何か助けられるんちゃうかな、と根拠の無い無謀な思いが何度も浮かんでは叩き潰した。

 そんな折、ついに両親の襲来が決まってしまった。何かと理由をつけて断り続けた家庭訪問が強行突破されてしまい、明日に控えたイベントで胃が痛い。先延ばしを繰り返すんはあかんな、と反省した。この「一年」さえ乗り切ったらええんや、というのは甘い考えやった。やっぱ親には勝てへんわ。
「明日だよな、ご両親と会うのは」
 忙しいやろうに、夜に零さんが電話をかけてきてくれた。この所はヘッドセットを使うようになり、今日も食後の皿を片付けながら会話をしている。何となく我が家の「神棚」にちらりと視線を向けた。
「うん。近所でランチして、うちでちょっとだけお茶してからお買い物に出る予定」
 できるだけ滞在時間を短くしようと奮闘した結果の着地点でそういうスケジュールになった。
「そうか。不便かける」
「ううん、全然」
「まだ挨拶もできていないし、いい加減ブチ切れられているだろうと気が気じゃないよ」
「それは私が説得しとるから。ほんまに大丈夫。私そんな嘘つかへんって」
「それは分かっているが……ちょっと、心配だな」
 どうにも疑われてるのは気概ではなく能力の問題らしい。困ったな、と思いながらテーブルを拭く。
「んー、うまいことやってるつもりなんやけどなあ。実家も友達も職場も?」
「なんて説明してるんだ?」
「あー、うん、今も多忙な人やからで押し切れとるよ」
 そう言ってはみたものの、脳内では多忙な束縛系ゴリラと別居婚、の文字が踊り狂っている。
「へえ」
「一部では海外って勘違いされとるけどほったらかしてるわ」
「──それで、どうやったらゴリラという言葉が出てくるんだ?」
「すみませんでした!」
 バレとるやん。まじか。どっからや、心当たりしかないんやけど。鋭い声音に、電話口にも関わらず反射で体を直角に折った。テーブルに頭をぶつけかけた。
「肯定という事は、発端はやっぱり悠宇だな。全く、僕をなんだと思ってるんだ」
 うわ、墓穴掘ったか。呆れた口調で、怒ってはないことにひとまず安堵して頭をゆっくりあげる。
「あー、なんというか、ヒョロい人やないでマッチョやでとお伝えしようとした結果でして」
「極端すぎやしないか」
「仰る通りでございます」
 はあ、と溜息をつかれてぴしりと背筋が伸びた。断罪の時間や。
「君のことだから、僕の外見イメージとの齟齬を狙ったんだろうが……」
 シンプルに口が滑っただけやけど、勘違いしてくれているらしい。観覧車の上での全力格闘も素手フロントガラス破壊も本来は知る由もないことやから、ある意味あるべき形なんかもしれへんな。知らんけど。
「多少なりとも本心だ。違うかい?」
「……ハイ。……ちょっと、初対面の記憶が先行してまして」
 人体から通常発されるはずのない効果音と共に犯人を捕まえたことは、未だによくよく覚えている。あれが私視点の万国超人ビックリショーの幕開けやった。
「ちょっと確保しただけだが、第一印象とは厄介なものだな」
「ああうん、そうやね……」
 鈍感さだけは何とかして欲しいわ、と時々思う。
「だが懐かしいな。あの時はこんな関係になるなんて思いもよらなかった」
「それは私もや」
 話題の移り変わりに胸をなでおろして、止まっていた手を動かし始める。
「縁は異なもの味なものとはよく言ったもんだ」
「まあ天文学的確率ではあるもんなあ」
「奇跡って言いたいのか」
「どちらかというと山の芋鰻になるって感じやけどな」
 だって、本当に「ありえない」ことなんやから。そんなにか、と零さんが喉を鳴らして笑った。



「で?」
 ランチのパスタが運ばれてくると、父は店に着いてからへの字に曲げた口を開いて低い声を出した。
「もう、お父さん言い方ってもんがあるやろ。旦那さんとうまくやってるんか?」
「うん。なかなか会えへんけど、連絡はとっとるし」
「あんたそれ最低限やで。ほんまに大丈夫か?」
 くるくるとパスタを巻きつつ、母が呆れる。
「ほんまに忙しい人やからなあ。ほんまは電話してないで寝て欲しいくらい」
 ふん、と父が鼻を鳴らした。
「昨日も連絡くれて二人に挨拶したがってたんやけど、そんなんやから私から無理矢理断っちゃった」
「そんなに忙しい人なんやなあ」
「過労死しないのが不思議なレベルやな。多分あとそこそこで仕事落ち着くはずなんやけどなあ。まああの人の事はまたうちで話すわ。何買いたいんやっけ?」
「財布新しくしよ思ててな」
「おっけー、目星つけてんの?」
「全く。また長財布がええなあ。あ、二人で買い物しとる間、お父さんはなんちゃら展行くんやて」
「ふうん?」
「なんちゃら展とはなんや」
 百貨店の催事場で行われる展覧会について、滔々と説明を始めた。あー、これ話長くなるやつや。まあ、ここで零さんの話せんで済んだけども。

 両親を連れて、どきどきしながらマンションの前まできた。
「今住んでるのがここ」
「え、ここ?」
「うん」
 ぽかんとする二人を連れて、エレベーターに乗って部屋に向かう。
「えらい厳重やなあ」
 ははあ、と母が感心する。
「トリプルオートロックやな。安心やろ?」
 最後の鍵を開け、二人を中に入れてパチリと電気をつけて、「二人のスリッパないわ」と伝えてそのままリビングに進ませる。
「いらっしゃーい」
「えらい綺麗やな……あんたここの家賃いくらするんや」
「イキナリそこ?」
「このあたり地価も高いやろ」
 父が目を細めて部屋を見回しつつ、部屋の隅に荷物を置いた。
「家賃はまあいいお値段するな、あはは。フィナンシェあるんやけど、飲み物何にする?」
 もてなすためにカウンターキッチンに入り、まずは電気ケトルにお湯を入れる。
「コーヒー」
「インスタントやけどいい?」
「構わん」
「うちは紅茶で」
「はいはい。ソファにでも座っとって」
「ちょっと見てからね」
 父は部屋を歩き回り、母は水周りをチェックし始めた。二人の動きに注意を払いつつ、コーヒーと二人分の紅茶を準備していく。
「──ちょっと何、お風呂広いじゃない」
「どれどれ?」
 賑やかやなあ。一人ではないこの部屋は初めてで、そのことに慣れ切ってしまっている分、少し過敏なくらいハラハラする。

「ええなあ、うちもここ住みたいわあ。快適や、ずっとおれる」
 フィナンシェの最後の一口飲み込んで、向かいに座る母が溜息をついた。
「あはは、ちゃんとお父さんと帰ってな」
「どうしよかな」とにやにや笑う。やめろ。
「立地、セキュリティ、間取り……本当にいい部屋やな」
 母の隣で父が言う。ランチの時より幾分顔の厳しさが和らいでいるのはいい傾向やな。
「キッチンも綺麗やし。ほんまええ暮らししとんなあ」
「悠宇が選んだんか?」
「零さんがいくつかピックアップして、そっから私が」
「そうか。その点は認めてやってもいい」
「認めるも何も既に結婚しとるんやから。もー、諦めなさいな。この人ずっと拗ねとるんよ」
 あっけらかんと笑って言う。
「そんで、古谷れいさんってどんな人なん? あんた全然教えてくれへんやん。写真すら送ってくれへんし、こっちに帰ってもこんし」
「あー、ごめん」
「ほんで? 写真は?」
「ない」
「えっ?」
「ないねん。私が率先して人の写真撮るタイプちゃうし、向こうもそうやし」
「嘘やろ、本気で言っとるん?」
「ごめんって。そういうお母さんのデータフォルダにお父さんおる?」
「あ、おらんわ」
 あっさり言ってのける母の隣で父がちょっとショックを受けているが、見なかったことにした。
「そやろ。なんかちゃんとした機会ないと撮らへんもんやん」
「そう言われたらしゃーないなあ。そういやあんた、指輪してへんのやな」
「ああ、代わりにこの腕時計買ってもらってん。病院やと衛生的に指輪は微妙やし」
 袖を捲って二人に見せる。
「あんた無くしそうやもんな」
「……センスも悪くないな」とショックから回復した父がブランド名をあげて唸る。よしよし、いい流れや。上から目線なんが気になるけど。
「稼いどる人なんやなあ」
「そう言えば、れいとはどういう字なんだ」
「言ってへんかったっけ。数字のゼロやな」
「そんで? どういう知り合いなん?」
「旅行先で知り合ってん。落としたスマホ拾ってくれて」
「あら、意外とロマンチックな出会いやないの」
 実態はロマンチックから程遠いが、決して言うまい。母の中では落としましたよ、などと拾って爽やかに微笑むイケメンの姿が構築されているに違いない。安室透なら有り得たかもしれないが、如何せん、私の夫(仮)は降谷零である。
「そっから連絡先交換して、時々会うようになって」
 親に説明する気恥しさで、視線がさまよい、つい祈るように神棚で止まる。
「ふーん。結婚の決定打は?」
「あー、向こうのトラブルで、ちょっと」
「……分かったで! 零さんに見合い話が来たんやろ!」
 どうしてそうなった。二次創作の政略結婚ネタかな? 頭を抱えたが、そう言えば母の影響で漫画にのめり込んだんやったな、と思い出す。母の脳内はファンタジーやった。その上「なるほどな」と父が神妙な顔で頷くもんやから、なんとも否定しづらいムードになった。ティーカップに手を伸ばすと、父と少女漫画スイッチの入った母、二人の間でどんどん勝手に話が進むので好きにさせておいた。口を挟むとややこしい。
「零くんの御家族への挨拶もないと言っていたしな」
「天蓋孤独の零くんに、悠宇のことを知らない上司が見合い持ってきたら断るに断れへんし。いや、3K揃ったイケメンならどこぞのお嬢様が猛アタックしてもおかしくないんよな。その線もあるか……そら一旦籍入れるわ。既成事実作ったら勝ちやもん。あんたどえらい相手捕まえたなあ」
 おい、どっからツッコんだらええんや。暴走機関車に待ったをかけたのは、テーブルに伏せて置いた私のスマホが告げる着信音だった。
「──え」
 画面に示された数字の羅列は降谷零のもので、慌てて通話ボタンを押しながら立ち上がる。手の甲でペンギンちゃんが弾んだ。
「今、大丈夫か?」
「えっと、親に零さんの話をしてたとこ」
「なんや、噂の零くんか!」
 ちらりと振り返ると、母の目が輝いているし、父も前のめりになっている。
「ちょうど良かった。スピーカーモードにしてくれるか」
「う、うん」
 元の場所に戻り、そっとスピーカーモードにしてテーブルに置く。緊張で背筋が伸びる。
「──初めまして。降谷零と申します。ご挨拶がこんなにも遅くなった上に、本来は直接ご挨拶に向かいたいところ、この様な形になってしまって申し訳ありません」
「いえ、娘から随分お忙しい方と聞いています」
 先程のハイテンションはどこへやら、母が突然余所行きモードになっている。この自由人の余所行きモードは果たしてどのくらい持つんだか。大らかというか、奔放というか。つまりは胃が痛い。
「だとしてもお怒りのことと思います」
「いや、私が断ったんやん。そもそも私と零さんの都合すらなかなか合わへんのやし」
「それでもだよ。大切な娘の結婚相手がよく分からないなんて、心配しないわけがないだろう」
「悠宇より分かっとるな」と小さく母が呟く。おい既に余所行きの皮剥がれかかっとるんやけど。
「二人で相談し、今でこそ別居婚という形になっていますが、いずれ悠宇さんを迎えに行きます。仕事が落ち着けば、二人で暮らす予定です。今、悠宇さんと悠宇さんのお父さんとお母さんにご心配やご不便をおかけしているのは重々に承知しているつもりです。
 厚かましいお願いとは分かっています。それでも、悠宇さんと僕の結婚を、どうか見守ってはいただけないでしょうか」
「お父さん、お母さん、不肖の娘でごめん。私は零さんを支えたいから」
 零さんの言葉にどきどきしながら、両親をまっすぐ見つめる。ふん、と父が腕組みして鼻を鳴らしたが、負けじと姿勢を変えない。
「成人した二人の話や、今更親が出張って許す許さんの話やない。今ここで認めへんって言ったって、悠宇の負担になるだけでなんも変わらんしな。ただ、筋は通さなあかんと思うんや。零くん、君には謎が多すぎる。悠宇はあんたのことを話したがらへん。そんなんでは手放しに祝福なんかできへん」
 一旦区切り、はあ、と溜息をついた。
「なんや事情があるんやろってんは、今までの話で分かっとる。それが落ち着くんに時間がかかるんもな。
 話したがらへんにしても、悠宇があそこまで手放しに誰かを褒めるんは初めて聞いた。あんたのことを好いとるんはよくよく分かった。君のことは全然知らんし、全然分からん。けど、うちの娘が不義理をするような阿呆やないことは分かっとるつもりや。せやから悠宇の選んだ君のことをひとまずは認めたる。君の言葉を借りるなら、悠宇を見守る。ただし、二つ約束せえ。悠宇を泣かせないことと、今度きちんと挨拶に来ることや。二人を見守るなんてのは、そっからや」
「──はい、必ず。ありがとうございます」
「お父さん……」
 約束という枷をこの人に増やしてしまったのが、どうにも心苦しい。
「で、式は?」
 母の明るい声が静かな空気をぶち破った。
「ちょっとお母さん!? 今の話聞いてた!?」
「聞いとったで。でも娘のウェディングドレス姿見たいやんか。それとも白無垢か?」
「全て片付いたら、式を挙げたいとは思っています」
「まじか初耳」
「そしたらその猶予期間のうちも痩せて綺麗になっとかな、写真写られへんわ! 零くん、イケメンさんって聞いとるからな」
「は、はあ……?」
「ちょっとお母さんやめて! 零さん忙しいのにありがとごめんね切るね!」
 これ以上余計なことを言う前に、一息に言って零さんの返事を待たずに切った。
「さ、買い物いこ!」

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