推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 27

「ん……」
 目が覚めた時にはもう零さんの姿どころか気配もなく、宮棚に置かれたデジタル時計は早朝を示している。何時に意識を飛ばしたかはうろ覚えだが、一時間せいぜいだろうに呼び出されたのかと見送りできなかったことに酷く落ち込む。深くため息をつくと人生初の腰の鈍痛にを感じて顔を顰め、タオルケットを手にして寝室を出ると、いってきます、の文字にいつかと同じ数字のゼロのサインが走り書きされたメモを見つけた。
「いってらっしゃい。ちゃんとこの家に帰ってきて」
 紙に向かって返事を呟いたが、情事によってか随分と掠れた声になってしまった。小さく首を振ってシャワールームに向かい、熱いお湯を頭から被る。
「っ、」
 昨晩のシャワールームに入ってきた零さんがフラッシュバックし、水に切り替えて頭を無理矢理冷やした。

 身だしなみを整えたあとは、部屋の掃除だ。タオルと、ちょっと迷って零さんの服を乾燥機付き洗濯機突っ込む。洗濯表示のチェックも忘れない。それから簡単に見つかった掃除用具を用いて換気しながら埃を払い、部屋の掃除機をかけ、ベランダを掃く。水回りも言わずもがなだ。ゴミを捨てるついでに少し出てカフェモーニングをして戻り、シャツはアイロンをかけておく。クローゼットを開ける図々しさはまだなく、記憶を辿って畳んだタオルだけを収納する。
「っし、完璧」
 零さんのメモを手帳に大切に挟んで、おかえりなさい、とだけ書き置きを残して東都を離れた。



 大阪で百貨店に寄ってキーケースを買い、帰って二つになった家の鍵をつけた。見た目以上に重たく感じるそれを低い本棚上の一角に並べ、うんうん尊いと頷く。スカイブルーのミニマットを敷き、ガーベラの押し花、ネックレス、そして腕時計を飾るそのスペースを、私は心の中で神棚と呼んで日々崇め奉っている。降谷零は神様やから、神棚。そのままのネーミングやけど私は結構気に入っている。
 引越してからというもの、大して人目を気にせず零さんにいただいたものを部屋に置けるようになったのはラッキーと言える。それでも玄関に置いて朝晩の活力の源とすることは防犯上不安でできなかった。零さんも自由に出入りできるこの部屋には、よっぽどのことがない限り人を招くことは無く、親すら何かと理由をつけて未だに回避しているが、宅配便などゼロではない。いい加減言い訳が苦しくなったなあと思い出して対策をぼんやりとたてた。



 時々のメールは続いていたが、私の体感で、という接頭語はつくが三週間が経って漸く零さんは自宅に帰ったらしく、電話口で感謝された。
「私の家でもあるって言ったの零さんやろ? 自分家なら掃除くらいするって。ごめん、それとも触られるん嫌やった?」
「まさか。そうだったら鍵なんか渡さない」
「じゃあいいやん」
「……そうだな、ありがとう」
「当然のことをしたまでです」
 この程度に推しにありがとうと言われるとか感謝の大盤振る舞いでしかない。大丈夫かなこの人。
「君の家、なんだからもっと寛いでくれていいんだぞ。他人じゃないんだ」
 よっしゃ言いくるめられたと満足していたら、即座に逆襲をくらう。私が主導権を握れるはずがなかった。
「じゃあ、勝手に入りまくって好き勝手寛いでやります」
「はは、悠宇の好きにするといい」
 迷惑極まりないことを言ったはずが、余裕たっぷりに認可されて言葉に詰まる。おいセキュリティどうした。会えないとは何だったのか。冗談にしてもだ。ああもう、これで言質を取ったとか言ってほんまに通ってやろうか。それでマークされても知らんぞ。いや嘘全然良くないけども。
「僕はほとんど帰れないから、足もつかないしな」
 ああ、そっちね。零さんの珍しい自虐的な台詞に半目になった。



 こんな家賃のえぐそうなところを複数だなんて一体どうなってるんだ、と降谷家の家計がとても不安になった。安室透の家がこんなガチガチだとそれこそ胡散臭いので、ちゃんと区別をしてうまくやり繰りしているのだと思いたい。兎にも角にも、私はこの二つの往復でおかしくなりそうです。家賃ゼロで生活が潤っちゃうからせめて家政婦を……させてください……!
 そういうわけで、私は東都の降谷邸に通い始めた。間隔はまちまちだが、共通点はコナンくんが東都を離れていそうな時、である。私視点でおよそ月一くらいだろうか。眠りの小五郎とコナンくんの東都外での事件遭遇率が案外高いと分かった。あな恐ろしや。それと、キッドと対決している日も例外として降谷邸に入っている。鍵を受け取った後の初回は、一言メールして、シャンプーなどの自分用の日用品を買い込んで置いて掃除してポアロに寄って帰った。何も言われなかった。その次からは連絡なしで清掃員ごっこをするようになった。よく考えたらペンギンちゃんいるんやから、連絡しなくても良くない? 帰れないんでしょ? という理論である。初回で会えなかったあたりで色々察した。心の奥底で会えないかななどという浮ついた考えがあったの自分を頭の中でタコ殴りにした。推しの都合最優先、と部屋で三回唱えた。鍵の日以来数ヶ月、会えていない。例えば迷宮の十字路や、有名ドラマのハンカチの日などだ。映画だと作品に拠れど数日間米花町を離れた上で爆発だなんだと盛大にかましてくれるので、とても分かりやすくて地味に重宝している。ノット即日解決の安心感たるや。
 安室透出現前のうちにと毎回寄るポアロではカラスミパスタとアイスコーヒーが私の定番になり、遂には梓ちゃんにいつものですね、と言わしめた。常連感が凄まじい。そんなことあるんや、と唖然とした時間を過ごす一方で、シフトを終えた梓ちゃんとパフェを食べに行き、お魚メール事件をお二階さんが解決した話を聞いたりもした。悠宇さん悠宇さんと懐いてくれているらしい梓ちゃんは現時点私になんの疑いもないようで、色々話してくれるのは助かっているが、この天使を利用していることが少し心苦しい。鍵を貰った日のショッピングでも、忘れられた携帯電話の話を聞き出したところだというのによくも次から次へと事件が発生するもんやなと呆れつつ、そろそろポアロに行けなくなるな、と梓ちゃんに会えない未来を思うと少し淋しくなった。
 水無怜奈がテレビから消えてしばらくが経つ。



「まーじか」
 清掃員ごっこを数回繰り返したある日、帰宅すると冷蔵庫にメモが貼ってあった。いつものゼロのサインに、食べてくれの文字。あけると、なぜか有名店の洋菓子。なんでやと思いながら家中を探索すると、ベッドとシャワーを使った形跡があった。出張だかなんだかでこっちに来たが平日のド昼間で、貰った食べ物を私に押し付けて仮眠して出ていった、といった所だろうか。もしかしたら、これまでも仮眠室に使っていたのかもしれない。記憶を辿れば、去年の一月──つまりまだ引っ越す前のことだ──やつい二、三ヶ月前など、部屋にどことなく違和感を覚えた日が何度かあったことに思い至った。もちろん私の気の所為かもしれへんけど。そうだったらめちゃめちゃ恥ずかしいので絶対確認しない。
 ともかく今まで以上に、あっちもこっちも快適なお部屋作りに精を出した。ご飯は常に作り置きをして、零さん以外は足を踏み入れないんやし、と「もし食べたかったらお好きにどうぞ」のメモを冷蔵庫に貼りっぱなしにしてみた。ただし以降零さんがうちに入った形跡はない。それでも来る日のためにこの習慣は続けている。一度でも役に立ちたいと思うくらい、いいだろう。



 コナンくんがイギリスに行ってる期間、全私が歓喜した。梓ちゃん情報本当にありがとうと心の中で全力で感謝し、連休を錬成した。梓ちゃんとデートの約束を取り付けて東都に突撃し、まずは降谷邸で放置された衣類を洗濯し、部屋中を徹底的に掃除する。赤井秀一は死んだことになっているんやろし、物語が随分進んでいることを鑑みれば、そろそろ最後かもしれない。ここから物語が加速し、対決が激化することは目に見えているので、安室透の仮面を被る零さんの邪魔をする訳には絶対にいかない。あわやコナンくんとポアロで遭遇しようものなら何を見抜かれるか分かったもんじゃない。おねえさん、安室さんの知り合いなのー? とか上目遣いで尋ねる姿が目に浮かぶ。僕お姉さんの隣に座るー! とか勘弁して欲しい。ボロ出したら本当にやりかねない、胃に穴があく。私はええから組織追ってろ。そのやたらめったらまわる脳みそ正しくお使いください。
 とはいえ、今のところは細心の注意を払って東都を訪れているせいか、原作に突入して以来というもの梓ちゃんと零さん以外のキャラクターと接していない。これはなかなかに優秀だと自画自賛している。主人公一行は不在の前提だが、刑事さんたちや少年探偵団のみんなはそうはいかない。しかし意外と世界は広いらしい。運命は私に味方している。

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