推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 29

「さて」
 また季節がすっ飛んだ。早起きは無駄となり、朝からソファでゲンドウポーズになる。突然訪れた二月の上旬に、命を賭けた恋愛中継が始まったのだと推測できた。私は今日も何もできない。見捨てたと言って過言ではない伊達さんの冥福を祈るばかりで、胸が詰まって食事も取れずふらつきながら仕事をし、帰ってから婚約して一年の記念日でもあったことを思い出す始末だ。色々とひどいが、メッセージひとつすらできないままその日が終わり、味のしない食事を詰め込み仕事にトレーニングに精を出して泥のように眠る生活を送った。それでも眠れない日に零さんを想った。物語は山場へ向かい、忙しいのか零さんからの連絡も随分疎らになった。風見さん経由などという裏ルートも碌に確立しておらず、何食わぬ顔で日々を送った。
 前にあった時は半年、と零さんは言った。ということは入籍して一年が経った今はあれからさらに半年が過ぎたということになるんやろう。この一年で顔を見れたのはたった一回だけ。想定の範囲内とはいえ、生きている零さんの姿を観測できないのは気が滅入った。文字でも声でもなく、姿が恋しい。安室透としての姿でもいい。待つと約束したのに、会いたい。ただ安心したいだけの私の我儘は絶対に言えへんけど。

 スケジュール帳を開くと、ミステリートレインの日が今日になっていた。そろそろ残り知識の少なくなってきた原作追いかけることの不毛さを感じつつ、何をするでもできるでもないがやめられない。
 久々にテニスをしたという安室透からの雑談や、怪盗キッドのニュースで時間の経過を感じながら、東都に絶対に行かなくなった。それどころかどこで会うか分からない関東自体を忌避するようになった。こればかりは学会も、もちろん梓ちゃんや旧友からの誘いも理由をつけて断り続けていて、一年前とのギャップでそろそろ言い訳が苦しい。
「悠宇、行かへんの?」
 課業後医局で明日のカルテを再確認していると、ノックと共に隣の部署で働く大学時代からの同期がふらりと現れた。十中八九、その日はと昨日断った東都への同期での小旅行の件だろう。飲み会と共に参加率の悪くなった私をめげずにいつも誘ってくれるのはすごく嬉しいが、東都へは行けない。行きたくない。
「あー、ごめん」
 パソコンから目を離して謝るが、気まずくて視線が泳ぐ。
「ここ一年くらい付き合い悪すぎへん?」
 気が強く、よく企画者にもなる彼女がどこかで直接探りを入れてくるのは想定の範囲内だったが、断ってからこんなに早いとは。思っていた以上に心配をかけていたらしくて、二重の意味で謝罪する。
「ちょっと都合悪くて。ほんまごめん」
 歯切れ悪く謝り続ける私に、彼女が僅かに苛立っているのを感じる。率直な物言いをするタイプだから、こういうのは嫌いなのは知っている。でも私は説明する言葉を持ち合わせていない。
 ズカズカと部屋に入ってきた同期にあんたちょっとのみに付き合え、と丸め込まれそうになって、そこまで断ることはないけどこの流れは良くない。確実に追求される。
「既婚者無理に誘わんときやー」
 奥のデスクで作業をしていた事務員さんが、見兼ねたらしく助け舟を出してくれたのだが全くフォローになっていない。なんとかこの一年触れられずきたことが、恐らく陰で散々槍玉にあげられていたことが、このタイミングで遂に明るみになった。
「……既婚者?」
 残っていた部署内の数人分を含めた視線が事務員さんに集中し、誰かが言った。
「あれ、もしかして言っちゃマズかった?」
 空気を察して事務員さんの顔が引き攣る。無理もない、手続きした側からすれば、結婚などという内容は周知の事実という認識になるものだ。
「まじか」
 もしかして、広まってなかった……?
 道理で、と独り言が漏れる。
「結婚、してたん?」
 絶望的な顔の彼女は、そう言えばここ一年ほど彼氏がいないと嘆いていたんやった。
「あー、うん。そうやな」
「嘘やん」
「ごめんやけどガチやわ」
「ブルータスお前もか、おめでとう」
「あ、ありがとう」
「ちょっと待って理解が追いつかない。え、いつから? いや待って心の準備させて。ご飯いこ話はそれからや」
「あいあいさー、あと十五分で終わらせまーす」
「私が落ち着かんから三十分待って!」
 諦めて仕事に見切りを付けたにも関わらず、彼女は逃亡し置いていかれた。まじかこの空気どうすんの?
「あー、ちょっと事情がありまして。ちゃんと説明できてなくてすみません」
 へこへこと愛想笑いしてみた。効果はないようだ。
「え、いつから?」
「春くらいに引っ越したんってそういうこと? 同棲やったんか!」
「それだ」
「相手誰なん? 彼氏おったんすら知らんかってんけど」
「私もです」
「俺も俺も」
 騒然として口々に騒ぎ始め、なんやなんや人が増え、詰め寄られる。
「で、どうなん」
「あー、いや。はい」
 お手上げのポーズで意味の無い言葉を発する。
「ええと、籍は入れましたが、遠距離でして。式も何も無かったので広まるに任せてたんですが……あは」
 助けて。



 俄に騒々しくなった周囲とスマホの通知に耐え忍ぶ日々が始まった。三井と朝倉からは翌日には連絡が来て、情報の早さにドン引きした。結局あのあと急遽集められた四人の同期会で問い詰められた。遠距離で、と繰り返して逃げ続けたところ、東京どころか海外説から果ては鬼籍まで提唱され、鬼籍だけは全力で否定しておいた。勝手に殺すな、洒落にならんわ。同期に詰め寄られて、流れで多忙なゴリラと説明してしまった。すごく残念な目で見られた。咄嗟に出てきた言葉がゴリラだったから仕方がない。警察とは言えない、私立探偵もアウト臭が凄まじいし、多才なイケメンなどという惚気も論外にしたって我ながらあんまりだ。自分の発言に顔を覆って打ちひしがれていると、飲み会や旅行に控えめになったのも、遠くにいる旦那のためなのかと話が勝手に盛り上がる。間違ってないけど間違ってる。私がそうしてるだけやから、と言っても全く聞く耳を持たない。そういう自由奔放なメンバーやったな畜生。
 ──つまり、束縛の厳しい多忙なゴリラと遠恋ならぬ遠距離結婚ってこと? とまとめられて以降深くは追求されなくなった。何かあったらいつでも相談に乗るから、と各所より生暖かい目を度々いただくことになった。弁護士の友達おるから、とまで言わしめた。安心してそのゴリラの頭に六法全書詰まってるから。
 零さんに全力で土下座したい。今なら華麗なスライディング土下座をキメられる自信がある。これはひどい。



 職場で時の人になり、人の噂も七十五日と念仏のように唱えながら居心地の悪さに慣れた頃には、マカデミー賞の発表が迫っていた。いつの間にか緋色シリーズに突入していたらしい。零さんは大丈夫かな。誰より憎い赤井秀一の生存を確定させる日のはずや。しばらく零さんと連絡はついておらず、何度か一方的にメッセージを送っているが既読になるものの返事はない。あかん、赤井秀一しか見えてないな。マカデミー賞の発表から三日経って、やっと連絡できなかったことを謝るメールが届いた。そういうんちゃうのに。烏滸がましくも零さんの精神状態が心配でも、弱みになりうる私が渦中に飛び込めるはずもなく歯噛みする結果となった。



 ニュースはプロ棋士羽田秀吉が将棋の七大タイトルのうちの最後、名人位に挑んでいることを告げる。今って、どこ。いい加減時系列があやふやだ。頭を悩ませていると、結局断り切れなかった同期四人での旅行の日が来た。行先は全力で東都を回避したものの、次点に上がった長野になった。とても嫌な予感がする。長野と言えば、諸伏景光の故郷じゃなかったか。



「え、鎌鼬?」
 旅行中に車内で上がった話題に脳が警鐘を鳴らす。記憶も記録も怪しいが、それ、絶対あかんやつ。
「そう。なんかネットで話題になっとるよ」
「それ知ってる。旅館のやつやんな」
「待って調べる……これか。ん、山ん中やけどこっから一時間くらいやん。行ってみる?」
 良くない流れに、やめとこ、と言ってみたが、あんたホラー大丈夫やろ、とドライバーに説き伏せられて為す術もなく死神の元へ急行する羽目になった。頼むから日がズレててくれ。なんでこのメンツ強すぎるん。ホラー嫌い一人くらいおってもええやんか!
「かまいたちと温泉! 決まり!」
 企画者が予定変更を宣言し、私にとっての地獄が始まった。

 ──かに見えた。
「なんやこれ」
 いざ旅館につくと、既に規制線が貼られていて入れない。どうやら殺人事件は既に発生してしまったようだ。耐えた、と心から思った。しかし野次馬根性で覗きに行くと言い張る三人に対して酔ったから車で休んでる、と言い訳してキーを預かって車内に引きこもった。
 なかなか戻らない3人にやきもきしながら待っているのにどうにも落ち着かず、しかし先程水は飲み切ってしまっている。少し悩み、数分のことやし、外の空気吸いたいし、コナンくんは謎解きに夢中やろし、と一応メッセージを飛ばして自販機探しに車を出た。



「あったあった」
 少し歩き、建物の角を曲がったところで自販機を見つけた。主人公達は規制線の向こう側。隔ててこっちとあっち、分かりやすい。篭った車内から抜け出して外の冷たい空気に触れると少し気分が晴れ、自販機でココアを買ってその場でプルタブを開けた。これ飲んだら、水買って戻ろう。その頃には三人の熱も覚めてるやろし。
 疲れた、と一応自販機の影で伸びをする。移動距離の長い車旅はしんどい。ゆっくりココアを飲んで、自販機脇のゴミ箱にガコンと捨てる。
「──いの音声デ、あ?」
 まじか。缶の音に反応して角から顔を覗かせたのはガラの悪い色黒太眉と、眼鏡の少年。なんでや工藤。タイミング悪すぎるわ。内緒話は中でしなさい。風邪ひくやろ。
「こんにちは……?」
 服部平次はゆっくりと私に歩み寄り、不躾にじろじろと上から下まで見回す。忘れてくれてていいんですよ。ややこしいから。どくどくと煩い心臓を無視して、愛想笑いを貼り付ける。
「ねーちゃん、あんたどっかで会ったな……」
「おい服部、和葉ちゃんはいいの──」
「そうや、国立図書館や!」
 コナンくんの言葉を遮り、平次が私を指さして叫ぶ。
「……奇遇やな、探偵さん」
「お姉さん、平次兄ちゃんの知り合い?」
 きゅるんとした深いブルーの瞳で私を見上げる。くっ、可愛いじゃねーの。不覚にもときめいた。可愛いは正義、イケメンは夜の宝。
「昔ちょっとね」
「ボクの名前は江戸川コナン! お姉さんは?」
「──進藤悠宇」
 グイグイ来るなあ、と主人公の行動力にちょっと引きつつも返事をする。
「コナンくん。このご時世知らない人にホイホイ名乗ったらあかんよ。私が悪い人やったらどうするん? 危ない目あったことない?」
「大丈夫だよ!」
 いけしゃあしゃあと。嘘つけ。
「だって平次兄ちゃんの知り合いなんでしょ?」
 純粋なフリやめい、と言ってしまえたらどんなに楽か。いや地獄を見るだけやな。この世界の探偵は恐怖の対象やわ。
「進藤さん、か。そうやったな。あん時は逃げられたからな……」
「なんのこと? そうや、幼馴染ちゃんは元気?」
 笑顔で話を逸らすと、コナンくんが吹き出した。顔を赤くする平次にスマホをチラつかせてニヤニヤする。それを見て平次は赤くなったり青くなったりと忙しい。不躾やから呼び捨てにしてたけど、見た目小学生に遊ばれてちょっと可哀想になってきたから平次くんと呼ぶことにしよう。
「平次くん?」
「アホ、今和葉は関係ないやろ! あんたの話や。なんでこんなとこおるんや」
「ただの旅行やけど。鎌鼬がどうとかって、同行者が寄りたいって言い出して現在待機中。おーけい?」
 ほんまか? と顔全体で語る平次くんにガン見される。
「お姉さん、関西の人なんだね」
「まあそんなとこかな──ああ、じゃ、私は戻るから。ばいばいコナンくん、平次くん」
 震えてもいないスマホをチェックするフリをして、その場から逃げ出す。そして願わくば二度と死神コンビに会いませんように。せめて工藤新一の方でお願いします。もちろん一時的じゃない方の。
 車に戻る道すがら同期にめっちゃ電話した。

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