推しに尽くしたい話 | ナノ


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 梓ちゃんと待ち合わせしてショッピングをして、新しくオープンしたタピオカミルクティー行列に並ぶ。沖矢昴と遭遇してしまわないか、それが何よりの不安事項だったが、人口千三百万を超える東京においてそんな稀有なことも無いらしく平和な時間が流れる。話のうまい梓ちゃんが面白おかしく日常を話すので、少し警戒を怠ってしまっていたから単に気づかなかっただけかもしれない。
「あーあ、素敵な男性現れませんかねー」
 長蛇の列もやっと折り返し地点、という所で梓ちゃんが溜息をついた。じとりとした視線の原因は、考えるまでもなく直前に並ぶ高校生カップルだろう。九割を女性が占めるこの店において、よりによってバカップルの後ろというのは間違いなく失敗だった。
「私が男だったらめっちゃ立候補するのに」
「それいいですねえ」
 死んだ目が少し光を取り戻す。
「おっけーちょっと性転換してくる」
「タイですか」
「やな」
「パッタイ食べたくなってきました」
「私はガパオライスがいい」
「今度はタイ料理食べに行きませんか?」
「ええな。でもパクチーだめやねん。ナシでいけるとこなら」
「クセ強いですもんねー。あっ時間」
 梓ちゃんが私の腕時計を見て小さく叫ぶ。
「なんの?」
「実は最近のハマってるアプリのイベントがもうすぐ始まるんです」
「それはやろう」
 あちこちに話題が飛び跳ねまくるが、それはそれで心地いい。そう言えば清掃員ごっこを繰り返すうちに安室透との連絡がメッセージアプリに変わったなあ、と「ここ半年」の急速な発展に思いを馳せた。とはいえ、細々とした当たり障りのない雑談(私にとっては生存確認であり、零さんの忙しさの指標だ)は移行したものの、休みの都合など個人的な内容は未だにメールや電話を使っている。

 ポアロのシフトにと急ぐ梓ちゃんを米花駅で見送り、降谷邸に帰った。晩御飯はどこか億劫で、チーズやベーコンなどの簡単なツマミとしての食材を買って帰り、バーボンでハイボールを作る。明日はコスプレを教授してくれたオタ友に会う予定だが、夕方までは暇だ。掃除も終えた今、やることも無く突然空虚な気持ちに襲われた。
 私は一体何をしてるんやろう。梓ちゃんに深入りして、誰も助けられず、のうのうと生きている。今がいつかも分からず、どうかしてるのは自分ではないかと疑うが、日記帳に書いた暗号と現実の一致からそんな単純な話ではないと現実に戻る。あの人に笑っていて欲しいだけなのに、どうすればいいか分からない。待つと約束を交わした。でもほんまに、それだけでいいんか。私は未来を知っているのに。情報を使えないのが悔しくて苦しくて、でももう今更どうしようもない所まできてしまった。
 ソファに三角座りして膝に顔を埋め、涙を堪える。泣くな、泣くな。あの人は笑ってと言った。隠せ。自分の選んだ罪の道だ、後悔するな。……誰か大丈夫と言って。間違っていないと励まして。零さんのために私がある、それだけが心の支えになっている。これじゃ依存だ。
 その日はそのままソファで寝落ちしてしまった。やっぱり零さんには会えなかった。この精神状態で会ったらずぶずぶと依存の沼に嵌り込んでしまう気がしたから、これで良かったんやろうと思う反面、顔を見て安心したかった。とうに依存の領域に片足突っ込んでる自覚は、ある。零さんを支える権利を失ったら自分がどうするかは想像もつかない。あの人のいない日常が思い出せない。何を目標に何してたっけ。

 待ち合わせに早くついてしまい、待機がてらスマホをつついていると、ベルツリー急行で開催されるミステリートレインの告知を見つけた。



 一週間ぶりに梓ちゃんからメッセージが来たのは、ニュースでも見ようかと紅茶をマグカップに注いでいる時だった。テーブルに置かれたスマホのホーム画面に聞いて欲しい話があるんですけど電話いけますか、の文字を認めて即座にイエスの返事をしてテレビを切ると、直ぐに既読がついて電話がかかってきた。出るなり梓ちゃんが重大な情報を口にする。
「聞いてください、ポアロに新しい人が入ったんですよ!」
 スマホを耳に当てながら目を細め、梓ちゃんの宣言によってポアロに当分行けなくなったことを悟った。通話終わったらやけ酒しよ、と決め込んでマグカップ片手にソファ腰を落ちつけて返事をする。
「……へえ、どんな人なん?」
「イケメンですよ。超イケメン。いつかの悠宇さんの予言みたいです」
「おっラブな感じ?」
 不倫になるから梓ちゃんがラブならちゃんと事前に別れるからね! 安心してね! と荒ぶる心を紅茶の香りで宥める。
「あはは、それはナイですね」
「えー、なんで?」
 当然といえば当然だが、あむあずの道のりは遠かった。推しと推しの組み合わせ、超絶見たかった。一筋縄ではいかない女、それが榎本梓。攻略難易度は高そうだ。私の知る限り、純粋な好意は無自覚にガンスルーするタイプだ。下心はさらっと流す強かさとのギャップが凄い。またの名をフラグクラッシャーという。予言などという戯言を梓ちゃんが覚えていたのは驚きだが、それ以上にその相手と結婚している現状に一方的に気まずくなる。予定は未定とはよく言ったものだ。
「実はその人私より年上、二十九歳? なんですけど──その、私立探偵のアルバイターなんです」
「将来が不安になる字面」
 ちょっと迷ってから吐き出された文言に反射的に返す。これはフォローの仕様がない。梓ちゃん、早々にそこに気づいてしまったか……厳しい。顔面偏差値カンスト高身長優男だと言うのに肩書きのディスアドバンテージがでかすぎる。恋愛対象から除外されている。頑張れあむぴ。本領発揮は今からよ。あむぴなら挽回できる!
 なんでもお二階さんに弟子入りしたとかで本業優先らしくて、などという経緯を耳に入れながら心中では全力で安室透を推している。
「その条件でよく採用したなマスター」
 原作読んでて思ったが、わりと大きな謎を口に出す。シフトを度々抜け出すの、いくらイケメンでも許される範囲に限界あるんよね。たとえフォローしたにしても。
「なんたってポアロ、ですからね。物腰柔らかな方だったのでお客さんウケは良さそうでした」
「ミステリ好きで応援しちゃったかー 。しかも優しいイケメンってオプション付きなら仕方ない」
「でも、何考えてるかよく分からない人なんですよね。腹の底が見えないっていうか」
 意外と、というと失礼だが鋭い。聞いて欲しい話というのは、イケメンという話題半分、年下の後輩への不安半分といったところだろうと検討をつける。
「あんなイケメンで優しいとかそんなことあります? 一周して嘘っぽい、みたいな」
「地雷臭の方かよ。梓ちゃん辛辣、でもそこが好き」
「わ、ありがとうございます。ほんと悠宇さんにも一度会ってみて欲しいです。次の出張いつですかねー、シフトかぶるかな」
 いつもねじ込む告白に慣れきった梓ちゃんは、私が度々東京を訪れるのを何故か出張だと未だに思い込んでいる。ばりばり私服やん、と心の中で突っ飲みながら否定はしていない。いつ気付くかな、と実はちょっとわくわくしている。名探偵梓ちゃんはどこですか。
「いつやろな。まあ初対面なんやったらまだなんも分からんもんやろ」
「そうですかねー」
 話を戻して梓ちゃんの警戒心を解く方に誘導するが、むむむ、と唸るのみだ。
「そうそう。まあ優しいイケメンの裏はね、想像しちゃうやんね」
 ぐてりと背もたれに体重を預けて天井を見上げながら肯定の言葉を一般論にすり替えようと試みる。
「そうなんですよ!」
 梓ちゃんの言葉に力が入り、如何にイケメンで如何に優しく欠点が見当たらないかの怒涛の力説が始まった。うん惚気かな。それでも自分のことかのように誇らしい思いが滲みそうなのを押し殺して、ひたすら相槌に徹する。あまりに事細かに話すものだから、確かに文字できる量じゃないなと納得した。それほど彼女にとってインパクトのある出来事だということだ。
「──梓ちゃんがそんなリアクションするん珍しいな、やっぱなんかビビっときちゃったとか?」
「違いますよー、一般論です」
「そんな凄い人? 美男美女店員でこれからポアロ忙しくなりそうやな」
「笑顔の裏にポテンシャルを感じます。本当に忙しくなったら嬉しい悲鳴ってやつですね」
 美女、の方は黙殺されたらしい。いつものことなのでもう傷つかない。
「JKなんてそんなもんやろ。知らんけど」
「出た、悠宇さんの知らんけど」
 あれはJK限定じゃないですよ、と梓ちゃんがしっかり付け加える。惚気ですねご馳走様です。

 通話を終え、空になったマグカップの中ををさっと水で洗い流し、バーボンを注いだ。瓶の蓋をしめて、ふと気付く。
「──あ」
 あんだけ話したのに、安室透って名前聞いてない。やっぱり梓ちゃんは線引きができるタイプや。

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